名誉教授のコトバ遊び! 「素っ裸」と「真っ裸」

 朝日新聞のBeでちょっと面白い企画が始まった。「ことばの食感」というコラムだ。目をひくネライもあったのだろうが、こんな見出しのコラムには笑ってしまった。

   「素っ裸」と「真っ裸」       中村明
 ある類語辞典の出版披露のパーティー会場で、司会者から突然「素っ裸」と「真つ裸」に何か違いはあるか、とマイクを振られた時には面くらった。
 言語学の大家が会う人ごとに意見を求める話題らしい。その辞典の編集主幹として出席しているてまえ、即座に何か答えないと格好がつかない。とっさに「素」のつく語と「真」のつく語の発想の違いを考えてみた。
 すると、「素足」「素手」「素肌」は靴下・手袋・衣類を身につけていない状態、「真っ赤」「真っ青」「真っ正直」はその状態に次第に近づく最終段階であることに気づいた。
 とすれば、「素っ裸」は衣類を身につけているか、いないかという、1かゼロかの、いわばデジタル思考であり、「真っ裸」は厚着から次第に薄着になって最後の一枚をずらしながら落とすという連続的な接近、つまりアナログ思考だと言えるのではないか。
 苦し紛れにそんな思いつきをしゃべった。調子に乗って、川端康成の「伊豆の踊子」のヒロインが湯上がりに主人公の目にさらしたのは「素っ裸」だろうと口走ったのが運の尽き。家で調べたら「真裸」とあった。それ以来、ここは「まはだか」と読んで気品を保っている。

                     (早稲田大学名誉教授)

 こんなオアソビができる宴席は愉快だろう。いかに辞典の編集主幹とはいえ「とっさに」こんな返事を考えつくのはさすがだ!
 で、ボクも興にのって考えてみた。絵画をヒントに、先生の説明を解するのも面白いのではないか。
 
b0142158_15471753.jpg 先生のご指摘に添えば「天使」や「キューピッド」は「素っ裸」だな?名画を探してみる。

 この画は、ウィリアム・アドルフ・ブグロー という画家の「キューピッドと蝶(Cupid with a Butterfly)」という作品だ。説明に「キューピッドが休憩するために、彼の矢を横に置き、噴水の前で休息している様子を描いた作品」とある。
 
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 ブクローはキューピッドが好きらしく「春の再来」という画にはヴィーナスと戯れるキューピッドを9人(?)も描いている。
 原題がよくわからないが「再来」というのが気にかかる。うら若き乙女に春を呼ぶのだから、わざわざ「再来」でなくても良いのではないか。 それとも厳しい冬を越えて「また春が来た」ということなのか。
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 こちらは良く知られている「ヴィーナスの誕生」という画だ。
 アレクサンドル・カバネルという皇帝ナポレオン3世お気に入りの画家が描いた。オルセー美術館(パリ)が所蔵している。

 では、「真っ裸」の画像はあるのか?
 ボクが真っ先に思い出したのがこの画だった。
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 そう、ゴヤの作品の中でも有名なプラド美術館所蔵の「裸のマハ」「着衣のマハ」だ。先生の伝でいえば「着衣のマハが真っ裸になった」ということにでもなるのか。
 この絵のモデルが誰なのかは不明で、宰相ゴドイの愛人だったアルバ侯爵婦人であるとか、ぺピータという女性とか、さまざまな憶測があるとされる。だが、この際そんな詮索は関係ない。

 ところで「真っ裸」といえば、印象深い画が日本にあったはずだ。 画家の情熱というものを固唾を呑む思いで鑑賞した憶えがある。
 確か、印象派の大家ルノアールの晩年の作品だった。探してみたがなかなか見つからない。どうやら最近所在が不明になっているらしい。何かややこしいことがあったようにも見て取れる。
 ようやく探し出したのが、この画だ。
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 「ソファに横たわる若い裸婦」という作品で、他の裸婦像とはひと味もふた味も違う精緻な描き方だったと記憶する。きちんと保管されていること、いつか改めて、絵画に関心をもつ人たちに鑑賞の日が来ることを願わずにはいられない。

 というわけで、中村明先生にはしばらく楽しい言葉アソビの機会をいただけそうだ。
by itya-tyan | 2014-04-12 17:21 | 喜怒哀楽をともに… | Trackback | Comments(0)
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