カテゴリ:東京オリンピックによせて( 9 )

 サッカーW杯が始まりました。それはそれで楽しみもあるけれど…。忘れてはならない現実もある…。その両面を直視したい。
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      飢えと街壊し!

 W杯報道にも、この画像にも心を寄せてほしい…!
ブラジルW杯の裏で。
ブラジル国民が街に描いた20のアートが心に刺さる
(クリック)
 このコメントをアップしておかなければ、気がかりでどうにも年を越せないという思いがするのが、東京オリンピックのことです。
 来年からは少し装いを変えて書き続けようとは思っているのですが、このくだりを記しておかねば先へ進めません。

 それは国際オリンピック委員会(IOC)総会・プレゼンでの安倍首相の発言のことです。
 安倍首相はプレゼンで次のような発言をしました。
 「福島について案じている向きには、私から保証をいたします。状況はコントロールされている」
 「汚染水による影響は港湾内の0.3平方㎞の範囲内で完全にブロックされている」

 この発言は事実上「国際公約」と受けとめられました。この発言がが「評価」され、東京への招致を決める有力な手がかりになったことは明白です。
 問題はこの発言が虚偽にまみれたものであったことです。
 東電の技術顧問は直後に「いまの状態はコントロールできていない」と明言しました。菅義偉官房長官も「水は当然(港湾内と外洋とを)行き来している」と認めました。
 その後も、汚染水漏れのトラブルは続発しています。外洋への流出も明らか、「ブロック」どころか制御不能というのが実態です。
 つまり、安倍首相は誇大なウソをついて「東京への招致」を「成功」させたのです。しかもその後も、この発言を実行し、裏打ちする誠意ある努力をしているとはとても見えません。
 ボクは当時、フェイスブックにこんな画像をアップしておきました。
 
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 ここ2ヵ月余、「軍国主義者と呼ぶなら呼べ」と豪語し、日本版NSCを発足させ、特定秘密保護法を強行、武器禁輸3原則の逸脱、靖国参拝と続けてきた、安倍首相の一連の発言と行動を見るならば、とても危なっかしいものを感じないワケにはいきません。
 それは、安倍首相がオリンピックを国威発揚・ナショナリズム昂揚のために悪用するのではないか、という疑念です。
 国際公約にも反し、スポーツの根本理念をも蹂躙するような東京オリンピックへの変質は断じて許されません。国民的な監視がどうしても必要だと思うのです。

 *冒頭に書いたとおり、このシリーズは一旦措いて別の形で折々に書き続けます*
 
 
高円宮妃久子氏のスピーチは「国家事務」だった?!

 高円宮妃久子氏のオリンピック・プレゼンでの「冒頭発言」を巡っては色々な報道がされています。そのポイントは安倍内閣が皇室(皇族)を「政治利用」したのかどうか、ということなのですが、そこにポイントをしっかり当てた正確な報道は見あたりません。

b0142158_16375533.jpg 久子氏自身は朝日新聞記者の取材に答え、「『東日本大震災被災地支援へのお礼を申し上げるのが目的』、『招致委員会の足を引っ張りたくはなかった』とも述べ、招致活動への配慮もうかがわせた」とされています。

 プレゼンの出席に先だって注目されるべき報道がありました次のようなものです。

 久子さまは、7日にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されるIOC総会に出席し、日本の招致プレゼンテーションの冒頭で、IOCからの震災支援に対し、お礼のあいさつをされる予定となっている。

b0142158_16395485.jpg日本の皇室は、政治的な活動と距離を置いてきたことや、招致活動を政治的な活動とする立場から、宮内庁の風岡典之長官は2日、政府からの強い要請を受けた今回の決定を、「苦渋の決断」とし、「両陛下もご案じになっているのではないか」と述べた。
 菅官房長官は「今回の場合は、(皇室の)政治利用にあたらないと」と述べた。菅官房長官は、首相官邸が宮内庁側に久子さまの総会出席を要請したことを明らかにしたうえで、「復興支援に謝意を表していただくのが趣旨で、皇室の政治利用とか、官邸の圧力という批判にはあたらない」と強調した。そのうえで、「宮内庁長官の立場で両陛下の思いを推測して言及したことについて、非常に違和感を感じる」と述べ、風岡氏を批判した。

