致仕 … 年の瀬に思うこと

 来年は70歳! 
 手元のメモにはアップしたいことが幾つも書いてあります。
 例えば、「連合国における終戦準備と日本の『敗戦』に至る経過」「一旦合併した市町村を元にもどすことは可能か」「安倍首相の靖国参拝と日本の行方」「オールドリベラルと『良識ある社会民主主義者』の今日」「二元代表制と議院内閣制ー安倍首相の『暴走』のこと」。
 さらにPCのデスクトップには「日野原さんの子どもたちへのメッセージ」「東京オリンピックと安倍首相」「原子力発電所と核分裂、核融合」「添田唖然坊とちんどんや」「維新は異心…大阪と東京」「ケイシュガーさんのブログ作成」「管野須賀子のブログ作成」etc。
 ようやく、冬休みに入れた、とはいうもののなかなか手がつけられません。邪心が多すぎるのかな?歳のせいかな?来年の夏には70歳になるのです。

 数年前に「致仕」という言葉に出会いました
 60歳の停年を過ぎて半年位のとき、「こんな仕事をしないか?」と声をかけられ、週3日今の仕事に出かけるようになりました。数年限りの「腰掛け」という安易な気持があったかも知れません。でも、それなりに大事な仕事だとも思い続けてきました。
 65歳を過ぎ「そろそろ進退を考えなくては…」と思い始めた頃に「致仕」という言葉に出会いました。
 広辞苑には「①官職を辞すること。辞任・致録。②70歳の異称。致事」とあります。これだけではもの足りないので、さらに調べてみると、70歳をあらわす言葉のいろいろが分かりました。
 一番馴染み深いのは「古稀」、古来稀なりです。「従心」「懸車」「致仕」という言葉もありました。
 「致仕」というのは70歳になれば、官職を辞し後進に道を譲るということのようです。いくら何でも70歳を越えて居座るなということでしょう。逆に、70歳までは頑張れ!ということなのかも知れません。
 この間、何度か口に出して、時には文書も書いて退職・辞職を申し出ましたが、本気で後釜を探してくれる気配のないまま、ボクも何となく「70歳までは頑張れるかな?」なんて自問もしつつ、とうとう今日まで来てしまいました。

 骸骨を乞う
 しかし、どうやら時は来たようです。今夏、「この道50年。来年は70歳。もう辞めさせて欲しい」と申し出たところ、後釜はともかく、快諾してもらえました。来年には早ければ2〜3月、遅くとも誕生月の直前7月一杯で、ホントの退職ができそうです。嬉しくてホッとしています。
 そんな時、今度は「骸骨を乞う」という言葉に出会いました。浅学を恥じつつ、この言葉の意味に深く感じるところがあります。
 「故事ことわざ辞典」から見つかった言葉です。
 そこには、「役人が退官・辞職を願い出ること」とあり、注釈に「昔は仕官することは臣下として主君にからだを捧げることだったので、職を辞するときには、骸骨同然となった無用なこのからだをお返し頂きたい、と乞うたことから…」と書かれており、「中国楚の参謀笵増が項羽に『願わくは骸骨を賜いて卒伍に帰せん』と願い出た故事」が紹介されています。「卒伍」というのは一兵卒のことです。
 「臣下」とか「主君」というのは頂けない言葉ですが、「歴史の主人公は人民大衆である」とか「報いられることなき献身」とかいう言葉に意気を感じた青春時代からのことを思えば、「願わくは骸骨を賜いて卒伍に帰せん」という言い回しに納得できる自分がいるのも事実です。
 
 そんな転機の気配を体感しつつ、この年の瀬をやや無為に過ごしています。
by itya-tyan | 2013-12-28 23:17 | 喜怒哀楽をともに… | Trackback | Comments(0)
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