50年前のこと…!

 普天間基地の返還・撤去をめぐって迷走が続く…!
 小泉首相らは一貫して「日米同盟」と言ってきたが、鳩山氏は「抑止力」と言う。大した違いがあるようにも思えないが、使っている本人は「違う」と思っているのだろう。根源に「安保条約」があることは間違いない。
 当時は岸首相を始め政権当事者は「日米軍事同盟」だとの批判を絶対に認めようとしなかった。
だが、時が経ち自民党は「軍事同盟」という言葉こそ使わなかったが「日米同盟」だと平然と言うようになった。鳩山氏は「よく勉強してみると『抑止力』が大事とわかった」と言ったそうだ。小賢しい、ずるい言い方ではないか。米軍基地の存続が「抑止力」だというのだから、それは戦争にそなえた「軍事力」だと言っているのにほかならない。

 あれから、50年…。
 1960年の5月1日、メーデーの日は日曜だった。
 高校1年生だったボクは「せめてメーデーには参加を…!」と考え、会場に足を運んだ。遠巻きに集会を眺めてはいたが、どの集団にも加わることはできなかった。デモがはじまった。労働組合や民主団体の旗がひるがえり、活気あるデモだった。大学生の隊列の中程に、守られるように高校生の一団が歩いてくる。
 ボクはその中にも入れなかった。誘い合わせて来たのではなく、一人でのこのことやってきたのだから仕方がない。変な孤立感・孤独感を感じた。

 ボクが「せめてメーデーには…」と考えたのは「安保条約反対」の一念だった。親友であるIとMは同じ高校へ行ったが、ボクは好んで違う高校を選んだ。IやMのそれは都会風、ボクの選んだのは朴訥な田舎風と言えそうな雰囲気だった。

 今思えば高校に進学したばかりの頃によくあんな時間がとれたものだと思うが、IやMを誘って幾晩も議論した。
安保条約をどう考えるのか? 本文を探し回り、逐条的に読んでもみた。条約の真意を検討するのは難しかったはずだが、憲法9条があるにも関わらず、あれよあれよという間に警察予備隊がつくられ、保安隊に昇格し、自衛隊になってゆく過程は文字通り「再軍備」、戦争への道筋だと思えた。「朝鮮戦争」の影には微かな記憶がある。レッドパージという言葉にも…。その延長線上に「安保条約」があると思えた。「仮想敵国」の設定された条約ではないのか。

 Iは慎重だった。意見は合ったが、行動することは控えた。Mは急進的で、先輩の大学生らに誘われてフランスデモも経験していた。こう見ると、ボクの行動はその真ん中だったと言えるのかも知れない。安保反対の直接的なデモではない。メーデーである。しかし、その中心スローガンの一つにまごうことなく「安保反対」が掲げられている。
 デモ隊は車道を歩いたが、その流れに寄り添ってボクは歩道を歩き続けた。デモ行進初体験の日のことだ。

 50年…! 新安保の50年! 
 こと安保に関する限り、今もボクは青春のさなかにいるような気がしてくる…!