義兄が逝き、葬儀委員長をつとめました。

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 12月4日14:47に敬愛する義兄が逝きました。ず〜っと以前から冗談とも本気ともつかぬ(多分本気)の約束、「俺が死んだら葬儀委員長はちゃ〜ちゃんにやってもらう」がありましたので、極自然にボクが葬儀委員長ということになりました。
 大勢の方々に参列頂き、生前からの本人の希望、喪主である義姉、娘二人の希望に添った通夜式、告別式ができたのではないかと思っています。

 式の進行とボクの挨拶の概要を記しておきたいと思います。
 先ず、開式と黙祷に続いて、義兄、義姉の金婚式に際して創られたDVDの上映、葬儀委員長の挨拶、友人たちの弔辞、献花、喪主のお礼・閉式の挨拶という順です。
 通夜式では、生前ゆかりの美代ちゃん、順子ちゃん、ダバさんに、告別式ではマルちゃん、ヒロコさん、満子さん、一宏氏、奥田議員に弔辞を頂きました。
 それぞれが折り目折り目に義兄と苦楽をともにし、励まされつつ生きぬいてきた思い出を生き生きと語られ、その話の節々に参列者も追悼の思いを重ねあって聞ける貴重な内容でした。
 通夜式や告別式でなければ、拍手を送りたいような貴重で、ありがたい言葉の数々に思わず涙します。
 
 ボクの挨拶はまとまった原稿があるわけでなく、取りとめないものですがここに触れておきたいことが2〜3あるのです。

 義兄が厳しい闘病の時を過ごしつつ今正に逝かんとしている時、身近な方々にお知らせしなければという思いが去来したのですが、既に意識ももうろうとし始めていることを勘案し、お知らせできなかったことをお詫びします。
 義兄の来し方を思うに万感胸にせまるものがあります。義兄は1931年8月25日、満州事変の直前に生まれ、少年時代は戦争真っ直中の日々でありました。戦後は終戦のどさくさのなか、旧制中学に入学し新制高校を卒業しております。
 戦中、戦後の体験を経てきた義兄が「特定秘密保護法」をめぐる国会の様子を知れば本当に怒りに身を震わせるだろうと思います。 
 今は60歳、70歳になっている半世紀前の青年たちは、誰が本当の親族か分からぬ程に親しく接してもらい、誰もが一様に”兄ちゃん”と呼びならわしておりました。
 20年前の胃の全摘、今回直接の原因となった病気にも負けず、その闘病の様子をも義兄らしい独特のユーモアにつつんで、「病を遊ぶ」、「遊病日誌」と名づけ克明に記録、楽しんでいる風ですらありました。
 しかし、最近には「オオカミ少年みたいやなぁ。来るぞ、来るぞと言いながら、なかなか逝かれへん」などとこぼすこともあるようになっておりました。
 別段「今か今か」と待っていたわけではありませんが、とうとうこの日がやって参りました。
 義兄の死を悼み、義姉や二人の娘たちへの思いやりのこもったお別れの場にしていただきますよう心からお願い致します。
 なお、ご覧のように式は無宗教で行いますが、これは宗教を拒むというものではございません。それぞれの皆さんの宗教、宗派、信条にのっとって皆さんなりの追悼をお願いしたいと思います。
 本日はご参列、本当にありがとうございます。

 義兄の逝去、通夜、告別の諸事を終えて、7日そして今日、読み残した新聞などに目を通すと、特定秘密保護法をめぐる事態の異常さに体が震えるような怒りを覚えます。
 「終わりの始まり」という力強い言葉に新たな決意も湧いてきます。
by itya-tyan | 2013-12-08 15:54 | 喜怒哀楽をともに… | Trackback | Comments(0)
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