 明らかに首相官邸と宮内庁の間に激しいつばぜり合いがあったことを物語る報道です。

 その後、「宮内庁の風岡典之長官は12日の記者会見で、高円宮妃久子さまの国際オリンピック委員会(IOC)総会出席をめぐって『天皇陛下の憲法上の立場と、それを支える皇族方の活動のあり方をよく整理し、改めて考える必要がある』と述べ、今回の件を機に、皇族の活動についての考え方を宮内庁内部でまとめる方針であることを明らかにした。
 風岡長官は当初、久子さまについて『総会には出ず、招致には携わらない』と説明したが、実際は総会の東京招致プレゼンテーション冒頭でスピーチしたことについて『妃殿下は震災の被災地支援へのお礼であいさつしたのであり、招致活動ではない。当初の説明と違う結果になったが、最終判断は現地にゆだねるということでやむを得ない』と容認する考えを示した。
 久子さまが多くのIOC委員と会ったことについて『多くの人にお礼のあいさつをするのは自然なこと。だれに会ったかはできるだけ把握するよう努めたが、私的活動なので細かく聞く必要はない』と答えた」との報道があります。

 どう読んでも、風岡長官は「被災地支援へのお礼のあいさつ」であり、「招致活動ではない」と強調し、「私的活動」の範疇に収めようとしていることが窺えます。

 また、山本信一郞次長も「久子さまのスピーチ内容は『招致活動のラインは越えていない』,『日本の皇室の抑制的ななさりようを理解していただけたと思う』と述べた」そうですが、実は「宮内庁は久子さまがスピーチ終了後は退席するように招致委員会側に求めていたが,相談を受けた官邸側が『中座では逆効果になる』と拒んだ」のでした。また、「政府高官は『(久子さまに)いっていただかなければ結果が違っていたかもしれない。本当によかった』と振り返る」との報道もあります。

 注目されるのは、風岡長官発言の冒頭部分に「国際オリンピック委員会(IOC)総会出席をめぐって『天皇陛下の憲法上の立場と、それを支える皇族方の活動のあり方をよく整理し、改めて考える必要がある』と述べ、今回の件を機に、皇族の活動についての考え方を宮内庁内部でまとめる方針であることを明らかにした」とあることです。


b0142158_1641938.jpg これに対し、「再び癇に障った菅長官は、翌13日にすぐさま反論」したということです。こんな報道です。

 「宮内庁『独自』の判断によって、そういうことをする(皇室活動のあり方について検討する)ということだが、『宮内庁を所管する国務大臣』として、これまでの経緯を踏まえて、開かれた皇室を実現するという観点からも、内部でしっかり考え方を整理してほしい。その結果はしっかり報告を受けたい」と述べ、宮内庁に注文をつけた。

 まるで「宮内庁の勝手な解釈・判断は許さないぞ!」と言っているに等しい激しさです。

 ここで改めて確認しておきたいのは、天皇や皇族の活動に関する諸規程です。

 先ず、憲法第3条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ」とあり、第4条で「天皇は…国事行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めたうえで、第7条でその国事行為の内容が10項目に絞って明示されています。
 言うまでもなく「国政に関する権能を有しない」のは天皇ばかりでなく、皇室全般(皇族)も同じことです。

 この天皇と天皇以外の皇室・皇族の活動と身辺にまつわる事務を取り仕切っているのが宮内庁です。これは宮内庁法で次のように規定されています。
宮内庁法
第一条  内閣府に、内閣総理大臣の管理に属する機関として、宮内庁を置く。
2  宮内庁は、皇室関係の国家事務及び政令で定める天皇の国事に関する行為に係る事務をつかさどり、御璽国璽を保管する。

 「国家事務」とはあまり聞き慣れない言葉ですが、宮内庁のHPでは、次のように説明されています。
 皇室関係の国家事務には,天皇皇后両陛下を始め皇室の方々の宮中における行事や国内外へのお出まし,諸外国との親善などのご活動やご日常のお世話のほか,皇室に伝わる文化の継承,皇居や京都御所等の皇室関連施設の維持管理などがあります。
 つまり、皇室(皇族)の政治的権能にかんする以外の諸活動と身辺の世話に携わるのが宮内庁の仕事ということです。

