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 朝井まかてさん!
 「しんぶん赤旗・日曜版」に登場!


 ご存知ない方もおられるかもしれない…!
 が、近年売れっ子の一人である!一般に「大阪生まれ」と紹介されるが、実は羽曳野市の生まれである。実に身近だ!
 そして、「阿蘭陀西鶴」で織田作之助賞を受賞している。さらに、大阪文学学校OBとくれば、否応なくアップしておきたくなる、というもんだ!
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 読めるのかな?後ほど試してみます!
 ダメのようです。ごめんなさい!
掲載紙は2016年5月29日づけ「しんぶん赤旗・日曜版」でした。
 今朝の新聞「朝日歌壇」を読んで驚いた。
 馬場あき子、佐々木幸綱、高野公彦、永田和宏の選者4氏がこぞって選んだ短歌に出会ったからだ。重複して選ばれることは時にあるが、選者全員にこぞって選ばれることは珍しい。

中三の秋がゆっくり深まって無口な人の魅力に気付く                      松田梨子
 選の第一首に選んだ馬場氏は「松田梨子さんももう中三なのだ。『無口な人の魅力』に気付いたのも魅力がある」と評す。
 第二首に選んだ佐々木氏の評は「子ども時代から青年期へ。下句すばらしい」。
 ボクも素直にいい歌だなと思う。淡い恋心が秘められているのかも知れない。それはともかく、「最近の子どもたちはケータイやスマホを使い慣れているので、短い文章が上手だ」という声を聞いたことがある。そうかも知れない。
 上の句に「中三」とあるから、選者もそろって眼をひかれたことだろう。馬場氏が「もう中三なのだ」と書いておられるところを見ると、常連なのかも知れない。いずれにせよ若い人達の登場で、短詩形文学の新しい道が拓かれる可能性を秘めた、いい話だと思う。

 もう一つ、2氏に選ばれた青年の短歌がある。

職業は就活生です新宿のハンバーグ屋で夜行バスを待つ                    安良田梨湖
 第1首に選んだ高野氏の評は「就活の辛さ。これから岡山に帰るのだろう。別の葉書に<『新幹線にせられえ』なんて言うな母よ十か月の就活生に>の歌もある。この歌も良い」というものだ。
 佐々木氏は選んだ10首のうち4首に「会話体の言葉を生かした作が並んだ」と書いておられる。近年の短歌が文語調を離れつつあるのに加え、会話体の導入がが新しい兆しということかも知れない。
 つけても、「職業は就活生」、「十か月の就活生」という言葉に今日の青年の苦悩が見える。少し自嘲の意がこもっているようにも読めて痛々しい。

 ダブってはいないが、安良田さんのもう一つの短歌を永田氏が第一首に選んでおられる。

失恋とおなじだ履歴書返されて気まずい会社が増えるってことは
 永田氏は「安良田さん、返される履歴書に憤慨もするが、失恋に例えられるくらいの余裕があれば大丈夫」と評というより、返信、激励めいた言葉を記されている。
 若者が苦境に耐えつつ短歌を詠む。その姿に共感を寄せつつ、若者たちに明日の短歌界を托したいという、選者のみなさんに共通した思いが読み取れる。

 ボクは短詩形文学としては5・7・5の世界、俳句や川柳が極限に近いと思っているが、歌壇の現況や将来にもしっかりと眼を凝らしていかなければ…と再認識した次第だ。

 

b0142158_1825316.jpgプーシュキンを隠し持ちたる学徒兵を見逃せし中尉の瞳を忘れず

  プーシキンは貴族の出であるが、詩を通じて革命への希求を謳(うた)い、デカブリストの蜂起以後は皇帝の監視下におかれたという。そういう人物の「危険な著作」を隠し持っていた学徒兵を中尉がわざと「見逃してくれた」というのだから、学徒と中尉の緊張感は凄かっただろう。
 今年の関西平和美術展でみかけた短歌だ。芦野壮風氏の書にあった。どこかに芦野氏の書そのものの写真などないか、と探して見たが見つからない。芦野氏の書では「プーシキン」となっていたし、ボクも「プーシキン」と憶えているが、原歌はどうやら「プーシュキン」らしい。

