東日本大震災 ー 冷静、科学的、抜本的な対処を!

ボクはどちらかというと情緒的な人間であるような気がする。
地震の起こったその日にはこんなに重大な「国難」に遭遇しているとは思っていなかった。

学者・専門家でさえ「想定していなかった」という地震・津波の巨大さ!
後に9とまで訂正された震度。津波の予測はできたものの、その高さが39㍍に迫るとは…!
くわえて福島原発の由々しき事態だ!
地震と津波の膨大な犠牲者、罹災者!
救急・救援に行き詰まる事態さえ見えてきた。
夥しい死者の霊を弔っているいとまさえ無い!
遺体の収容はおぼつかず、収容しても火葬ができない。
記号番号をつけて土葬するという。
行方不明者の捜索は、早晩断念しなければならない…。
悲喜こもごものニュースが飛びかう!
何もかも失ったとはいえ、命あっての物種!
遺された人々に生きぬいて欲しい!
共感しあい、助け合い、支え合うエピソードの数々に救われる。
地震・津波の避難者と原発避難者、同じ苦しみのようで、少し違うようにも思える。

とまれ!本当にこの規模の被災は「想定」できなかったのか?
100年、200年。1000年、2000年の規模で過去への記録を探る科学はある。
地震についての科学。
津波についての科学。押し波、引き波についての科学はある。

救援・復興・再建の道のりはどんなに厳しくとも進んでゆかねばなるまい。忘れた頃にやって来た「天災・天変地異」だと甘受して…。
だが、原発危機・「原発震災」も「甘受」できるのか?
地震・津波という「天災」は長いスパンでみても「一過性」と言えなくもないが、「原発震災」は短いスパンでみても放射能・「死の灰」にまみれた「持続性」が問題だ。
子々孫々に及ぶ!と言っても過言ではなかろう!

この間、あちこちの情報を収集するにつけ、痛感するのは警鐘を鳴らし続けてきた良識の人はいた!ということだ。
科学はまだ何時という具体的な時を「予見」するにいたっていないが、このような事態が起こりうることは想定していた。
だが、このような事態を指摘する学者・研究者は疎まれた。
ジャーナリストや民間の運動家は軽視・迫害された。
この人たちを疎外し、迫害したのは「安全神話」にまみれた
企業家であり、その手先となった「政治家」だった。
原発震災は「人災」であり「政治災害」である。
地震や津波という「天災」とは異質の災害だという所以である。

今は危急の時だから何が何でも力をあわせないと…!
だが、具体的なデータや対策の処方は、かつての「安全神話」論者に独占されている。
この呪縛を解き放ち、私見をこえて復旧・復興のため、より安定的なエネルギー政策の探求のため、冷静、より科学的、抜本的な対処のため力をあわせるべき時だろう。
いずれ「検証」の時は来る。逃げてはいけない。「安全神話」を振りまき続けてきた人たちがどこまで謙虚になれるのか。なってくれるのか。注視したい。
震災以来、片時も頭を離れぬ深刻な課題である。
by itya-tyan | 2011-04-05 21:17 | ちょいまち草 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://isao3264.exblog.jp/tb/15187948
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。