カテゴリ:くらしと政治の原点 ー 憲法( 44 )

 この25、26日、広島県のホロコースト記念館や大久野島、毒ガス資料館を訪問した。
 紀行文ではないので、毒ガス資料館で見つけた一つの資料のことだけを記しておきたい。
 一言触れておけば、大久野島は毒ガス島とも呼ばれる。それはアジア太平洋戦争時に国際法違反を承知の上で大量の毒ガスを製造していたからだ。 
 製造に従事した人の多くが死亡、あるいは後遺症に悩まされ、中国大陸ではその効能を試すために人体実験を行い、かつ、毒ガス使用によって多数の中国人を死に至らしめた。戦後、放置された毒ガス弾の被害は今も続く。
 国際法違反の毒ガス製造の事実を隠蔽するため、大久野島は地図からも抹消されていた。
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 興味深い展示はいくつもあったが、中でも目を引いたのは毒ガス使用命令書だ。見学者の多くはさらりと目を通して流れてゆくので惜しいと思い、音読すると耳を傾けてくれる人が多数おられた。
 ここでは、この一文を書き出しておきたい。

極秘
大陸指第110号
    指  示
大陸命第39号及び第75号に基づき更に左の如く指示す
1、左記範囲に於いてあか筒軽迫撃砲用あか弾を使用することを得
 ⑴使用目的 山地帯に蟠踞する敵匪の掃討戦に使用す
 ⑵使用地域 山西省及び之に隣接する山地地方
 ⑶使用法  勉めて煙に混用し厳にガス使用の事実を秘匿し其の痕
       跡を残さざる如く注意するを要す
2、別紙の如くあか弾及びあか筒を交付す
    昭和13年4月11日 
               参謀総長戴仁親王


 僕の興味を引いた幾つかの点を列挙しておく。
 あか筒あか弾とは、上段の写真にある毒ガス弾を発射する砲筒(軽迫撃砲)と弾頭のことだ。使用することを得とあるので、一見「使っても良い」とも読めるが、実は「使え」という命令にほかならない。
 蟠踞(ばんきょ)する敵匪とは時代がかった言葉だが、広大な土地に根を張っている敵ということだ。敵匪(てきひ)という言葉はもう死語と言ってもいいのだろう。手元の2、3の辞書にはない。が、およその意味はわかる。である匪賊(ひぞく)のことだ。匪賊は辞書にある。徒党を組んで略奪・殺人などを行う盗賊のことだ。日本の侵略に抵抗する正規・非正規の中国人部隊をことごとく敵匪、盗賊とみなし、蔑み、毒ガスを用いて殲滅しようと企んだのだ。
 その使用地域を見て驚いた。山西省及び之に隣接する山地地方とあるではないか。山西省(さんせいしょう)は華北鉄道の沿線にある、どちらかといえば辺境と言っても過言ではない地域だ。解放軍の根拠地の一つであり、ボクの生まれたのは山西省楡次県(ゆじけん)楡次城内なのだ。
 最後のくだりには極めて重要な内容が含まれている。
 勉めて煙に混用し厳にガス使用の事実を秘匿し其の痕跡を残さざる如く注意するを要す
 極力、煙に混ぜて使い、厳に毒ガスを使用したという事実がバレないように注意せよ!というのである。
 なぜこのような仰々しい注意書きが必要だったのか。
 1899年のハーグ陸戦条約は最初の明文規定として化学兵器の国際規制が決められていた。1925年には第一次世界大戦での化学戦での悲惨な結果を踏まえ、ジュネーブ議定書が締結されていた。ジュネーブ議定書の正式名称は「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」というもので、1928年に発効している。
 大久野島を地図から抹消してまで毒ガスの製造を秘匿し、戦地においてはその使用を厳に秘匿と命じたのも、国際法違反を承知の上の暴挙であり、愚行であることを百も承知していたからだった。
 さて、最後に参謀総長戴仁親王のことだ。現場ではこの親王の名を何と読むのかわかる人がいなかった。で、手持ちのタブレットで確認してみると閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)ということがわかった。皇室の一員たる参謀総長による命令だったのだ!
   10月18日、東京・渋谷で街頭行動
   数千人(主催者発表)が参加