 さて、結論です。
 先に見たように、安倍首相はオリンピック招致を「国家戦略」と位置づけていました。この戦略にもとづいて、政権・政府が(JOCの要請ではなく)高円宮妃久子氏のオリンピック・プレゼン出席を求め、久子氏が異例のスピーチをおこなったのです。
 この結果に宮内庁は弱りきって、当初は出席を渋り、スピーチはしたとしてもそれは「被災地支援へのお礼」に限り、終われば直ちに退席という絵を描いたのでした。しかし、その策は水泡に帰してしまいました。
 久子氏のスピーチが東京への誘致の決定的な一打になったことは、国際的にも疑う余地がありません。
 政府は「開かれた皇室」を口実に、皇室の政治的利用の扉をこじ開けたのです。
 宮内庁が果たして今回の久子氏のオリンピック・プレゼンへの参加が通常の「国家事務」に該当したのかどうかを検討することも許さないという、強硬な姿勢を示しているのです。
 安倍首相はオリンピック招致をアベノミクスの「第4の矢」とまで公言し有頂天になっています。つまり、オリンピックを「国家戦略」の一環にさせ、「国威発揚の場」にしたてあげようとしているわけです。しかし、これは憲法上も、宮内庁法にもとづいても重大な疑義のある、厳しく批判されるべき事態だと言わねばなりません。
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 招致委員会はオリンピックプレゼンに久子氏が登場したことを公式には書けない。しかし、世間ではその報道が走り回り、久子氏のスピーチが高く評価されている。
 政府関係者は、誘致活動ではなく、「被災地支援へのお礼だ」と強弁し続ける。皇室の政治利用だったのかどうかをめぐって、内閣官房と宮内庁がつばぜり合い。
 素知らぬ顔で、安倍首相は「国家戦略」だ、「第4の矢」だとはしゃぎまわる。
 事態はまさに「政治的」に進行し、いつまでたっても赤信号が灯り続けているのです。(続く)
 
この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります

高円宮妃久子氏のスピーチは何だったのか?
 高円宮妃久子氏は、9月7日アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたIOC総会に出席し、日本の招致プレゼンテーションの冒頭で「あいさつ」をしました。フランス語、英語でのスピーチそれ自体は流暢で見事なものだったと言っても良いでしょう。このスピーチが東京招致の決め手だったという報道が、国内外のあちこちに見えます。
 当然のことながら、誰もが久子氏は「プレゼンに参加した」と受け取っているのです。ところが、驚いたことに「2020東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」の公式ホームページにはその記述は全くありません。
 このHPには、8月23日付けで「招致出陣式」の報道があり、9月08日付けで「プレゼンテーション実施」の報告がアップされています。

 「出陣式」でプレゼンターとして紹介されている顔ぶれは次のとおりです。
 猪瀬 直樹 (東京都知事/招致委員会会長)、竹田 恆和 (招致委員会理事長)、水野 正人 (招致委員会副理事長/専務理事)、太田 雄貴 (招致アンバサダー/オリンピアン)、佐藤 真海 (パラリンピアン)、滝川 クリステル (招致”Cool Tokyo”アンバサダー)、政府関係者
 「実施報告」にはプレゼンターが登壇順で紹介されています。
 佐藤 真海 (パラリンピアン) 、竹田 恆和 (招致委員会理事長) 水野 正人 (招致委員会副理事長/専務理事) 、猪瀬 直樹 (東京都知事/招致委員会会長) 、滝川 クリステル (招致“Cool Tokyo”アンバサダー) 、太田 雄貴 (オリンピアン/招致アンバサダー) 、安倍 晋三 (内閣総理大臣)

 ご覧の通り「招致委員会」 (従ってJOCも)は、高円宮妃久子氏が公式に「プレゼンに参加した」とは書けないのです。しかし、久子氏はその発言を「チームジャパンがこれからプレゼンテーションを始めます。説得力のあるものとして聞いていただけると思います」と結んでいました。明らかにプレゼンの「冒頭発言」だったのです。

