映画「一命」を見てきました!

久しく映画を観ていない。報道で見るところ、この映画のモチーフは興味深い。そう考えて映画「一命」を観てきました。ひと言で評論するには難しい映画でした。

手に入れた一部800円のパンフレットを熟読して、一番納得できたのが満島ひかりさんへのインタビューにあったこの言葉です。
◆ 決して悲劇のヒロインに終わらない強さを感じます。 
「それは嬉しいです心がけていたことは<いる>ということ。この家に住んで<いる>人。この道を歩いて<いる>人。気丈に腹をくくって、その場に<いる>。運命を受け入れて<いる>。そういうことを心がけながら、また感じながら演じました」

この映画は良くも悪くも野心に充ちた映画だと言えるでしょう。
それはこの映画がはじめから「カンヌやヴェネチアのコンペに入る映画になるか」という基準でつくられているからです。
パンフレットに曰く、「全編を3Dで撮影する時代劇は、もちろん日本初の試みだ」
さらに曰く、「今回は最初から海外マーケットを意識していたこともあり、スタッフには国際的に通用する日本の至宝というべき超一流の仕事人たちが集められている」。そこには衣装デザイン黒澤和子、殺陣辻井啓伺、音楽坂本龍一、ギタリスト村治佳織らの参画があげられています。
確かに、見応えのある奥行きの深い映像、聞き応えのある音楽・音響が館内に響きます。
しかし、「瑛太演じる千々岩求女の5分にもわたる(竹光での)壮絶な切腹シーン」はどうなのでしょう。明らかに海外受けをねらって設定された場面と思えて仕方がありません。
これはクライマックスで、津雲半四郎が数十人を相手に竹光で渡り合うというシーンでも感じます。

さて、ストーリーとモチーフについてです。
江戸時代初頭、大名家の取り潰しで浪人となった挙げ句、悲劇に見舞われたしがない家族の顛末である。
千々岩求女(ちぢいわもとめ)は赤貧洗うがごとき生活の中でも清楚に妻美穂、幼児金吾と暮らしていたが、金吾が生死をさまよう重病にもかかわらず、医者に診てもらうはおろか薬も買えない事態に陥る。たまりかねて金作に走った求女は、伊井家の庭先で家老斎藤勘解由に切腹を申し出る。いくばくかの金子をねだる口実、つまり狂言切腹であった。これを苦々しく思う勘解由やその配下は案に反して実際に切腹するよう迫る。取り乱した求女は3両の金子と暫しの時間の猶予を乞うが拒絶され、遂に無念の切腹を果たす。本当の刀はすでに質草と消えており、腰にあるのは竹光であったから壮絶極まりない。
求女が切腹を余儀なくされている頃、金吾は既に絶命。美穂と美穂の父津雲半四郎が求女の帰りを待ちわびていた。そこへ求女の遺体が送りつけられる。美穂は絶望のあまり求女の竹光で自害する。
静かな憤りに燃える半四郎は勘解由宅におもむき、切腹の申し出にことよせて「恥を承知で、武士が妻子のために金子を頼んだその心底を、誰か哀れと思わなかったか…」と告発する。時あたかも、雪の降りしきる庭先でクライマックスを迎える。

原作滝口康彦「異聞浪人記」、62年「切腹」に続く今回の映画化
キャストは半四郎に市川海老蔵、求女に瑛太、美穂に満島ひかり、斎藤勘解由が役所広司、脇役陣にも竹中直人、笹野高史、中村梅雀らが配され、豪勢で豊かな演技力で見応えがありました。全体として「久しぶりに映画を観た」という充実感は味わえました。
しかし、「現代と見事なまでに重なっている。… 格差と貧困が深刻化している2011年にこの問題を半世紀以上前に描いた先駆的な作品『異聞浪人記』が映像化されたのは必然だったのである」などと、くどくど現代日本の世相との照応を説いている評論家のコラムは少々しらけます。
映像や演技、作品に仮託されているものがあるにせよ監督はそこまで触れていません。脚本家の意見とも少しズレがあるようにも見えます。あり得たかも知れない物語の象徴化と、現に生起している事態の形象化とは違うはずです。今日の生活や政治の実相に迫るとすれば、それは何らかの具体的な社会参加、政治参加によるものでしょう。
この映画の評論は難しい…と感じたのはこの点です。コンペ作品にはなれたが、受賞はできなかった事情はこの辺に隠れているのかも知れません。

映画「一命」公式サイトはこちら(クリック)
by itya-tyan | 2011-10-28 01:38 | 喜怒哀楽をともに… | Trackback | Comments(0)
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