 戦争法(安保法制)が「採決」されて1カ月。
 戦争法廃止、集団的自衛権行使の閣議決定撤回を求める声をとどめることはできません。
 18日のシールズによる渋谷での街頭行動では、小林叶(かなう)くんという青年が感動的なスピーチをしてくれました。
 FB(フェイスブック)に小原 美由紀さんのカキコに<<アメリカLA在住の方が文字おこししてくださいました!すごい!>>とありました。

 本文は米国LA在住・鈴木 正師さんからの便りの紹介です。
 渋谷ハチ公前街宣でのICU4年小林叶(かなう)さんのスピーチ。キング師を彷彿とさせる素晴らしい演説。 情理を尽くした演説とはこういうものです。人民を脅かすものは、「そと」にいるのではなく自国の権力であること。だからこそ立憲主義が侵されてはならないこと。貧困とファシズムが共犯関係にあること。それらを、今私が書いているようなわかりにくい説明ではなく、人々の理性と感情にダイレクトに訴えているスピーチです。

 FBには小林君がスピーチしている動画のURLが書き込んでありましたが、なぜかボクのPCでは映りません。で、別のところを探してようやく視聴することができました。
   

 鈴木さんが小林叶君のスピーチを書き起こしてくれましたが、少しだけ違っているところがあるので、補強しました。

  < スピーチ書き起こし >

 渋谷の皆さん、こんにちは。
 国際基督教大学4年の小林です。
 戦後70年の歴史を大きく変える法律が、先月可決されました。
 私も、連日国会前で声を上げました。
 しかし、そんなことには目もくれる余裕がないほど、毎日を生きることに精一杯の人々がいます。
 1日中朝から晩まで必死に働き、それでも子どもを高校へ進学させてやれない120万人のシングルマザー。
 明日自分のクビが切られるかもしれない不安に怯える250万人の派遣労働者。
 ご飯をおなかいっぱい食べることができない320万人の幼い子どもたち。
 私が今こうして話している間にも彼らが考えていることは、
 もし自分の家が生活保護を受けていることがばれたら、周りから白い目で見られてしまうのではないか、ということ。
 大学進学のために奨学金を借りたら500万円もの大金を自分の力で返済できるのか、ということ。
 もし自分一人で子どもを養うとしたら、月10万円の給料でどうやって暮らせばいいのか、ということ。
 もし明日仕事を失ったら、自分の居場所はこの社会に存在するのか、ということ。
 つまり、今日を生き延びることができるか、明日を無事に迎えることができるか、それが彼らの切実な思いではないでしょうか。

 安倍首相は日本を「美しい国」、「すべての女性が活躍する社会」そして、「一億総活躍社会」にしたいそうです。
 しかし現状はどうでしょうか。
 この国には、進学を諦めキャバクラで働き、家族を養わなければいけない10代の女の子がいます。
 この国には、子どもの学費のために裏で自分の内臓を売り、生活をつなぐ母親がいます。
 この国には、何度も生活保護を申請したが拒否され、食べるものもなくやせ細り、命を失った女性がいます。
 この国には、ひとりぼっちで、誰にも看取られることがなく、冬の寒空の下、路上で命を落としていく人々がいます。
 そんな彼らを、「今まで何していたんだ? 努力が足りないんじゃないか!」と切り捨てる。それが日本の政府です。

 私は言いたいです。
 たった一人の、たった一人の子どもの命も救えない、
 たった一人の母親に生きる希望を与えることができない、
 そんな国の言うことを、私達はどうして信じることができますか?

