カテゴリ:喜怒哀楽をともに…( 465 )




杉江義浩という人がいる。ジャーナリスト、プロデューサーでNHKの人らしい。
この人がブログで興味深いことを書いておられる。
FBやツイッターへのシェアは可能なようなので、ここへの転載も許されるのだろう。
ご一読いただければ幸いだと考えたので、アップする!

 7日8日と神戸・しあわせの村で開かれていた会議が終わり、帰宅してホッとしていた。
 夕食を終え、唯一の畳の部屋でごろ寝をしていると右足、親指の先がチクリと痛んだ。
 何だろうと思って起き上がると、細くてさほど長くもない蛇がいる。灰褐色めいた模様があるので青大将ではない。が、何かよくわからない。にょろにょろと這っている。
 火挟で捕まえようと、玄関先まで出て探すが見つからない。ことは急ぐ。家に入って適当なものは無いかと探す。薬箱からピンセットを見つけた。これで掴もう!ピンセットを持って蛇を追う。板の間まで移動している。ことは急ぐ。
 よく見ると小さな蝮(まむし)のようだ。ピンセットで首根っこを摘む。が、少しそれて首から1センチほどのところを摘んでしまった。2階で寝ている妻を呼ぶ。「えらいこっちゃ、蛇がおった」。途端に右手、中指の爪の根元に痛みが走った。これはダメだ。もう一度摘みなおす。今度はちゃんと首根っこを摘めた。摘んだまま、玄関先に走り出て、自宅前の用水に放り投げる。これで一件落着かと思えた。
 が、そうはいかなかった。咬まれた右手・中指の先、2カ所から血がどくどくと溢れ出している。水道水で洗うが治らない。
 「どうしようか?」
 「市役所に電話して、対処方を尋ねてくれ」
 問い合わせると、「救急車をまわします」とのことらしい。
 救急車が来るまで数分。初めて患者(クランケ)として救急車に乗る。車中ではしばしどの病院へ行くかと応答がある。ホンの少しの間に、右手全体が腫れ始めている。初めは城山病院とのことだったが、すぐに富田林病院に切り替わる。車窓を眺めるが、どこをどう走っているのかよく分からない。
 富田林病院に着くと当直医が傷口を見て「間違いなく蝮ですねぇ。今夜は二人目ですヨ」と応急処置をしてくれる。「入院してもらいましょう。手続きを…」とてきぱき。傷口を洗浄し、まず破傷風防止と痛み止め2種類の点滴。終了後病室へ移動。ここでも点滴。
 翌日は土曜日だったが担当医の診断があり、血清注射(点滴)。その後、定期的に体温、血圧の測定、包帯の交換などで数日を過ごす。特筆に値するのは昼、夜の食事。温かいものは温かく、冷たいものは冷たくという給食の原則を守った、家庭的なイメージのあるうまい食事だ。ほぼ完食できたのは少食のボクには珍しい。
 そんなこんなの顛末で、今はこれといった治療もなく、自宅で腫れの引くのを待つしか無い。もう10日を過ぎたのに痛み、腕の浮腫み、痒みは去りやらずうっとおしい気分で過ごしている。この間、諸般の行事はことごとく欠席させてもらったが、来週にはバス旅行や東京での会議、四国での会議などなど、どうしても参加、出席すべき日程があり、早く完治してほしいと願うのみだ。

 なお、後日譚として記しておきたいことがある。
 一つは、ピンセットで捕まえようとしたのは、いかにも不用意であったこと。始めに火挟を思いついたのでピンセットになったしまったが、側には金槌もあった。これで頭部に一撃を加えていればこんな羽目には陥らなかっただろう(もっとも、始めに「殺す」という意識が全く無かったけれど)。
 もう一つは、どうして居間(畳の部屋)に蝮などがいたのか、ということ。これは今も謎で、網戸の隙間などを点検してみると入れそうなところはあるにはあるが、これからも気をつけなければいけないのだろう。今年はなぜか猫の額のような庭に異常を感じるほど、小さなカエルがたくさんいたことも気にかかる。薄気味悪い話ではある。

