カテゴリ:喜怒哀楽をともに…( 453 )

 1月20日、トランプ氏がアメリカ大統領への就任演説をしました。あちこちで論評されていますが、ボクなりに和訳全文を読んでみた感想と記録を残しておきたいと思います。訳は手に入った速さから「朝日新聞」のものを使いました。この記事には4本の小見出しが付いています。
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  全体はとても情緒的で、理性、論理性を欠いているように思えますが、朝日新聞による4本の小見出しは順に以下のようになっています。
  ワシントンから国民に権力を戻す
  「米国第一」だけがビジョンになる
  米製品を買い 米国人を雇用する
  ともに再び米国を偉大な国にする

  ともあれ、この小見出しの順にボクの気のついた点を記していきましょう。
 グローバル経済と新自由主義の行き詰まりは深刻
 トランプ氏は次のように述べています。
 私たちは、首都ワシントンから権力を移し、国民の皆さんに戻すのです。
 あまりに長い間、この国の首都の小さな集団が政府からの恩恵にあずかる一方、国民はそのつけを背負わされてきました。

 ワシントンは栄えましたが、国民はその富を共有しませんでした。
 政治家は豊かになりましたが、職は失われ、工場も閉鎖されました。
 既得権層は己の身は守りましたが、我が国の市民は守りませんでした。
 彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らの大成功は、皆さんの大成功ではありませんでした。そして彼らが首都で祝っているとき、私たちの国のいたる所で苦しんでいる家族にとって喜ぶことはほとんどありませんでした。

 とても多くの市民にとっては、違った現実が存在しています。荒廃した都市部では貧困の中に閉じ込められた母子たちがいます。さび付いた工場群が、まるで墓石のように私たちの国土の風景のあちこちに広がっています。教育制度には、潤沢な資金があるのに、若く、光り輝く生徒は、あらゆる知識を得られないでいます。犯罪と悪党と麻薬によってあまりに多くの命が失われ、私たちの国からまだ実を結んでいない多くの潜在力を奪っています。
 ここには、確かに今日のアメリカ社会の歪んだ一端が表現されていることは間違いないでしょう。

歪んだ被害者意識、国際社会への間違った認識 
 しかし、「米国第一」を唱える国際社会への認識は根底的に間違っており、このような認識を是とする国々はほとんどないのではないでしょうか。
 何十年もの間、私たちは米国の産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきました。自国の軍隊の悲しむべき疲弊を許しておきながら、他国の軍を援助してきました。私たち自身の国境を守ることを拒否しながら、他国の国境を防衛してきました。そして、米国のインフラが荒廃し、劣化する一方で、何兆ドルも海外につぎ込んできました。私たちの国の富、強さ、自信が地平線のかなたに消えていったさなかに、私たちは他国を裕福にしてきたのです。
 
 *一つずつ工場がシャッターを閉め、海外へ流出していったのに、取り残された何百万人もの米国人労働者のことは一顧だにされませんでした。
 *私たちの中流階層の富は、彼らの家から引きはがされ、世界中にばらまかれたのです。

 この日から、「米国第一」だけになるのです。米国第一です。

排外主義の匂い漂う国境論、国益第一主義
 トランプ氏は貿易、税金、移民、そして外交問題に関するすべての決定は…米国民の利益が基準だとして以下のように述べています。
 私たちの製品をつくり、私たちの企業を奪い、雇用を破壊する他国の行為から、私たちは国境を守らなければなりません。防御が、大いなる繁栄と強さをもたらすのです。
 続けて、トランプ氏は米国は再び勝利に向かいます。これまでにないほどにと述べ、雇用を取り戻し、国境を取り戻し、富を取り戻します。そして、私たちは夢をも取り戻すのですと説き、そのルールとして私たちが守るのは二つの単純なルールです。米国製品を購入し、米国人を雇用することを挙げています。
 トランプ氏は私たちは世界中の国々との友好と親善を求めますとは言うのですが、私たちがそうするのは、すべての国々が自己の国益を第一に考える権利があるという理解のもとにですとも述べ、明らさまな国境論、国益第一主義を唱えています。
 この国境論と国益第一主義に排外主義の匂いを嗅ぎ取り、批判の矛先を向ける人々が少なくないのも頷けることではないでしょうか。

イスラム=テロリズムと断定、米国=「偉大な国」は神がかり
 トランプ氏は、イスラム=テロリズムという構図を描、撲滅を訴えています。 
 私たちは従来の同盟を強化し、新しい同盟を結びます。文明世界を結束させて過激なイスラムのテロリズムに立ち向かい、地球上から撲滅します。

 トランプ氏は一見当然のことを言っているようにも見えます。
 私たちは新たな時代の幕開けにいます。宇宙の謎を解き、地球を疫病の悲劇から救い、明日の新たなエネルギー、産業、技術を活用する時です。

 我が国の軍人が決して忘れることのない古い教えを思い出しましょう。肌の色が黒でも褐色でも白であっても、私たちには同じ愛国者の赤い血が流れているということです。私たちは皆、この輝かしい自由を謳歌(おうか)し、みな同じ、偉大な星条旗に敬礼します。