 学費を稼ぐため風俗で働くのは、あなたの子どもかも知れません。
 ストレスと鬱に苦しんで自殺するのは、あなたの父親かも知れません。
 冬、暖房のない部屋でやせ細って死ぬのはあなた自身かも知れません。
 そして政府は、そっとあなたに囁くでしょう。
 食事も住居も用意してくれる、学費も肩代わりしてくれる、そんな仕事があるよ、と。
 そうして、その仕事についたあなたは、他国の脅威から「日本を守る」ため、遠く離れた大地へと送り込まれることになるでしょう。
 しかし、忘れないで下さい。

 あなたが守るはずの日本に、あなたは殺されそうになっているということを。
 あなたにとっての脅威は他国ではなく、この国にあるということを。
 あなたの生活は今まさに、この国によって存立危機事態に追い込まれているんだということを。

 私が思い描くのは、こんな未来ではありません。
 誰もが、心から、生きていて良かったと、自分はこの世界に生まれてきて良かったと言える、
 あなたにしか聞けない声があり、あなたにしか見えない世界があり、あなたにしか語れない言葉がある、
 他の誰でもない、そんなあなたをこの社会が必要としていると、
 そう胸を張って言うことができる、そんな国を、私は夢見ています。

 そのために必要なのは、「強い国」となるための、一発数千億円のミサイルでしょうか?

 違います。
 わたしたちが求めているものは、ただ、大切な人とほおばる温かいご飯であり、
 望む学校へ進学するチャンスであり、
 一人親でも子どもとゆっくり向きあうことができる時間であり、
 ひとりぼっちで悩んでいるあなたをいつでも迎え入れてくれる居場所ではないでしょうか。
 世界があるからあなたがいるのではなく、あなたがいるから世界はあるのです。
 希望なき人々のためにのみ、希望は与えられています。
 終わっているなら始めましょう。

 10月18日、私は安倍政権の退陣を求めます。
 ありがとうございました。

* 初めにアップした時には書かなかったボクの感想をひと言 *
 国民のひとり一人を大切にしようとする決意!
 庶民の暮らし向きの現実を注視するなかで、忍びよる戦争の魔手を見抜く眼力の確かさ!
 その鋭さに拍手を送りたい!
 b0142158_1432391.jpg安倍首相の「70年談話」にこんなくだりがあったことを覚えている方は多いでしょう。
 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
 無責任極まりない表現に批判が殺到しました。
 9月2日、ミズーリ号艦上で降伏文書に調印した70年目の記念日にシールズ(SEALDs)のみなさんが公開してくれた「宣言」は「安倍談話」への見事な反論ともなるばかりか、比べものにならないほど格調たかく、世界に通用するものでした。
 ボク自身の記念のためにもここに記録しておきたいと考えました。
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 アジア・太平洋戦争が終わりを告げてから、70年の歳月が流れました。私たちは、そのうちの20年程度しか生きていません。戦争の時代を生きていない私たちには、知らないこと、知りえないことが数多くあります。しかしだからといって、過去と向き合うことを諦めません。私たちは、過去を真摯に引き受け、平和な未来をつくります。

 満州事変に端を発する先の戦争において、日本は近隣諸国をはじめとする多くの国や地域を侵略し、その一部を植民地として支配しました。多くの人々に被害を及ぼし、尊厳を損い、命を奪いました。私たちは、この国が二度と同じ過ちを繰り返さないために、その過去と真剣に向き合い、自らの責任を果たしていきます。

 先の戦争においては、民間人を含む多くの日本人も犠牲になりました。地上戦の舞台となった沖縄では、旧日本軍の強制による集団自決が行われました。広島・長崎には、原子爆弾が投下されました。数多くの兵士が、望まない戦闘に加担させられ、命を落としました。他にも多くの人々が、空襲や飢え、病気などで命を失いました。私たちは、決してこの悲劇を忘れるわけにはいきません。