皇室・皇族を「政治利用」した安倍首相、そして内閣
 プレゼンの冒頭発言者が、招致委員会の公式記録に記録されない。高円宮妃久子氏は公式にはプレゼンに参加していないという扱い。
 これはどういうことでしょうか?
 ここに皇室・皇族を「政治利用」する安倍内閣、安倍晋三氏のよこしまな素性がはっきりと読み取れます。
 細かな経過をいちいち例証するのは避けますが、招致委員会会長(東京都知事)猪瀬直樹氏は、早くに安倍首相に招致の協力を申し入れ、安倍氏は「東京招致は国家戦略」と応答していました。すかさず猪瀬氏が「ならば皇室・皇族を動かせ」とせまったことが窺える報道があります。
 猪瀬氏は、東京招致が決まったあと、高円宮妃久子氏のプレゼンへの参加を「自身の発案だったことを明かし、『われわれが持っている伝統的な力は何かというものを切り札とした』」と述べ、「皇室が持つ影響力の強さに頼った」との報道がそれです。
 もとより、いかに猪瀬氏とはいえ、皇室・皇族を直接、「意のままに」に動かせる道理はありません。オリンピック招致を「国家戦略」と定めた安倍晋三氏らのとんでもない皇族の「政治利用」、憲法逸脱の暴走が始まったのです。
 次回は、そのいきさつを検証してみます。(続く)
この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります

 繰り返しになりますが、ナチス・ヒトラーのオリンピックを利用したプロパガンダを再確認しておきます。
 ナチスのプロパガンダ — 歴史映画の場面(クリック)

 そのドイツの新聞が、今回の東京へのオリンピック招致を次のように指摘しています。
 日本政府は東京でオリンピック開催をする為にプロパガンダを行ない成功した!(クリック)
 お読みになって分かるとおり「2020年東京オリンピック開催は日本政府が行ったプロパガンダ行動により勝利した」と明確に述べ、「ナショナリズムの再復活」を危惧しています。

 このように日本の「プレゼン」は国際的には「日本政府によるプロパガンダ」とみなされているのです。これは明らかに「オリンピック憲章」の精神に反します。
 再度、オリンピックの根本原則を確認してみましょう。

 3. オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体による、IOC の最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。
それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる五輪である。

 5. スポーツが社会の枠組みの中で行われることを踏まえ、オリンピック・ムーブメントのスポーツ組織は、自律の権利と義務を有する。その自律には、スポーツの規則を設け、それを管理すること、また組織の構成と統治を決定し、いかなる外部の影響も受けることなく選挙を実施する権利、さらに良好な統治原則の適用を保証する責任が含まれる。
 
 さらに、 オリンピック・ムーブメントとその活動の諸条項の27項には NOC の使命と役割という項目もあります。

 5. NOC は、使命を達成するためには、政府機関と協力してもよい。それらの機関とは調和のとれた関係を作り上げる。しかしながら、NOC はオリンピック憲章に反する活動には一切関わらないものとする。NOC はまた、非政府組織と協力することもできる。

 6. NOC は自立性を保持しなければならず、オリンピック憲章の遵守を妨げる可能性のある政治的、法的、宗教的、経済的圧力などを含む、あらゆる種類の圧力に抗しなければならない。

 オリンピック憲章は国際的にはIOCの最高権威性を宣言し、各国においてはNOC(日本ではJOC)の最高権威性の発揮を求めているのです。NOC(JOC)の任務は「自立性の保持」、「あらゆる種類の圧力に抗する」ことが基本であり、政府機関とは「協力してもよい」だけのことです。

 政府や国会、東京都や都議会、NHKやマスコミ陣には、この原則をしっかり踏まえた検討や報道ができるか?
 ボクの注文の第二はこの点です。
 特に、プレゼンにおける皇族の政治利用、安倍首相の虚偽発言には重大な疑問を持っています。次回、次々回でこの点について検討してみたいと思います。(続く)
 この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります
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    *画像はクリックで拡大できます。適当なサイズに直してご覧ください*

 オリンピック憲章の冒頭には「オリンピックの根本原則」として7項目がうたわれており、その第2項には「オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある」と明記されています。「平和な社会の推進」という言葉は、深い歴史の反省が込められた重い言葉です。

 「ヒトラーのオリンピック」と言われる1936年のベルリン大会は「国威発揚」、ファシズムへの熱狂を煽る恰好の機会にされました。大会を機につくられた映画「民族の祭典」がその間の事情を浮き彫りにしています。

 ある人は「民族の祭典』(1938)」について、「ヒトラーにより、政治的かつ劇的に利用された、最初のオリンピック」、「ナチス・ドイツによって最大限に利用されたプロパガンダ」、「ドキュメンタリーの形をとった一大プロパガンダ」と評しています。この作品には「観客にとっては何処までが真実で、どこからが嘘なのかを見抜くのは至難の業」という「技巧」がこらされていたからです。