 しかし、この結びのくだり全体はとても神がかり的です。
 聖書の教えが引用され、最も重大なのは、私たちは神からも守られているということだとか、同じ夜空を眺め、同じ夢で胸を満たし、同じ神から与えられた命の息吹きで満たされるなど、宗教的な言葉が多用されています。
 トランプ氏の神とは、言わずと知れたキリスト教、特にカトリック系であることは論を待たないでしょう。そこには異なる価値観を持った諸文明間の共存という発想が極めて脆弱であることが見て取れます。偏狭と言っても過言ではないでしょう。
 こう考えてみると、アメリカ社会の慣用句ではあるのでしょうが、結びの「神のご加護」という言葉に深い意味が隠されているような思いがします。
 
 ともに、再び米国を偉大な国にするのです。ありがとう。皆さんに神のご加護を。米国に神のご加護を。
 Thank you. God bless you. And God bless America. Thank you. God bless America.

 とまれ!お笑いを一つ!
 God bless you.という言葉は、確かに「あなたに神のご加護がありますように!」という意味ですが…、
 God bless me.となると、「しまった!」とか「おやおや!」、「まぁ大変だ!」などという意味になります。
 トランプ氏にも「God bless me!」と言ってもらいたかったような気がするのは、ボクだけかなぁ…!

 験を担いだわけでもありませんが、母の亡くなった最初の正月!ということで、あちこちに登場するのを控えていました。変な話のようですねぇ!
  「礼を欠いているかもなぁ…」と思いつつ自粛していました。少しは殊勝な気分でもあったのです。
  今日、やっと「寒中見舞い」を送る段取りが出来てホッとしています。
 「松が取れて」やっとその気になれたみなさんへのご挨拶でもあります。
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 ボクは子どもの頃、ほとんど母に「母性」を感じることはありませんでした。23,4の若い女性が「子を連れて」必死に帰還をしようというとき、「怖いほどの執念に」生きなければならなかったのでしょう。
 「その頃の母は20代だったのだ!」ということに気づくのが遅すぎました。「母に甘える」ということを知らなかった事に最近までこだわっていたボクの悔恨です。 
椿が咲きました。本来、春椿なので正月までは待って欲しかったのですが、開いてしまいました。少し残念です。
まぁ、我慢してケータイで撮って、トリミングしてみました。
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 椿も撮りたいし、後ろのトナラ焼きのフクロウも入れたいし、ちょっとピントは狂っているようですが、どうやら入りました。
 トナラ焼きについては、以前にアップしたことがあるので、引用しておきます。
 さて、どんな塩梅になっているのでしょう?お見苦しい点はご勘弁ください!
 これで一応、送信してみます!
 

この一年も、富田林の年金者組合機関紙「しゅら」に川柳を寄稿してきました!
アップしたいと思うのですが、ブログの新画面の使い方がよくわかりません。仕方なく我流で新規投稿を試みてみます。ご覧いただければご同慶の至りでしょう。
例によって一句目は年金がらみ、二句めは自由に、と心がけてきました。縦書きにしたいのですが、失敗したので今日は横書きです。

1月 「しゅら」の紙面改善。当方、肺炎で入院。
嬉しいねしゅらの紙面が増えました

入院じゃサマにならない寝正月

2月 年金基金で株投機開始。映画「母と暮らせば」好評。
やめてくれ年金積み立て株投機

安倍総理祖父と暮らせばきな臭い

3月 マクロスライドの化けの皮剥げる。
年金をマクロスライドつぶします

山笑ふみんなのびのびしています


4月 
節約とひと駅歩く年金者

総がかり署名滔々花いかだ

5月 
ネットでは年金カラクリ慣用句

ガヤガヤと憲法語る河内弁

6月 
年金者カドは丸いがホネはある

忘るるなあの日あのとき時計草

7月 6月末、母歿す。
5兆円大穴開けて知らん顔

梅雨晴れ間ひと言ずつの家族葬

8月 
年金に羽があるのか飛んで行く

暑すぎて夜しか鳴かぬ蟇

9月 参院選、維新大阪で2議席。
もうえぇよ背ぇ伸びせんとき年金者

流れゆくがっかり感や鰯雲

10月 
「逃げ水」にさせてはならじ筵旗

TPP案山子も起って通せんぼ

11月 
暮らしむき年金手帳が知っている

またしても想定外と済ますのか

12月 年金改悪国会。トランプ氏のみならず、グローバル社会への苛立ち!
まぼろしの百年安心いま悪夢

ポピュリズムはびこる世界に棹をさす

久しぶりに、ブログに来てみると、様相が大幅に違っています。
オドロキです!
 実は、エキサイトより、管理画面のサポート終了が通告されていたのですが、使い慣れた管理画面が性に合っているので、それを使い続けていたせいのようです。
 もういちど、やり直すのかと思うとやりきれない思いもしますが、少し時間をかけて手入れすることにします。
 すぐにでもアップしたいものがあるのですが、しばらくお預けです!
 残念!
かなり強く感じたけれど、我が家の付近は震度3ということです!
これでこんなに感じるとは…!(クリック)

