1月20日、トランプ氏がアメリカ大統領への就任演説をしました。あちこちで論評されていますが、ボクなりに和訳全文を読んでみた感想と記録を残しておきたいと思います。訳は手に入った速さから「朝日新聞」のものを使いました。この記事には4本の小見出しが付いています。
全体はとても情緒的で、理性、論理性を欠いているように思えますが、朝日新聞による4本の小見出しは順に以下のようになっています。
ワシントンから国民に権力を戻す
「米国第一」だけがビジョンになる
米製品を買い 米国人を雇用する
ともに再び米国を偉大な国にする
ともあれ、この小見出しの順にボクの気のついた点を記していきましょう。
グローバル経済と新自由主義の行き詰まりは深刻
トランプ氏は次のように述べています。
私たちは、首都ワシントンから権力を移し、国民の皆さんに戻すのです。
あまりに長い間、この国の首都の小さな集団が政府からの恩恵にあずかる一方、国民はそのつけを背負わされてきました。
ワシントンは栄えましたが、国民はその富を共有しませんでした。
政治家は豊かになりましたが、職は失われ、工場も閉鎖されました。
既得権層は己の身は守りましたが、我が国の市民は守りませんでした。
彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らの大成功は、皆さんの大成功ではありませんでした。そして彼らが首都で祝っているとき、私たちの国のいたる所で苦しんでいる家族にとって喜ぶことはほとんどありませんでした。
とても多くの市民にとっては、違った現実が存在しています。荒廃した都市部では貧困の中に閉じ込められた母子たちがいます。さび付いた工場群が、まるで墓石のように私たちの国土の風景のあちこちに広がっています。教育制度には、潤沢な資金があるのに、若く、光り輝く生徒は、あらゆる知識を得られないでいます。犯罪と悪党と麻薬によってあまりに多くの命が失われ、私たちの国からまだ実を結んでいない多くの潜在力を奪っています。
ここには、確かに今日のアメリカ社会の歪んだ一端が表現されていることは間違いないでしょう。
歪んだ被害者意識、国際社会への間違った認識
しかし、「米国第一」を唱える国際社会への認識は根底的に間違っており、このような認識を是とする国々はほとんどないのではないでしょうか。
何十年もの間、私たちは米国の産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきました。自国の軍隊の悲しむべき疲弊を許しておきながら、他国の軍を援助してきました。私たち自身の国境を守ることを拒否しながら、他国の国境を防衛してきました。そして、米国のインフラが荒廃し、劣化する一方で、何兆ドルも海外につぎ込んできました。私たちの国の富、強さ、自信が地平線のかなたに消えていったさなかに、私たちは他国を裕福にしてきたのです。
*一つずつ工場がシャッターを閉め、海外へ流出していったのに、取り残された何百万人もの米国人労働者のことは一顧だにされませんでした。
*私たちの中流階層の富は、彼らの家から引きはがされ、世界中にばらまかれたのです。
この日から、「米国第一」だけになるのです。米国第一です。
排外主義の匂い漂う国境論、国益第一主義
トランプ氏は貿易、税金、移民、そして外交問題に関するすべての決定は…米国民の利益が基準だとして以下のように述べています。
私たちの製品をつくり、私たちの企業を奪い、雇用を破壊する他国の行為から、私たちは国境を守らなければなりません。防御が、大いなる繁栄と強さをもたらすのです。
続けて、トランプ氏は米国は再び勝利に向かいます。これまでにないほどにと述べ、雇用を取り戻し、国境を取り戻し、富を取り戻します。そして、私たちは夢をも取り戻すのですと説き、そのルールとして私たちが守るのは二つの単純なルールです。米国製品を購入し、米国人を雇用することを挙げています。
トランプ氏は私たちは世界中の国々との友好と親善を求めますとは言うのですが、私たちがそうするのは、すべての国々が自己の国益を第一に考える権利があるという理解のもとにですとも述べ、明らさまな国境論、国益第一主義を唱えています。
この国境論と国益第一主義に排外主義の匂いを嗅ぎ取り、批判の矛先を向ける人々が少なくないのも頷けることではないでしょうか。
イスラム=テロリズムと断定、米国=「偉大な国」は神がかり
トランプ氏は、イスラム=テロリズムという構図を描、撲滅を訴えています。
私たちは従来の同盟を強化し、新しい同盟を結びます。文明世界を結束させて過激なイスラムのテロリズムに立ち向かい、地球上から撲滅します。
トランプ氏は一見当然のことを言っているようにも見えます。
私たちは新たな時代の幕開けにいます。宇宙の謎を解き、地球を疫病の悲劇から救い、明日の新たなエネルギー、産業、技術を活用する時です。
我が国の軍人が決して忘れることのない古い教えを思い出しましょう。肌の色が黒でも褐色でも白であっても、私たちには同じ愛国者の赤い血が流れているということです。私たちは皆、この輝かしい自由を謳歌(おうか)し、みな同じ、偉大な星条旗に敬礼します。
しかし、この結びのくだり全体はとても神がかり的です。
聖書の教えが引用され、最も重大なのは、私たちは神からも守られているということだとか、同じ夜空を眺め、同じ夢で胸を満たし、同じ神から与えられた命の息吹きで満たされるなど、宗教的な言葉が多用されています。
トランプ氏の神とは、言わずと知れたキリスト教、特にカトリック系であることは論を待たないでしょう。そこには異なる価値観を持った諸文明間の共存という発想が極めて脆弱であることが見て取れます。偏狭と言っても過言ではないでしょう。
こう考えてみると、アメリカ社会の慣用句ではあるのでしょうが、結びの「神のご加護」という言葉に深い意味が隠されているような思いがします。
ともに、再び米国を偉大な国にするのです。ありがとう。皆さんに神のご加護を。米国に神のご加護を。
Thank you. God bless you. And God bless America. Thank you. God bless America.
とまれ!お笑いを一つ!
God bless you.という言葉は、確かに「あなたに神のご加護がありますように!」という意味ですが…、
God bless me.となると、「しまった!」とか「おやおや!」、「まぁ大変だ!」などという意味になります。
トランプ氏にも「God bless me!」と言ってもらいたかったような気がするのは、ボクだけかなぁ…!