 故、淀川長治氏も映画自体の「凄さ」に感歎しつつも、「この『民族の祭典』出た頃、『美の祭典』が出た頃、日本人は全部ドイツに傾いちゃったんですね。『ドイツは偉い国だ!ドイツは立派な国だ!ドイツはええな。』と言うのでみんなドイツ語流行ったんですね。という訳で映画の力は怖いですね。で、これはこの映画観た後で日本はドイツと組みましたね、戦争で。日本人はそれは当たり前と思いましたね。それぐらいドイツに惚れ込みましたね」と、その「伝搬力」に感歎しているほどです。
 
 オリンピックを「国威発揚」の具、「国策」の具にしてはならない。その反省を踏まえて、戦後、「平和の祭典」としての再起をめざしたのです。現行のオリンピック憲章が「国家間の競争ではない」とあえて明記しているのもその故でしょう。

 このようなオリンピック(オリンピック・ムーブメント)の原点を、国や国会、東京都や都議会、NHKやマスコミ陣にしっかり踏まえてもらいたい、それは、単に東京でのオリンピックにとどまらない、というのがボクの注文の第一です。(続く)

*なお、ここで引用したブログ等の所在を紹介しておきます。
 『民族の祭典』(1938) ヒトラーにより、政治的かつ劇的に利用された、最初のオリンピック(クリック)
 淀川正治氏の評(クリック)
 ☆「民族の祭典」はほとんどが、圧縮された短時間のものです。   全編(1時間55分)はとても長く、おすすめはしませんが、見つ  かりにくいので一応紹介しておきます(英語版です)。
  Olympia Part 1 Fest der Völker 1938 with English Subs(クリック)
この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります

b0142158_2125663.jpg これはベルリンオリンピックに聖火リレーが入場するときの画像です。
 オリンピックで聖火を灯すことは前からあったようですが、聖火リレーが導入されたのはこの大会が初めてでした。直接には大会事務局長のカール・ディナールの発案ということですが、決定したのはゲッペルスとヒトラーです。
 ヒトラーが起こしたナチス党がしばしば催したのが「たいまつ行進」です。大衆の感情を昂揚させるために、ナチスは集会を開くのにわざと夜を選び、党の軍事組織である突撃隊にたいまつ行進を行わせました。漆黒の闇のなかに揺れ動く数万のたいまつの火。その原始的で神秘的な光景にドイツの大衆が陶酔しました。
 その「たいまつ行進」をオリンピックに持ち込み、「聖火リレー」に仕立てあげ、「国威高揚」の恰好の道具にするのがヒトラーやゲッペルスのねらいだったのです。
 オリンピック発祥の地であるアテネから開催国に「聖火」を運ぶ「リレー」は、当時のドイツ国民にとっては確かに大きなロマンであったことでしょう。そこにナチス・ヒトラーへの「熱狂」を加重する効果が期待されたのです。一説によれば、優勝者への表彰に際して「国旗」を掲揚し、「国歌」を演奏するのも、このオリンピックが始まりだったということです。

 念のために言えば、一般に表彰式では「国旗」が掲揚され、「国歌」が演奏されていると思われがちですが、IOCやJOCの本来の見地から見れば正確ではありません。
 日本オリンピック委員会がホームページに掲載している「オリンピック憲章 Olympic Charter (1996年版)」には「表彰式」についての規程があり、そこには
 メダルは、『オリンピック競技大会』の開催中に、IOC会長(もしくは会長が選んだ委員)によって、関係IFの会長(またはその代理)の立会いのもとに、できればその種目の終了直後に、競技がおこなわれた場所でつぎのように、贈呈されるものとする。
 1位、2位、3位の競技者が、公式の服装もしくは競技用の服装で貴賓席に面した表彰台上のそれぞれの位置に立つ。
 優勝者の台は、その右側に設けられた第2位の競技者の台および左側に設けられた第3位の競技者の台よりわずかに高い。
 彼らの名前、および他の入賞者の名前が読みあげられる。優勝者の所属する派遣団の旗がセントラル・ポールに掲揚され、第2位、第3位の競技者の所属する派遣団の旗も競技場に向かってセントラル・ポールの左右に並んで立つ旗竿に掲揚される。優勝者の所属する派遣団の歌(短縮したもの)が演奏される間は、メダル受賞者たちは旗の方向を向いていなければならない

