カテゴリ:喜怒哀楽をともに…( 465 )

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 ボクの知人にすごい人がいる。毎日のようにホワイトボードに折々の警句や詩を描いて、道行く人に見てもらっている。FBには刻々とそれがアップされている。「本にすれば…」とすすめるが、「毎日消しているからムリ」とのたまうのだが、FBのコピーからでも本にはできるのではないかなぁ…?で、昨日にはこの歌「しあわせのうた」がアップされていた。NHKの「みんなのうた」で放映されていたらしい。
 探してみると、榊原郁恵さんが動画付きで4番まで、芹洋子さんが静止画像だが5番まで歌っているのが見つかった。
   ▼ こちらが榊原郁恵さんの歌です(クリックしてください)
 ▼ こちらが芹洋子さんの歌です(クリックしてください)
 歌詞の全体は以下のようだ。知らなかった歌だし、気に入ったのでアップした次第!

 しあわせのうた      【作詞】木下 龍太郎 【作曲】髙井 達雄

東に住む人は しあわせ
生れたばかりの 太陽を
一番先に
見つけることが 出来るから

北に住む人は しあわせ
春を迎える よろこびを
誰より強く
感じることが 出来るから

南に住む人は しあわせ
いつでも花の 首かざり
愛する人に
捧げることが 出来るから

西に住む人は しあわせ
いつも終わりに 太陽を
明日の空へ
見送ることが 出来るから

生きていることは しあわせ
悲しいときも あるけれど
未来をいつも
夢みることが 出来るから

未来をいつも
夢みることが 出来るから

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 11月19日、とても冷たい日でした。それだけに金剛山や葛城山、二上山が雲に映えてとてもきれいでした。で、珍しく撮ってみようという気になりました。残念ながら広角ではないので二上までは入りませんでしたが、なんとか撮れたのでトリミングしてみました。PCのデスクトップにもしばらくこれで…と思っています。
 つけても思い出されるのがこの詩です。山村暮鳥の詩集『雲』に掲載されている詩。雲についての詩が三つ連続してあり、その二番目に「おなじく」という題で「おうい雲よ」という呼びかけではじまる詩が掲載されています。

           

         丘の上で
         としよりと
         こどもと
         うっとりと雲を
         ながめている

           おなじく

         おうい雲よ
         ゆうゆうと
         馬鹿にのんきそうじゃないか
         どこまでゆくんだ
         ずっと磐城平の方までゆくんか

           ある時

         雲もまた自分のようだ
         自分のように
         すっかり途方にくれているのだ
         あまりにあまりにひろすぎる
         涯のない蒼空なので
         おう老子よ
         こんなときだ
         にこにことして
         ひょっこりとでてきませんか

 この詩をよんでいると、ちょっとイタズラをしてみたくなりました!
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 お隣の庭の花。「きれいですね!」と声をかけると早速切り花にして持ってきてくださった。
 活けてみると庭にあるときと趣がちがって豪華に見える。
 が、名前がわからない。
 妻君が「アメジストなんとか…」というので、「アメジスト 秋の花 紫」で画像検索するとたくさん出てきた。間違いない。
 「アメジストセージ」だった。またの名を「サルビアレウカンサ」というそうだ。
 和名はないようで、そのまま「アメジストセージ」「サルビアレウカンサ」とある。
 花言葉は、家族愛、家族的、素朴とある。別のところからは「炎のような情熱」というのも出てきた。
 まだ、タブレットがうまく使えないので、イストグラムとは連携できず、メールでこちらに送ってアップした。なかなか使いこなすのは難しい。
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 先ほど、内田樹氏の一文を読んだ!感ずるところあり!
*結論はともかく、その論だてを理解することが大事だと痛感。で、全文をシェアすることにした。深刻な事態を打開するために…!危機感を持って…!*
 

 読みそこなっていた「新婦人しんぶん」10月26日号。読者と文芸欄「あなたも詩」、小森香子選の欄に掲載されている3つの詩を読んでみた。
 特にふたつ目の「秘密と祈り」が目をひいた。戦後の幼少時代にはよく似た話が少なくなかった。小学校時代、少し複雑な家族関係にいたらしい数人のことを思い出す…。Mくん、Uさん、Yさん…。家計は恵まれているようだったが、時々、子どもには似合わない陰のある顔つきになることがあった。ボクらだって、いつどうなっていたか、わからない…!思わず、涙腺がゆるむ。
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 富田林の「年金者組合」の機関紙「しゅら」に「ふるさと自慢」という欄があります。
 考えてみるとボクには「ふるさと」らしい「ふるさと」がないので、寄稿ははあきらめていました。でも、何となくこういう人もいるのだと解ってもらうのも良いかも…と思えました。たまには風変わりな記事があっても良いような気もします。
 というわけで、こんな草稿を考えてみました。掲載可能かどうかは編集者まかせですが、とりあえず送信した案文をアップしてみます。
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 ボクは信仰心は持っていませんが、この画像には一定の真実が込められていると感じたのでアップを決意しました!
 
 白紙のように見えますが、上記をクリックいただけば動画が見られます!