 * 蝮咬む 拷問よりは 軽いだろ *

 昨日、会議の報告の一項に次のような報告を入れていた。
「東京都墨田区で9月1日に行われる関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に、小池百合子都知事が、毎年送ってきた追悼文を送らないと主催者側に伝えていた。都知事から毎年追悼のメッセージが送られ、近年は石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一の各知事が送付。小池知事も昨年は送っていた」
 会議を終えて帰宅してみると妻君がテレビを見ていた。途中からだったがボクも見た。
 報告した内容についての「報道特集」だった。よくできた内容だと思った。企画した人、報道した局(MBS)を評価しなければなるまい。
 途中からしか見られなかったのが残念だった。今日、フェイスブックを開くと動画をアップしてくれている人がいた。早速シェアしたが、フェイスブックをしていない人にも見て欲しい。そこで、ここにアップすることにした。
 ぜひ、ご覧あれ!(広告の後、本番が始まります)



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 富田林市の東公民館に併設されている市民プールが、この9月1日をもって取り壊し工事が始まることになりました。
 そこで、市が募ってプールへの落書き大会をやったそうです。大人や子ども100人くらいが集まったそうです。その絵がまだ残っているということなので見に行ってきました。
 落書きを地で行くものが大半でしたが、中にはクジラや自転車の絵など、本格的な絵もありました。
このプールは当初、第3中学校校区にプールのある学校が全くないということから、「3中プール」と名付けられ、校区の中学校、小学校が共用していました。その後、各校にプールが建設されるにおよび市民プールに衣替え、市民、特に子ども達の夏休みに活用されてきました。ところが5年前、老朽化を口実に突然閉鎖、その後、まともな管理もされず放置されてきました。
 近年、激しい市民の抗議の中で一箇所だけ市民プールが開設されましたが、市営プールが一箇所だけ、という日々が続いています。
b0142158_11584369.jpeg 入り口にまわって掲示を見ると、平成24年度の「市民プールの廃止について」と
いう張り紙が残っていました。
 もう5年もたつというのに、寒々しい限りです。この5年間、まともな管理がされていなかったという「証明書」のようなものではありませんか!
 小中学校のプール開放も一年限りにすぎず、その後一般開放はされていません。

 ボクは一期目の議員になるとき、「学校にプールを」と訴え、小学生達から「プ
ールのおっちゃん!」と期待されたものです。でも、その子たちが小学校を卒業し
てからでないと、小学校にプールができなかったことを苦々しく思い出します。

 教育委員会、特に事務局に、子どもたちがどんな風に夏休みを過ごすべきかという観点がさっぱりなく、老朽化や少子化を口実にきちんとした対処ができていないことを痛感する写真の一枚となったのではないでしょうか。

 今どこに
 プールサイドの
 ガキ大将

 

 
 

 
 

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こんな記事があって驚いた!
僕らも学習会のテキストに使っているのだが、政治家が続々抗議してくるという…!
ちょっと変だし、やりすぎではないのか!

産経の記事も読んでいたし、灘中で採用されていることも知っていましたが、こんなことがあったことは推察できても、事実はよくわかりませんでした。
これを読んでよくわかりました。で、今はどうなさっているのかと気がかりです。
なお、引用記事ばかりで現物はどこにあるのかと探してみて、見つかりましたので、念のためにアップしておきます。
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関係した議員のことがわかったので、追加しておきます!





 ボクは門外漢であるから、詳細を専門的に語る能力はない。
 しかし、”ご用科学者”というべき人たちに”任せておけば安心”という期待がものの見事に外れてしまった今日、素人とはいえ率直な危惧や疑問、時には批判をもあえて加えなければならないのだ、と思う。
 その目で、省庁の発するナマ資料にも当たらざるを得ない。
 その挑戦の一つが今回経産省が発表した「科学的特性マップ公表用サイト」を熟読することだった。
 全部を解説する能力もいとまもないが、要するに「キーワードは10万年」ということだ。
 文書の文言に「現時点では、将来 10 万 年程度であれば現在の運動の傾向が継続する可能性は高いと考えられる」とか、「10 万年程度の期間、後述するおのおのの好ましい地質環境 とその地質環境の長期安定性を確保できる場所が選定できるものと考えられる」とか言って「10万年」を基準にした叙述があちこちにちりばめられている(上記文書の中のWGの文書中にあります)。
 