<追記>
千早赤阪村で震度4、富田林市で震度3、その後送られてきたメールでは大阪府南部震度4とあります。
ボクの体感では震度4くらいに感じました。あまり詮索はしませんが一応震度観測点を探してみました。
どうやら富田林の震度3は富田林市高辺台の観測のようです。千早赤阪村の震度4の観測点は千早赤阪村の水分のもののようです。とすれば、我が家の場合、山系の連なりから見て千早赤阪村の観測、震度4に近いと思われます。
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富田林には観測点は2つあるようです。が、この場合は他の地点との関係で、高辺台のものが使われているのでしょう。
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FB友達のM氏がアップしてくれていました。
● スーパームーン‼
姉の友達が、台湾の友人から送ってもらったそうです。
とあります。
我が家からはこんなに綺麗には見えませんが…!
記念に貰ってきました。
 
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 残念ながら、今日ここからはさっぱり見えない!
 何度も確認しているが、今日はダメのようだ!
 明日は見えるのかも知れない!
 アップできるのかなぁ?(クリック)

 
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特段の信心心は持ち合わせないが、毎日お茶をかえ、野草を飾り、線香を立てて、この日を待ちました。
必死にボクを守ってくれたであろう若き日の母を思うと、特段の母性を感じずに過ごした思春期や青年期が悔やまれます。
その悔悟と感謝の一端は今夏に投稿した大阪民主新報に忍ばせたつもりです。
戦後どさくさ幼少時代の記憶 
私は1944年(昭和19年)生まれ、戦後生まれの人からは戦中派と言われ、戦中派からは「あの過酷な戦争のことは記憶にあるまい」と言われる中途半端な世代です。軍や政府の中枢は敗色濃い戦局を知っていたはずですが、庶民の大半は「神風が吹く」と、戦勝を信じて疑わなかった時代です。ですから、武勲功という言葉にあやかって勲や功という字の「いさお」という名前も多く、中には「勝利(かつとし)」という文字通りの名前もある時代です。
 生まれは中国山西省楡次県楡次城内ということです。幼い頃には言語に絶する引き揚げの苦労話を両親に聞かされて育ちました。「無蓋車」で風雨にさらされながらの引き揚げがどんなにひどいものだったか想像にあまりあります。鮮烈な記憶があるのは、今は谷町筋になってしまった「拾願寺」の納屋の二階に仮住まいしていた3歳頃からです。薄暗い本堂には上から下まで帰るところの定まらない「白木の箱(骨箱)」がびっしりと積み上げられていました。薄暗い本堂の異様な光景は今も眼中から離れません。
 街には戦争で手や足をなくした「傷痍軍人(負傷兵)」があふれ、街角や時には電車の中でさえ首から募金箱を吊るして物乞いをしていました。ジープに乗った米兵が車上からキャンデーを振りまき、競い合って拾い集めた記憶もあります。その情けない姿を思い出し、顔から火が吹くほど恥ずかしく思ったのは、世の中が「落ち着き始めた」と言われる中学生になってからのことです。同じような体験を持った人がいることはずっと後になって知りました。「栄養失調」で病気になる子どもも多く、配給があると「なんば粉(トウモロコシの粉)の配給三日分です」と嬉々として近所に触れ回った記憶もあります。「バス住宅」と言って廃車になったバスを「市営住宅」に活用している時代でもありました。
 叔父は戦後数年して単身シベリアから帰国しましたが妻子とは生き別れ、生死不明のまま「戦時戸籍抹消」で再婚したところ、ずっと後になって生きていたことが分かりました。中国で暮らしていた従兄弟は文化大革命後帰国しましたが、口に言えない悲惨な体験をしています。私も両親のどちらかが不在の引き揚げであれば確実に「残留孤児」となっていたに違いありません。
 こうした幼時の体験を振り返ると、「戦後焼け跡闇市世代」ならぬ「戦後どさくさ幼少世代」の私たちにも戦争の悲惨さは刻印され、記憶から去り難いことが分かります。戦争を知らず(自覚せず)、敗戦のことも分からない幼少期を過ごした者の記録はもっと掘り起こされても良いのではないかと思う昨今です。
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添付の写真は、生後100日のもので、引き揚げ時、母がポケットに入れて持ち帰ったためシワだらけですが、当時の写真はこれ一枚しか残っていない「貴重なもの」です。
 ようやく結論が確定したようです。
 この件に触れるべきかどうか、ず〜っと迷っていました。が、やはり触れざるを得ないと観念しました。
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 当然だとは思いますが、残念なことです。
 よもやこんなことが起こるとは思ってもみなかったことです。
 たった3人の府会議員が2人になってしまいました。
 この件の最初の報道は10月26日のことでした。直後の報道、その後の報道に「指導と監督の責任」として党大阪府委員会の責任に触れられていたのが印象的でした。
 もっぱら記者会見などに付き合った柳氏には敬服です。
 ボクはもはや当事者ではありませんが、府委員長や自治体部長、府議団長や地区委員長の心境はどんなだろう…と気持ちが巡ります。
 襟を正し、気を引き締めて、前進への誓いを新たにするほかはありません。