 総選挙投票日の22日、朝起きると左足の踵が痛む。が、予定通り早朝から投票に行った。少し痛いなぁという程度だったからボツボツ歩けば何とかなった。
 翌、23日は朝から歩くのが不便なほど痛い!が、午後になると治まった。その内、治るのだろうと気楽に考えていた。開票結果に気をとられていたせいもあるだろう。
 「希望」と「民進」、小池女史と前原氏の取り引き、「立憲民主」、枝野氏の立党、共産党の思い切った出馬取り下げなどが絡みつつ、自公が過半数確保、維新に翳りなどの結果となっている。市民と野党の共同は評価したいが、共産党の減退は正直なところ寂しい。近畿では穀田、宮本両氏の議席確保にとどまり、清水、堀内氏は落選、結ちゃんも通れなかった。新たな決意と取り組みが求められているのだろう。
 24日も、25日も終日痛む。25日は水曜日で診察券を見ると午後からは休診だ。仕方なく明日まで我慢するか!
 26日、朝から支度をしてM医院に向かう。ぶっきら坊に見る向きもあるが、ボクは気に入っている先生だ。「原因は分からないんですが、左足の踵が痛むんです」と言うと、「原因がわかっているなら検査・診断はいらん。医者もいらん」とおっしゃる。で、たちまち一枚の資料を出して見せてくれる。
 「足底腱膜炎(そくていけんまくえん)」とある。目を通すとおおよそのことが分かった。ボクの場合は「老化」で腱膜が痛み始めているのだろう。軽い養生の仕方を教えてくれ、踵をテーピングしてもらった。肌色のテープで糊は付いていないのに包帯同士が密着する。何度も使えるそうだ。不思議というか、面白いテープだ。風呂に入るときは解き、上れば再度巻き直す。入浴も効果があるらしい。
 27日も、28日もとても痛んだ。11月5日には校区の避難訓練があるのだが、とても避難場所の小学校までみんなと一緒に歩くのはムリだろう。隣組の組長さんや町会役員らにその旨を伝えに歩く。左足の踵は地面につけずに、つま先だけでボチボチ歩く。
 29日は台風が近づいて、雨なのだがどううしても南森町である会合に行かねばならない。用心しながら、時間をかけて、ビッコを曳きながら行ってきた。会場に着くと、かねて知り合いの方が近況を聞いてくれる。「体調はいかがですか?」。普段は「杖を突いて、どうなさったんですか?」ということが多い。かねては「杖と言わないでください。ステッキとおっしゃってください」などと答えて笑いを誘っているのだが、今日はそうもいかない。
 「差別語と叱られるかも知れませんがビッコというか、チンバというか、足底腱膜炎とかで左片足を引きずって来ました」と答える。帰路も時間をかけて、途中で強く巻きすぎたのか足首が痛くなって、駅のベンチでテープを巻きなおしたりしながら…。
 今日、果たしてビッコやチンバは正確にはどう言えばいいのか、気になって手持ちの辞書で調べてみた。
 「びっこ」は漢字では「跛」と書くらしい。広辞苑や大辞泉では概ね「片足の故障で歩行の釣り合いが取れないこと」とあり、特段「差別語」との指摘はない。「ちんば」も漢字は「跛」だ。意味にも大差はなく、「差別語」との指摘もない。
 ただ、明鏡国語辞典・第2版にだけ、どちらも「足の不自由な人をいう差別的な語」と説明されており、「びっこ」については「足の障害を比喩として使った、差別的な語」という注釈もある。
 ボクは「差別」という言葉にはこだわりがあるので調べてみたのだが、人を称して「びっこ」「ちんば」と呼ぶのはやはり差別的だろうと思う。が、「びっこを曳く」「ちんばを曳く」という形容のすべてを「差別」と規定すると、状況の説明ができにくくなるとも思う。厳密に言えば「左足踵の痛みによる歩行困難」とでも言えばいいのだろうが、世間話にそんな堅苦しい会話はないだろう。
 こんなことを考えている今日は、足の痛みも少し軽い。快方に向かいつつあるのだろうか?

 台風情報があったので、期日前投票も考えたけれど、「やはり投票日に投票しよう」と考えて、朝から雨の中を投票に行ってきた。投票管理に市の職員である甥っ子が居たのには驚いた。一応、管理職の末端につながっているからだろう。
 この近辺でも期日前投票をした人がかなりあったのか、投票所は閑散としていた。
 地元は秋祭りの最中で雨風の中をだんじりを曳く太鼓や鉦の音、掛け声や唄が聞こえてくる。土砂降りの雨の中を曳航するのは大変だろう。若者たちの破れかぶれの元気さが気にかかる。台風での避難指示のメールやケータイが続く中だからなおさらだ。
 棄権防止の電話に「もう行った」という人もぽつぽつあるが、「よう行かん」という人も少なくない。「クルマを出す」と言っても遠慮する人が大半。歴史的で大事な選挙なのだが、世相の風も、自然現象の風向きも、読み切れない。観念するほかないのか?今夜は町会の会議もある。とても落ち着かない気分だ。
 そんな中、沖縄タイムスの記事が目に入った。
 *感動的だ!投票日に出会えた喜び!*と書いて、ツイッターやFBにアップしておいた。ここにもアップして記録しておく。