 過去の戦争や植民地支配が生み出した不幸は、今日まで続いています。被爆の後遺症に苦しむ人々や、尊厳を傷つけられたままの元従軍慰安婦の方々をはじめ、多くの人々の身体的・精神的な傷は、そう簡単に癒えるものではありません。さらに、被爆者の子孫や在日朝鮮・韓国人に対する差別や偏見などはいまなお残っています。また沖縄の過度な基地負担も、先の戦争が生み出した問題です。私たちは、戦争によって生じた数々の苦痛と無関係ではありません。

 日本は戦後70年間、直接的には戦闘行為に参加せず、曲がりなりにも平和国家としての歩みを続けてきました。その歩みは、多くの先人たちが、先の戦争をふまえてつくられた日本国憲法の精神、とりわけ平和主義の理念を持ちつづけ、幾多の努力を重ねてきた結果です。だからこそ私たちは、平和国家であることのありがたみを噛みしめ、次の世代に受け継いでいこうと思います。

 しかしながら、平和主義の理念は、イラク戦争への実質的な協力などによって危機に瀕してきました。そしていま、日本国憲法に違反する安全保障関連法案が、強行採決されようとしています。政府は国会での議論も十分にせず、最低限の説明責任も果たしていません。自衛隊が提供した弾薬が、誰かの命を奪うこと、そして、自衛隊員やこの国に生きる人々、海外に暮らす日本人の命が、危険にさらされることを許すわけにはいきません。

 私たちは、尊い命を軽んじる態度を、歴史から学ぼうとしない不誠実な姿勢を、目先の利益に捉われる偏狭な考えを、立憲主義や民主主義の軽視を、権力による情報統制を、「積極的平和主義」という偽りの平和を、決して認めません。私たちは、二度と同じ過ちを繰り返さないために、自由と民主主義を守っていきます。

 私たちは、戦後70年という節目にあたって、平和の尊さをあらためて強く胸に刻みます。私たちは、戦争の記憶と多くの犠牲のうえにあるこの国に生きるものとして、武力による問題解決に反対します。核の恐ろしさを目の当たりにした被爆国に生きるものとして、核兵器の廃絶を求めます。私たちは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」、ナショナリズムにとらわれず、世界中の仲間たちと協力し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを」目指します。

 私たちは、自分の頭で思考し、判断し、行動していきます。それを不断に続けていきます。偏見や差別を許さず、思想・信条・宗教・文化・人種・民族・国籍・性別や性的指向性・世代・障害の有無などの様々な違いを超えて、他者を尊重し、共に手をとりあって生きる道を切り開いていきます。

 平和な未来をつくるために、過去と真摯に向き合い、努力していくことをここに誓って、戦後70年にあたっての宣言とします。

       自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)


 念のために書いておくと、SEALDs(シールズ)の正式な名称は標題のとおりですが、Students Emergency Action for Liberal Democracy - sの略です。

 なお、ボクが以前にアップしたボクなりの批判と資料を併記しておきます。
 戦後70年安倍談話のこと!(クリック)
 * 追記 安倍談話に関する資料紹介 *(クリック)
< 第3回 >
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 日本国憲法を押しつけだとか、僅か8日間の検討で押しつけられたとか、騒ぎ立てる人達が後をたちません。で、その検証をかねて2回国立国会図書館の資料をアップしてきましたが、もう一回、これだけはと思いつつ果たせずにきた資料を整理しておきたいと思います。

 一つは、このくだりです。
 憲法改正問題に対する極東委員会の関与
 衆議院における「帝国憲法改正案」の審議開始にあたりマッカーサーは、6月21日、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」および「国民の自由意思の表明」が必要であると声明した。これら議会における憲法改正審議の3原則は、極東委員会が5月13日に決定した「新憲法採択の諸原則」と同一のものであった。このことは、マッカーサーが極東委員会の要求をある程度受け入れたことを意味した。
 衆議院で委員会審議が始まったばかりの7月2日、極東委員会は、新しい憲法が従うべき基準として、「日本の新憲法についての基本原則」を決定した。その内容は、先に米国政府が作成した「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)を基礎とするものであった。その後GHQは、極東委員会の意向に沿う形で改正案の修正を日本政府に働きかけ、その結果、主権在民、普通選挙制度、文民条項などが明文化されるに至った。


