西行絵巻ー物好きの深読み ⅩⅩ

第十八首 ねがはくは

ねがはくは花の下にて春死なむ
     そのきさらぎの望月のころ


 この歌は余りにも有名で「深読み」の余地などほとんどない。少しだけ注釈をくわえておこう。
 まず解である。この際、「全訳古語辞典」の説くところを全文引用してみたい。「(私の)願うことは、桜の花の下で、春に死にたいものだ。その陰暦2月の満月のころに。[参考]桜の花の下で死にたいと願うのは、桜を愛し、桜の歌を多く詠んだ作者としては、当然の願望であっただろう。しかし一方ではまた僧として、陰暦2月15日の釈迦入滅の日に臨終を迎えたいと願う。作者はその願いどおりに文治6年(1190年)2月16日に没した。第4句(そのきさらぎのー筆者注)は『その』が指示するものを『春』とみる解と、言外の釈迦入滅をさすとみる解とにわかれている」とある。西行の没は73歳、819年前であったわけだ。
 この歌を「辞世の句」と紹介する例がまま見られるが「死にぎわに残す詩歌」という意味では正確ではない。その10年も前につくられていた歌だから。当時としては長寿と言っても良い60歳をこえるほど生きたことは、西行にとっては「思いの外」のことだったろう。その感慨をこめて「もういつ死んでも良い」、今流に言えば「ポックリ逝きたい」という心境で「願わくば…」と詠んだものか。
 この歌には西行が好んだ「花」、「月」が詠み込まれている。「望月」とは「陰暦十五夜の満月」だ。「花」に寄せる思いと「月」に寄せる思いは対照的だが、「美」の極みではある。
 さて、「きさらぎ(如月・二月)」の花がどうして「梅」ではなく「桜」なのか。旧暦では年によって月と季節感が微妙にずれる。3〜5年のサイクルで「きさらぎの望月の頃」が新暦の4月にかかるらしい。西行が亡くなったのは新暦では3月29日にあたるというわけだ。
 西行は望みどおりに旧暦2月16日、釈迦入滅の翌日に亡くなった。これが当時に於いても、後世に於いても強い印象を与え、西行の名をさらに高めたのである。

☆ この歌で石川河川公園の「西行絵巻」は終わる。なにやらホッとした気分ではあるが折角のことなのでもう少し続きを書くつもりだ。題して「西行異譚」。長さは分からないが2つ3つのテーマとしたい。お楽しみあれ…。