 この短歌の作者、出所を知りたい。探してみるとすぐに分かった。作家、小池真理子氏の父の作品だという。
 「沈黙のひと」という小説に引用されているそうだ。正直言って、ボクは小池氏の小説を読んだことがない。しかし、これは読まねばならんなぁ…とつくづく思った。フィクションと事実がない交ぜになった作品のようだ。
 書評はいくつもあるので、これが一番というわけでもないだろうが、紹介しておきたい(クリック)。
 
 小池氏自身がこの小説を著す背景を書かれている。この文章も興味深い。
 父の遺品――『沈黙のひと』が生まれるまで
パーキンソン病で苦しんだ父。施設に遺されたダンボール箱から――
(クリック)という一文だ。作家自身がこれほど長い文章を書かれるというのも珍しいのではないか。
 早速、手に入れる手はずを整えた次第だ。


 
 大阪に教育文化センターという組織があります。
 目的に「大阪教育文化センター(略称・大阪教文センター)は、すべての子ども・青年の人間としての豊かな発達と未来を保障するために、大阪の教育と文化活動の平和的で民主的な発展をめざし、教職員、研究員、文化運動関係者、父母、府民の共同により、憲法・教育基本法にもとづく教育・文化活動の創造と普及および論理研究をおこなう」と掲げている団体です。
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 その先生たちが、中学校教材「原子核エネルギーと放射線」をつくってくれました。とてもありがたいことです。考えてみると、ボクが少し理系に弱かったせいもあるのでしょうが、中学時代にも高校時代にも原子力のことをまともに学んだ記憶がありません。
 高校で化学の授業が終わる学期末に少しだけ先生が原子力の威力に触れ、「夢のようなエネルギーだ」と語られたくらいです。核融合反応などのことは、その後時々に我流でかじった位のものです。まぁ、それでも少しは分かるようになったとは思いますが、分かりやすく、もう少し体系的に理解したいと願っていました。
 教文センターの先生方が教材づくりを手がけられ、先に「高校教材」ができていました。一応目を通したものの、中学教材、小学教材も手がけられる予定だと知って、その完成を待ちこがれていたのです。
 高度な知識をお持ちの先生方にとっては、先ず高校教材をつくり、それから中学、小学とより分かりやすく、降りていくのが順当なのでしょう。
 しかし、門外漢のボクとしては小学、中学、高校と順を追って、昇っていきたいものです。そんなわけでここへのアップは小学教材ができてから…、とも考えていました。でも、待ちきれません。で、中学教材が完成したのを機に紹介したいと思います。
 36ページもあり、これでもなかなか難しいのですが、熟読すれば面白いものです。
原発と放射線」授業教材・中学校編が完成(クリック)のページから入って、「解説編」のPDFを読むのが適当かと思います。
 ちょっと賢くなった気分になりますよ!
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 スパコンには光と影の部分があります。光は科学を発展させ、私たちの生活を支える、影は軍事なんですね。どの国もセキュリティーのためスパコンの開発を進めている。しかし平和のために使おうと宣言している国は、たぶん日本だけ。私は京で成果をあげて、スパコンというのはこういうふうに使うんだよ、と世界に示したい。
 これは今日の朝日新聞「『京』算式 答え無限大」「暮らし支える開かれたスパコン」の大見出しで掲載されていた記事の一部です。
 道上洋三氏が、理化学研究所・計算科学研究機構長の平尾公彦氏に取材・対談したもので、平尾さんの結びの言葉として紹介されていました。
 平尾さんは「11年11月には世界一の記録を達成した」ものの、その後アメリカに抜かれ、現在「3位」であることを紹介しつつ、「使いやすさでは京が世界一のマシンだと思っています。アメリカの一部のスパコンは軍事機密目的で作られ、限られた人しかアクセスできません。京ほど多くの人たちがアクセスできる、世界に開かれたフレンドリーなマシンはありません」とも語っています。
 道上氏の取材に同行した上原賢子さんはその「同行日記」に「最初のスパコンは、米国で大砲の弾道計算のため開発されたそうです。それから60年余。スパコンの平和利用は日本の責務という思いに共感しました」と書いています。

