2010年 06月 14日 ( 1 )

 8世でも9世でもなかった? 了明尼公
 ところで、「興正寺史話」の36話にはこんなくだりもあります。

 「興正寺では歴代の第九世を了明尼公としています。了明尼公は了源上人の妻であり、興正寺の第八世とされる源鸞上人の母にあたる人物です。子息に遅れ、母親が次の代を継いでいることにはいささか奇異な感じを受けますが、これについては源鸞上人がわずかに二十九歳で没したことから、母である尼公が寺を継いだのだと説明されています。
 いまでこそ了明尼公は歴代の第九世に数えられていますが、これは明治時代になってから歴代に入れられたもので、江戸時代の興正寺では尼公を歴代には入れていませんでした。歴代というと、厳格に固定したものとの印象を受けますが、興正寺の歴代はのちの時代に時間をさかのぼって決められたもので、多分に便宜的に決められたとの面が含まれています。」
 つまり、「室了明尼公」は明治以前には9世上人に数えられていなかったというのです。

 結局、明治以前は光教(13世)と了明尼公(9世)が歴代上人に入っておらず、そうであれば証秀は14世だったということになります。とまれ、筆者は証秀上人が14世なのか、16世なのかを問う立場にありません。ただ、14世とするにも、16世とするにもそれなりの事情・根拠があるのだろうということ。16世と明記しているのは明治以降の「真宗法脈史」だったということです。

 大分うろうろしましたねぇ…!
 ことの起こりは第一回目に紹介したウィキペディァによる「富田林寺内町」と富田林市による「富田林寺内町」では証秀の代が違って書かれているということでした(前者では14世、後者では16世)。
 探索中、うろうろした足跡をそのままアップし、整理し直していませんので話のつじつまの合いにくいところはご愛敬としてお許しください。 m(_ _)m