 一体、10万年先のことを誰が保証するのか?科学者や現場の技術者、実務家や政治家のいう「想定外」にどれだけ苦しめられてきたことか!
 10万年先を見越して「安全な適地」と断言できる厚かましさを持った人たちに「黙って従う」私たちであっていいのか?
 ここでは、マスコミなどにも登場した全国の地図や自分の住む地域や関心ある地域をより詳しく閲覧できる地方別の地図もあるので参照いただきたい。
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 今日、新潟大学の立石雅昭名誉教授が、一つに断層の問題、二つに火山の問題をあげ、「海岸近くが”適地”というのは不可思議」とされ、「この地図は議論の土台なならないと思います。これが、核廃棄物の問題解決の第一歩だとすれば、これをもとに国民的な合意はとても得られないでしょう」とのべておられることを知り、長い道のりの闘いのようなものを覚悟せざるを得なかった。

クリックしていただくと拡大できます!
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今日の「しんぶん赤旗」にこんな記事が掲載されていました。
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 そこでこれまでに知られていることや、ウィキペディア「銃剣道」の項に掲載されていることなども含めて若干の検討、紹介をしておきたいと思いました。
 まず、道具です。b0142158_17040548.jpg
 攻撃の道具は「木銃」です。これは戦時中に一番よく用いられたという『三八式歩兵銃』に銃剣を着剣した長さ166㎝の銃の形をした木製の武具が使われます。防具は、左胸や喉を保護する「裏布団」、肩を保護する「肩」が用いられます。
 有効な攻撃は「刺突」のみとされています。これは、旧日本軍が用いた「日本式銃剣術」では、欧米人との体格差を考慮した結果、「突き技」が最も重要視された結果だと考えられています。
 銃剣道の全国組織は「全日本銃剣道連盟」で1956年(昭和31年)に結成。初代会長は旧陸軍大将今村均氏だったそうです。日本体育協会や日本武道協議会にも加盟していますが、積極的な勧誘は行われておらず、自衛官が競技人口の大半を占め、役員の多くも元幹部自衛官、一般部門も元自衛官やその子息が多いなど事実上『自衛官の競技』という状態です。自衛官が災害派遣された場合など人が揃わず大会が中止という事態もたびたび起きてきました。
 中学校への「銃剣道」導入には自衛官出身の国会議員が役割を果たした安保=戦争法強行で「大役?」果たした佐藤正久しは、今年3月15日、自身のオフシャルブログで「受験道を学習指導要領に」と題するカキコミをアップ。義家文部科学副大臣には説明を済ませ、政務三役にも働きかけると述べていました。

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 *一応、経過の報告をしておきましょう*
 一昨日に続いて、昨日は午前中自宅で難行苦行!
 午後は病院にて胃カメラ、そして大腸検査。
 胃カメラの時から鎮静剤を使ってもらったのですぐ眠ってしまい、気がつくと胃の検査は終わっていました。何箇所か組織検査用に摘出されたようです。
 大腸検査の方は、かなり奥までカメラが挿入されるため、あちこちのカーブで突き当り、痛くて思わず「ウン、ウン」と唸ってしまいます。モニター画面で進行が見れるので、その画面を眺めている方が気を散らすことができ、痛覚を抑えられます。ポリープなどがあれば即摘出をお願いしてあったのですが、一箇所も摘出せずに済んだようでした。
 主治医の先生の姿が見えたので、まだボンヤリしつつも「ありがとうございました」と声をかけると「今、結果を説明してもすぐ忘れるだろうから、またにしよう」と言われました。
 一連の検査が終わっても鎮静剤の効果は強く残っておりフラフラします。病院では最低2時間所用のベッドで横になってから帰ることになっています。この2時間がクセものでした。鎮静剤はある種の劇薬のようで、いろいろな夢めいたものを見たり、いろいろなことを考えたりするのですが、体が全く動かせません。こういう薬が濃厚に効くのは歳のせいだろうか?と考えたりしました。
 帰路、ホンの一口のお茶がうまかった。帰宅は遅くなり、念願の夕食だったがまだ鎮静剤の効果が残っているらしいことと、長時間にわたる絶食、排便の結果なのか、うまく食欲がわかない。フラっとする。就寝しても寝付けず今朝まで難行苦行は続きました。もうすぐ、昼食ですが、これで落ち着くかな〜?といった気分です。