 現行憲法を批判する人達はことさらに「GHQの押しつけ」を強調するのですが、この文面を読むとマッカーサーといえども極東委員会の意向に添わざるを得なかったことが読み取れます。当時の極東委員会とはまさに国際社会の代名詞だったことを忘れてはならないと思います。そして、その結果として主権在民、普通選挙制度、文民条項などが明文化されたことのどこにも否定されるべき要素はありません。

 もう一点は、当時、憲法改正案をめぐって、1945年9月から46年初頭にかけて政府関係者のみならず政党、個人からも沢山の試案が発表され、これらの集大成として今日の憲法が成立していることです。
これらの中には革新的なものも、旧守的なものも含まれていました。その全体が国民的な討論、検討の中で淘汰され、今日の憲法に実っていることを見落としてはなりません。
 国立国会図書館が紹介しています(クリック)
 とくとご覧下さい。

 ボクは1944年(昭和19年)8月、中華民国山西省愉次県愉次城内に生まれました。45~46年と言えば父母の庇護のもと命懸けの引き揚げ行のさなかにあったのです。父母も国内でかくも熱い論議が交わされ、憲法が実を結びつつあったことは知らなかったでしょう。もちろん幼児のボクには知るよしもありませんでした。でも、憲法が成立する過程を学んだとき、そうだったのかと震えるような感動を覚えました。
 この憲法を「押しつけ」などと称して根底から突き崩そうとするきな臭い動向は断じて許せないと心から思っています。
憲法学者に聞いた
    ~安保法制に関するアンケート調査の最終結果

 とても興味深い、考えさせられる資料です!
 これでも安倍氏や自民、公明は強行するというのでしょうか!
 どうやら、維新・橋下氏も相乗りしそうな気配ですが…!
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 出所はこれです。個々の研究者の意見も読めます!
 憲法学者に聞いた~安保法制に関するアンケート調査の最終結果(クリック)
< 第2回 >

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 国立国会図書館が「日本国憲法の誕生」というコーナーを設け、詳しい解説と資料をアップしています。本論に入る前に押さえておきたいことがあります。
 衆議院、総選挙の継続性=戦後最初の総選挙
 戦後最初の総選挙は、「帝国憲法改正」を目前にした1946 年(昭和21年)4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙でした。
 「帝国議会議員」最後の選挙です。b0142158_1443618.jpgb0142158_1472957.jpg
 この総選挙は女性の参政権を認めた最初の選挙でもありました。

 戦前から続いていた枢密院、衆議院、貴族院のうち、新憲法によって枢密院と貴族院は廃止され、貴族院は形を変え参議院となりましたが、衆議院は今も継続しています。
 ですから、総務省の資料によっても総選挙の第1回は1890年(明治23年)で、昨年の総選挙(2014年)は第47回と明記されています。
 参議院選挙の第1回は1947年(昭和22年)であり、一昨年の参議院選挙(2013年)は第23回となっています。
 この区別をきちんと押さえることは、形式上の違いではなく、本質的な意義を持つものと考えるべきでしょう。
 現行憲法は帝国議会で決定された
 「日本国憲法の誕生」というコーナーには膨大な資料が蓄積されているのですが、その概説の一コマを読んでみましょう。

 第4章帝国議会における審議は、枢密院への諮詢、総選挙と衆議院における審議、貴族院における審議と憲法の公布、憲法改正問題に対する極東委員会の関与という4節からなっており、憲法改正・現行憲法成立の経過が順を追って説明されています。
 強調したいのは、大日本帝国憲法の「改正」を審議したのは「帝国議会」であったということです。以下は、その概略です。