 ボクはこれはとても貴重な記事だと思いました。
 原子爆弾、水素爆弾、核兵器、原子力発電所etcの例を見るまでもなく、科学の発展が軍事利用に転化され、人類の存亡にかかわる程の重大事態を引きおこしかねないことは、近年日常茶飯に見受けることだと言っても過言ではないと思うからです。
 日頃、便利に使っているカーナビなども軍事利用に端を発したGPS技術のおこぼれであり、一般の利用に供されない先端では、無人爆撃機として現実に運用されているのですから…。
 今、憲法を改悪して「国防軍」まで創設しようという勢力が、スーパーコンピューターの軍事利用に食指を動かしたらどうなるのでしょう?
 いつまでも、スパコンを平和のために使おうと宣言している国であり続けたいと願う科学者を激励し、国民的な支援と監視につとめることは国民の責務とも言えるのではないでしょうか。
 念のため理化学研究所・計算科学研究機構HP(クリック)を訪ねてみると、そんな思いがひしひしと強まります。

<追伸>
 上記記事の「さわり」をラジオの音声で聴けることが分かりました。堂々上々!道上洋三が行く(クリック)という番組で放送されたものでした。
 *これで多分聴けるのだろうと思いアップしてみましたが、いかがでしたか?
先日、石部先生の近著のこと(クリック)に触れたばかりなので、やっぱりこれもアップしておきたい。
大きな限界を感じるのだが、とにもかくにも箸墓古墳に学術調査の立ち入りが認められたという報道だ。当然とはいえ、やっとここまできたかと喜んでいいことだろう。
朝日新聞デジタルなので(クリック)、ログインできない方には続きが読めないかも知れないけれど、それでも一端は窺っていただけると思う。
最近の動向を見ると、やはり邪馬台国は大和という説への裏づけが濃くなってくるようだ。
宮内庁は、学術研究にたいしてもっと謙虚に、真摯に対応すべきだとの思いが募る。
学術的にはとっくに「万世一系」なんて論は崩れているし、「天皇墓」と称する全体像の怪しさは彼ら自身も自覚しているに違いないだろうに…。

つけても、わが友人!
吉井英勝氏が早くに現地に調査に入っていたことが思い起こされる。
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当時の記事を探してみると、あったあった!
「日本共産党の吉井英勝衆院議員(比例近畿候補)は12月16日、古代王権成立の地とされる奈良県桜井市にある纒向(まきむく)遺跡の箸墓(はしはか)古墳(3世紀中〜後半・全長約280メートル)を視察し、墳丘周辺の発掘調査や管理の状況などを聞き取りました。
 同古墳は国内最古級の大型前方後円墳とされ、最近の発掘調査で前方部正面に幅60〜70メートルと推定される大規模な外濠跡が確認されました。古墳の正確な範囲確認と全体の保存が求められています。
 吉井議員は桜井市教育委員会文化財課技師の橋本輝彦氏らから発掘調査の成果などについて説明を受けました。橋本氏は、同遺跡では他地域産の「搬入土器」の出土比率が高く、 農耕具より土木工事用工具が圧倒的に多いことなど、一般の集落と異なる「都市」の特質をもつと解説しました。
 また、同古墳を「陵墓」として管理する宮内庁の福尾正彦・陵墓調査官から葺石(ふきいし)の礫(れき)が調査で出てきた様子や日常の手入れの状況を聞きました。
(写真)奈良県桜井市の箸墓古墳を視察。福尾正彦・宮内庁陵墓調査官から説明を受ける吉井議員(2008.12.20赤旗)

