西行絵巻 ー 物好きの深読み ⅩⅤ

第十五首 小夜の中山 ①

年たけてまた越ゆべしと思ひきや
     いのちなりけり小夜の中山


 この歌をどう扱うべきか、筆者は大いに手こずった。というのは、歌に込められた真意をどう推し量るべきか。読み込むべきか。ここにどこまで書けるのか。思案に暮れたからである。ともあれ、書くほかないので、呻吟しながらこの稿を起こすことにした。
 まず、平たい句意は「こんなに年老いてから再び小夜の中山を越えようとは思いもしなかったよ。これこそ命あればこそのことだなぁ。これが命というものか」という感慨をこめた歌だ。
 「小夜の中山」の「小夜」は「さよ」とも読めるが、「さや」と読むほうが適切であるらしい。場所は現在の静岡県掛川市日坂峠。古来、箱根峠、鈴鹿峠とともに東海道の「三大難所」と言われてきた。
 「また越ゆべしと思ひきや」という最初の「小夜の中山越え」は1146年西行28歳の時だった。能因法師因縁の旅路をたどり、歌枕を訪ねる旅であったという。また、奥州藤原氏を訪ねる旅であったともされる。藤原氏は清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)が奥州藤原氏三代と言われるが、源氏方とは縁が深い。そして、西行も源氏方の流れをくむ身である。
 そして、この度の奥州への旅である。戦乱により焼失した東大寺や大仏の復興にとり組む僧・重源(ちょうげん)の依頼で、まだ存命であった秀衡に金の無心に出かけたことは以前にも書いた。
その依頼を受けたのは1186年西行68歳の時であるという。実に40年、まさに「年たけて」の感慨は一入のことであったろう。
 そもそも、この時代は大きく見積もっても「人生50年」という時代だ。出家した23歳の頃には、まさか70歳にならんとする程まで「生きている」などとは思いもよらなかったのではなかろうか。
 しかし、筆者は「年たけて」の文意を以上の意味の範囲でしか捉えていない、多くの「文学的」解釈をいささか不満とする。この40年の「歴史」の理解、考察が必要だと思うからである。その40年とは、後世に残る大激動・争乱の時代だったのだから。
 これを書けば、かなり長くなりそうなので続編を次回に譲ることにしよう。ただ、石川公園の陶板、「西行絵巻」には戦乱を憂える西行の姿は描かれているのだが、それを詠んだ歌が収録されていない。残念な気がすることを記しておこう。

「乱世を悲しむ西行」
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鬱々とした西行の相貌西行絵巻 ー 物好きの深読み ⅩⅤ_b0142158_17525378.jpg