 1946 年(昭和21年)4月10日 第22回衆議院議員総選挙執行
 5月16日 第90回帝国議会召集
 6月20日 「帝国憲法改正案」 明治憲法第73条の規定により勅書
      をもって議会に提出
 6月25日 衆議院本会議に上程
 6月28日 芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会に付託
   7月1日 委員会審議開始
   7月23日 修正案作成のため小委員会設置
        小委員会は、7月25日から8月20日まで非公開のも
        と懇談会形式で進行
   8月20日 小委員会は各派共同により、第9条第2項冒頭に「前
        項の目的を達するため」という文言を追加
        (いわゆる「芦田修正」などを含む修正案を作成)
    翌21日 共同修正案を委員会に報告 修正案どおり可決
 8月24日 衆議院本会議において賛成421票、反対8票という圧倒
      的多数で可決
 同日貴族院に送付

 8月26日 貴族院本会議に上程
 8月30日 帝国憲法改正案特別委員会に付託(安倍能成委員長)
      特別委員会は9月2日から審議に入り、9月28日には修正
      のための小委員会設置を決定 
      小委員会は、いわゆる「文民条項」 の挿入などGHQ側
      からの要請に基づく修正を含む4項目を修正
 10月3日 修正案を特別委員会に報告 小委員会の修正どおり可決
 10月6日 修正された「帝国憲法改正案」は貴族院本会議において
      賛成多数で可決
 改正案は同日衆議院に回付
  翌7日 衆議院本会議において圧倒的多数で可決

 10月12日枢密院に再諮詢、10月29日に全会一致で可決

 「帝国憲法改正案」は天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布。1947年5月3日施行。

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 このように、現行憲法は帝国議会の席で時間もかけ、テーマも多岐にわたりつつ、真剣な議論がされ、「帝国憲法改正」という形で成立しています。
 「押しつけ憲法論者」は、正規の国会で論議され、議決されたという重大な事実に目をつむり、ただ一方的に「押しつけられた」と騒ぎ立てているに過ぎません。「議決無効」とでも言うつもりでしょうか。
 
 * 右は、昭和天皇の裁可文書。下は御名御璽
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 Googleで日本会議の画像を検索しているとこんなビラに行き当たりました。
 「押しつけ憲法論」そのもの、既に各方面からの批判がある陳腐な議論です。
 が、あまり触れられていない大事な論点が隠されているようにも思えます。
 2〜3の点について、ボクなりに検討してみたいと思います。
 GHQの関与は不当か?
 言うまでもないことですが、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏しました。アジア太平洋戦争の終結、戦後の出発点の基礎はここにあります。
 マッカーサーは連合軍の司令官として憲法改定の作業に関与したわけで、アメリカの一存だけでは関与し尽くせない一面を持っていました。極東委員会の存在がそれです。
 ポツダム宣言の核心は動かせません。その核心は3点です。

 六、吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず

 十、吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加えられるべし 日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし 言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし

十二、前記諸目的が達成せられ 且つ 日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し 且つ 責任ある政府が樹立せらるるに於ては聯合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし

 つまり、先の戦争をしかけた権力、勢力の除去。民主主義的傾向の復活強化と基本的人権の尊重。責任ある政府の樹立を見届けた上での撤収の3点です。
 極東委員会やGHQの関与がこの3点を逸脱していたのなら不当な干渉と言うことができるでしょう。時の政府がこの3点を無視、あるいは軽視したからこそ、GHQや極東委員会が関与したのだという事実にこそ目を向けなければなりません。

 まだ、天皇制のもとでの「政府」が継続している中、ポツダム宣言を無条件、全面的に受け入れたはずの時の政権が正面からその具体化をはかる能力がなかった。その無知、蒙昧、頑迷さこそ批判されるべきだったのだという点を忘れてはなりません。
 今日は憲法記念日!
 ところが、マスコミなどを見ると改憲論がかまびすしい。
 改憲論者が大手を振っている。
 マスコミは進んで牽制する責任があるのではないか。
 自民党などが消し去ろうとしているこの条項。
 その尊重を強く指摘すべきではないのか。
 最高法規としての規定なのだから…!
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 改めて、憲法全体の意義を再確認したい!
   *条文はクリックで拡大できます*
 いっせい地方選挙、後半戦たけなわです。
 ボクもこの一週間、乞われて久しぶりの街頭演説に出かける日々を過ごしています。
 訴えの骨子だけアップしておこうと思います。

