西行絵巻 ー 物好きの深読み Ⅵ

第六首 きりぎりす


きりぎりす夜寒に秋のなるままに
      弱るか声の遠ざかりゆく


 「きりぎりす」は古来「コオロギ」のこと。今で言う「キリギリス」は「はたおり」と呼ばれた。手元の百科事典をみると「コオロギ」は温・熱帯に多く、日本には30種以上。普通、成虫は晩夏〜秋に現れるとあり、「キリギリス」は日本特産種。7〜10月に現れるとある。日本の晩夏、秋には「コオロギ」の方がふさわしい。ただ、「キリギリス」が日本特産種というのは意外で外来種のような感じがする。ともあれ、この歌の「きりぎりす」は「コオロギ」なのだ。「夜寒(よさむ)」とは、秋が深くなって夜の寒さの感じられること。また、その寒さ。または、その季節のことだ。
 「こおろぎよ、夜寒になり秋の深まりにつれて弱っていくのか、日に日に鳴き声が弱まり、遠ざかって行くよ」というほどの意味であろう。春のもの憂い思いの「春愁」にたいし、秋のもの寂しい思いを「秋思」と言うが、この歌は正に「秋思」の歌そのものと言えよう。「実感に裏打ちされたいい歌だ」と激賞する人もいれば、「格別に珍しいことは言っていないし、観察が鋭いわけでもない」というむきもある。ただし、その人も「夜寒に秋の」、「弱るか声の」とそれぞれ語順が前後していることを「リズムのある表現」と評してはいる。
 余談だが、「詩経」の「国風・七月」に蟋蟀(きりぎりす)について次のような記述があるという。「七月野に在り、八月宇(う=軒)に在り、九月戸(こ=家)に在り、十月蟋蟀我が牀下(しょうか=寝台の下)に入る」。野原から人家に近づき、さらには屋内に入ってくるという。人に身を寄せ近づいてくるのに、「遠ざかりゆく」とする表現にひとしおの哀れを読むべきか。

きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく

 さて、この歌をどう読むか?実は悩ましいのである。そもそも、西行がどの歌をいつ頃詠んだのか、特定しにくい歌が多い。この歌も然りで、「晩年の作か」という人もあるし、西行絵物語には最初の奥州への旅の帰路を書いたくだりに、それと思わせる記述がある。石川河川公園の陶板の絵巻が年を追って展示されていることを考えると比較的若い頃の作とも考えられる。
 ひるがえって、西行の出家が保延6年(1140年)であり、璋子の落飾(剃髪・仏門に帰依)は康治元年(1142年)、逝去は久安元年8月22日(1145年9月10日)のことだった。西行の出家の直後から、璋子は鳥羽院に疎まれ権勢を見る間に失い、失意のうちに没したのである。
 ところで、西行の東国への旅については康治二年(1143年)26歳説や30歳までとする説がある。待賢門院崩御後に旅に出る気運になったろうと推定し、28歳以後のこととする説もある。出家後、都の周辺からから伊勢へ赴き、しばらく滞留して東国へ旅立ったと考えられるからだ。
 物好きは深読みというより戯言に属するかも知れないが、失意の璋子を思いやり、きりぎりすに璋子の晩年を仮託した、他の作品には見られない、その意味で稀有な作品としてこの歌を読んだ。
 若かりし頃は妖艶馥郁、野にあるように奔放に生きた璋子。時は流れ、凋落の秋を迎え、その名声たるやどんどん衰え、ついには遠ざかり、聞こえなくなったしまったよ。やるせない身に追い込まれた璋子。璋子への追慕、璋子を追いやった者ども、都。世事一切からの訣別の時を悟った西行のはかない歌ではないのか。