と明記されています。
 次回に見ますが、IOC(国際オリンピック委員会)は、各国のNOC(日本で言えばJOC)の自主性を尊重しており、各NOCが自らの「団の旗」「団の歌」と認定しているものを掲げ、演奏しているのです。オリンピックの場では「国旗」掲揚や「国歌」演奏が行われているのではありません。(続く)

*続きを準備するために「ヒトラーのオリンピック」を象徴する映画「民族の祭典」を見ていると1時間50分もかかってしまい、今日中にこのシリーズを完成することは難しくなってしまいました。追々書き継ぐことにしますので、おつき合いください*

この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります

 近代オリンピックの歴史を概括して、黎明・発展期、国威発揚期、代理戦争期、商業化加速期、プレ外交ー脱・政治期と区分する人がいます。その全体の妥当性はさておいて「国威発揚期」という時代を見ると、うなずけるものがあります。
 この時期には1914年の第6回ベルリン大会、'40年の第12回東京大会、'44年の第13回ロンドン大会が相次いで中止になっています。第一次、第二次世界大戦によるものでした。
 '32年の第10回ロサンゼルス大会'36年の第11回ベルリン大会は、オリンピックが「国威発揚」に利用された大会として、特に注目されます。

b0142158_167122.jpg ロサンゼルス大会では参加国数、選手数が激減しているもと、日本が「満州事変」による国際的非難を浴びる中「国威発揚」のため192人の大選手団を派遣して注目されています。
 

b0142158_16165160.jpg ベルリン大会では、あのアドルフ・ヒトラー自身がナチスの腕章を巻いて、大会組織委員会総裁の席に着き、「ヒトラーのオリンピック」と言われるほど「国威発揚」のための策を巡らせました。
 ヒトラーは盟友ゲッペルス宣伝相と組んで、古代ゲルマン人の原始的な感情の復権、ナショナリズムを煽る数々の工夫を凝らしたのです。(続く)
 
*このカキコは、オリンピック招致が決まったと報道された8日に書きかけたのですが、途中で所用が飛び込んで、未完成のまま公開せずに放置していたものです。今日は少し時間があるので完成させ、何回かに分けて公開したいと思います*

この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります

 ボクはオリンピックが開かれること自体は大歓迎です。それが東京であっても基本的には変わりがありません。特に、オリンピックに続いて行われるパラリンピックには、つくづく勇気をもらい、感動するのです。
 ただ、オリンピックを「国威発揚」の場にしようとするうさんくさい動きには、気をつける必要があると思っています。8日は新聞休刊日だったこともあって、なりゆきをテレビで見ていて、それが単なる杞憂ではないなぁ…と痛感しました。

 こんな書籍があることをご存じでしょうか。

b0142158_18404492.jpg「ヒトラーへの聖火―ベルリン・オリンピック 」(シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション)という著者:タフ・ハート・デイヴィス、翻訳:岸本完司、出版社:東京書籍(¥ 1,680)の本です。
 紹介文に「古代のスポーツマンは、神のために競技に臨んだ。それが、やがて、国王のため、皇帝のため、国家のため……と変化し、現在では『自分のため』と堂々といえるようになった。そんなスポーツ史のなかで、『国家のため』のスポーツを強要し、『国家的スポーツ利用』を企んだヒトラーによるナチ・オリンピックのドキュメンタリー。スポーツを何か他のものに利用しようとする行為は、ナチスと同罪なのである」とあります。

 「現在では『自分のため』と堂々といえるようになった」というくだりが印象的です。念のため、あまり読んだことの無かった「オリンピック憲章」の全文を読みなおしてみました。
 「オリンピック・ムーブメントとその活動」という項目の「6 オリンピック競技大会」の冒頭に
「1. オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会では、各NOC によって選ばれ、IOC がその参加を認めた選手たちが一堂に会する。選手は関係IF の技術的な監督下で競う」とあります。
 選手・競技者が「自分のため」と堂々と言えるのは、ここに根拠があるのでした。

 ひるがえって、古代のスポーツマンが「神のために競技に臨んだ」という「神」とは、当時のアプリオリ(普遍)の象徴としての「神」だったことは見やすいことでしょう。それが「国家のため」に置きかえられた典型が、1936年のベルリンオリンピックでした。(続く)