みなさんの一票は、日本を絶対戦争する国にさせない、平和を守りぬく一票です!
 朝日新聞では自民党元副総裁山崎拓氏が「今回の安保法制は、米国のいわば『番犬』となるための法整備となりかねない。米国が国連決議なしに中東の紛争に関わる時、『番犬』として自衛隊が巻き込まれるのは馬鹿げている」「他国の戦争に出て行かないことこそ本当の平和主義」と語っています。
 テレビの対談で自民党元幹事長の野中広務氏は「自衛隊を海外へ出したら、必ず戦死者が出る。大変な過ちを犯そうとしている。本当に戦後70年は何だったのか。悔しくて、悔しくて夜も眠れないほど悔しい」と語り、同じく元幹事長の古賀誠氏が「とんでもない法制化がすすめられようとしている。自民党の先生方、何で黙っているんだ。ここで声を出さなければ日本の平和はどうなって行くのか」と応じました。しかし、この声に自民党や公明党、維新の候補者はまともに応えられません。「戦争あかん。平和でないといかん」と言える候補者はいないじゃありませんか。維新の橋下さんも大阪市をぶっ壊す住民投票を「憲法改悪の予行練習」とまで言い切り、安倍さんと意気投合しています。

みなさんの一票はみんなの暮らしを守る一票、大阪・富田林を守り、地方自治を守る一票です!
 安倍さんはアベノミクスと言って経済政策・景気対策を推進しているように見せかけています。でも、彼らの眼中にあるのは株価が上がったかどうかということばかり。肝心の庶民のフトコロ、モノを買う力、購買力があがったかどうかなんて眼中にありません。
 国民は消費税があがり、物価が上がり続けて困っているではありませんか。新聞世論調査では75%の方々が景気回復の実感無いと回答しています。富田林でも市民全体の所得は減り続け。ところが年収2000万円以上の人の所得は増えています。格差がどんどん広がっているのです。

みなさんの一票は住民こそ主人公つらぬき、みなさんのお役に立てる党・候補者を選ぶ一票です!
 先日の朝日新聞折々の言葉欄に「いい専門家とは、いっしょに考えてくれる人のことです」という言葉が紹介されていました。

どうかみなさん 平和のために、暮らしをまもるために、住民こそ主人公を貫き、身近に役立つ人を選んでください
 大阪の地方政治紙に急かされて急きょ書いたボクの一文が掲載されました。発行まで待つのが作法かと考え待っていました。記録の意味で全文をノートしておきます。なお、大見出し、小見出しは編集部につけてもらいました。図版2点も掲載してくれたので、それもアップしておきます。
 
  暗黒時代への逆戻り許すな
     ー治安維持法廃止が問うもの

                
 今年は第2次世界大戦終結、治安維持法廃止70周年にあたります。沖縄戦終結、ヒロシマ・ナガサキ被爆、「終戦・敗戦」70年です。が、東南アジア諸国の人々にとっては日本帝国主義からの解放70周年であり、国際社会では国連発足70周年という意義を持つ年です。

 「満州事変」と侵略戦争
 天皇の新年の感想が話題になりました。「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」。
「加害の事実」に言及されていないのは物足りませんが、このくだりには目がひかれます。
 一般に、第2次世界大戦の始まりは1939年のドイツ軍によるポーランド侵攻とされ、日本の参戦は41年12月8日の米・英への宣戦布告によるとされます。しかし、実際には31年9月18日の「満州事変」以来、世界に先がけて「侵略戦争」に突入していたのです。
 「奪いつくし、焼きつくし、殺しつくす」という「三光作戦」、人を「マルタ」扱いする残酷な人体実験などなど、日本軍が残虐の限りをつくした記録はあちこちに残っており、「従軍慰安婦」問題もその文脈の中にあります。
 先の戦争の結果を「終結」とする表現には科学的で理性的な意味あいがこもっています。が「終戦なのか、敗戦なのか」という議論にはそれなりの意味があるようにも思えます。「誰がしかけた戦争だったのか」、「誰が敗北した戦争だったのか」という根源的な問いが潜んでいるからです。