b0142158_21345078.jpg 先生がどう思ってくださっているか承知しませんがボクにとっては身近な先生です。
 読まねば、読まねば…と思いながら少し日がたってしまいました。この数日、通勤の行き帰りにむさぼるように読みながら、今日やっと読了にいたりました。
 う〜ん!と唸ってしまいます。先生の学問研究に対する真摯さと確固性に、ある種の感銘を受けます。
 「本書は未定稿なのですが、古墳に関して、必要なことはだいたい書けたと思っています」と「はじめに」のところにありますが、一好事家にすぎないボクには目を見張るような記述の連続でした。
 この一文では到底書き表せるものではありませんが、石部先生は先ず「古墳とは何か」、古墳は豪族だけの墓ではない、弥生時代にも一般民の家族墓はあったと説き起こします。
 そして、全国津図浦々の古墳という古墳をたくさんの図版とともにていねいに解明されてゆきます。
 ボクは遠方の古墳は吉野ヶ里をはじめ九州の数カ所、山陰、東北などホンの僅かしか知りませんが、何せ百舌鳥・古市古墳群のど真ん中に暮らし、奈良の周辺もちょこちょこ出かけるわけですから、身近さもこの上なしです。で、分かっていたようで分かっていなかったことに次々と気づかされる面白さがありました。
 先生の卓見というか、目を開かされるのは原始社会の末期、「首長制」社会という段階について「しかし、なお、この段階では、日本は階級社会に突入したとまでは言えず、従って『国家』も未成立だったと見なければなりません。首長=王が、まだ所属集団(共同体)のリーダーであり、その集団の利益代表にとどまっている限り、そのような社会は、依然として原始共同体社会であって、階級社会とは言えない、『国家』以前の段階なのです」というくだりでした。「『国家』とは、人と人との対立が、どうにも和解できない敵対関係に陥った時点で、こうした状態をなくすために生み出される暴力装置です」と明快です。
 これ以上、詳細にのべるいとまはなさそうですが、古墳の成り立ちを丁寧に総括して「7世紀ほぼ一杯を費やして、ようやく日本が古代文明の段階まで到達できたのは、それへの始動期とも言える古墳時代前期・中期・後期約400年の歴史があったからです。この期間は、弥生時代以前のような無階級社会ではなく、少数者が多数者を搾取し、支配する不平等な社会に移行してはいましたが、都市はまだなく、文字の使用も限られており、成文法はありませんでした」と初期国家の形成を特徴づけられて締めくくられています。
 とても納得できる結びでした。
 興味、関心のある方にはお勧めです。
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 * クリックで拡大。適当なサイズに直してお読みください。

 こんな企画があります。
 「若者は進路に追われて近代史は素通り」との声…。
 すると年配の方が「その時代に生きていても事実をはよくわからないのです…」と…。
 そんなわけで「読む会」の運びに…。
 もちろんボクも参加を予定しています。
一旦、追記しましたが、やはり別項にしてアップするのがよいかな〜?と…。

☆ さらに追記(10.10.31.記)
 どうも「古池」がひっかかります。
 画像で見ると「池」ではなく「地」、つまり「古地」と書かれているような気がするのです。

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 takumiさんに聞いてみると「風化していてよく読めない」ということなのですが…。
 「古地」ならムリな「解釈」を試みなくても、「古里」の文意がよく伝わると思うのですが…。
 ボクも一度、確かめに行きたいと思っています。




 * さらに追記!
   2012 年1月4日。
   ついに現場に行って確かめてきました。
   見にくいのですが、たしかに「古地」と読めました。
   やはり「故地」の意であろうと確信しました。
 * 前回の記事はこちら(クリック)
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 先日、知人から前触れのあったマンガを買ってきた。
 マンガ本を買うのは久し振りのことだ。
 「増補版・まんが原発列島(大月書店刊)」という。マンガというより「劇画」という方が適切なのだろう。
 22年も前の今日、1989年5月22日が初版第一刷発行日だ。


 原作は柴野徹夫氏というジャーナリスト。作画にはもちろんプロがあたり、内容については原子力の専門家が監修している。驚くほど質の高い内容なので感心した。
 お察しの通り、福島の原発危機にあたって増補・復刊の必要を痛感した人たちの思いがこもっている。
 柴野氏が「まんが原発列島」増補・復刊にあたって「原発依存、きっぱりやめるとき ーー『憲法』を軸足に救援・復興を急ごう」と題する序文を書きおろされた。
 また、「解説 福島原発事故について」安西育郎氏(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)が「するべきことはたくさんある」と題する序文を寄せておられる。
 この二つの序文だけで充分読み甲斐がある。図表が幾つか増補されているが、作品そのものは原作どおりのようだ。
 その内容が素晴らしい!一気に読んでしまった。
 柴野氏は「あとがき」で「わたしがこのドラマを書いた目的は、原発の必要を訴えるためでも、逆に原発反対を説くためでもありません。ただ、十年以上も原発を追い、問題と正面から向き合ってきた一ジャーナリストして、原発をめぐる客観的な事実と状況を、少しでも知ってもらいたいと思いました。そして、ひとりでも多くの人たちーーとりわけ若いみなさんやお母さん方と、原発についてごいっしょに考えてみたかったのです」と作品化の動機を書いておられる。
 22年も前に、こんなに説得力のある、今日の事態に通じる作品があったのか!と驚き、視界の狭さに恐縮してしまった。
 作品としての完成度も高いが、要所に専門用語のひと言解説がくわえられており、原子力科学にまつわる基礎知識が得られる構成も納得できる。
 とにかく、お勧めしたい本だった!