 戦争への周到な準備
 国家間の戦争は国家・権力がしかけるものです。国民は兵士として、あるいは「銃後」において、これに従うことが強制されます。国家・権力は国民を戦争に巻き込むために周到な準備をします。情報の管理、報道・言論・表現への干渉、集会・結社の規制、あるいは反戦・平和をめざす勢力への迫害・弾圧のシステムなどが戦争準備の過程で仕上げられてゆきます。
 治安維持法はその最たるものでした。
 1925年に成立させられた同法は「国体の変革」、「私有財産の否定」を目的とした一切の言動を苛酷に取り締まるものでした。28年には最高刑を死刑に変更、41年には全面改悪されたうえ、拡張解釈が常態化し、思想、学問、政治活動の一切が窒息させられました。これに抵抗した人々は逮捕、投獄、虐待、拷問、獄死あるいは廃人同様の憂き目にあわされました。その記録は枚挙の暇がありません。

 治安維持法の廃止
 b0142158_1016330.jpg稀代の悪法、治安維持法が公式に廃棄されたのは45年10月15日のことでした。日本がポツダム宣言を受諾し、全面・無条件降伏した8月15日から2ヵ月も後のことです。当時の支配層が「敗戦」の事実を糊塗し、「国体の護持」、「共産主義者への弾圧継続」を公言、抵抗を続けたため、その廃止が遅れたからです。
 治安維持法廃止の勅令第575号は思想犯保護観察法という国内法をはじめ、関東州治安維持令・保護観察令、朝鮮思想犯保護観察令・臨時保安令など中韓両地域への弾圧法制の廃止をも含んでいました。国内政治犯の「釈放」に止まらず、北東アジアの人々への文字通りの「解放令」だったわけです。

 ポツダム宣言否定の勢力
 日本が受諾したポツダム宣言は軍国主義の除去、戦争犯罪人の処罰と民主主義の復活などを主な内容としたものでした。この宣言に基づく一連の措置は決して「勝者の驕り」によるものではありません。ところが、安倍首相をはじめ暴走を支える一連の勢力はこれを全面否定し「自虐史観」などと攻撃する歴史修正主義の立場に立っています。

 秘密法直ちに廃止を
 こういう勢力が具体化し、昨年12月10日に発効した「特定秘密保護法」が戦前の「治安維持法」と軌を一にするものだとの批判と疑念には根拠があります。
 この1月、内閣官房はホームページに「各行政機関における特定秘密の指定状況一覧表(平成26年末現在)」をアップしていますが総計382件の省庁別件数が記録されているだけで、その具体的内容は標題すらわかりません。「安全保障」を口実に軍事・外交上の重要問題が次々と「秘密」のベールにくるまれ始めているのです。
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 内閣官房が公表している同法の「Q&A」にはわざわざ「コラム」が設けられ「アメリカよりはましだから安心せよ」と言わんばかりのことが書かれています。例えばアメリカでは「安全保障情報(経済含む)」が秘密だが、日本ではその「一部」に限定している。アメリカでは秘密指定期間は75年だが日本は60年だ。アメリカでの罰則の最高刑は死刑だが、日本では懲役10年だという具合です。ふざけるのも程ほどにしてもらいたいと言いたくなるコラムです。こんな悪法は直ちに廃止させましょう。

 70年の意味
 安倍自民党は「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」と叫び、集団的自衛権の法制化をめざして暴走を続けています。8月15日には「村山談話」を否定する新たな「談話」を出すのではないかと注目される昨今、この70年の意味を深く考えることは大切なことだと言えるでしょう。