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 河内屋可正、三田浄久

 杉山家の当主が付近の友人とともに能を演じていたという記録は「大ヶ塚の豪家・河内屋可正の残した旧記にでてくる」という。互いに交遊し、謡い、演ずる関係にあったのだろう。
 大ヶ塚は富田林よりはやや小ぶりだが、南河内の有数な寺内町(じないまち)の一つである。「八朔(はっさく)」の日は今も、近隣からたくさんの人が訪ね、屋台店も出て賑わう。
 可正は「俳諧も得意」で、「慶安のころ(1850年ころ)から、… 河内石川郡の人々も俳諧を習うようになった」。「特に壺井村の唯正、柏原村の浄久、誉田の一十」らとの交流が深く、可正のすすめで「この石川郡でも、いまでは郡中のこらず俳諧をやるというほどになっている」という。
 「柏原村の浄久」について、「江戸の本屋さん」の「元禄文化と出版」の章に「読書人・三田浄久と俳諧交遊グループ」の節がたてられている。興味深いくだりが多いので、ここにも引用・記録しておきたい。
 浄久は俳名。今も柏原の旧家・豪商として著名な三田家の祖、通称七左衛門、屋号は大文字屋。「無類の俳諧好き」と京・大坂まで聞こえる「河内における俳諧の雄」だったという。
 浄久の著した「河内鑑名所記」には「俳友によびかけて、名所旧跡にちなんだ吟詠を募り、刷りこんで」あり、「しかも作者すべて260人の住所一覧表が巻末にのせてある」。「そのうち河内の人は117人、さらに大和や大坂の人が多い」。
 特に興味深いのは「この河内・大和の俳人たちの住所を地図の上に示してみると、浄久の交遊が、大和川をルートとする商品流通と密接に関連して広がっていることがわかる。この俳諧グループが、とりも直さず、この時代の書物購読層であるといえよう」として、「三田浄久の俳友の分布図」が掲載されていることだ。
 この「分布図」は引用しないが、じっと眺めていると色々な思念が湧いてくる。水運・舟運の妙、ここに極まれり、という思いがする。大和の佐保川、富雄川、竜田川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川、高田川、みんな大和川に流れ込んでくる。大和川は、南河内の東部上流を集めた石川と柏原で合流、八尾など中河内の東側を経て大坂・大川に流れ込む。こんなに大和と河内は身近であったのか。そういえば、富田林の喜志地区、桜井にも古来、船着き場があったという。百石舟に荷を積んで川を下った。寺内町センターには、舟旅の退屈しのぎに番頭たちが興じたという双六が展示されている。
 かつて舟運、舟・船、川・河、堀はとても大事な役割を果たしていた。枚方のくらわんか舟、野崎の屋形船なども思い起こされる。大阪にも○○崎、○○堀、○○橋という地名は多い。陸路・街道に負けず劣らずの役割を果たしていたのだ。
 とまれ、三田家は三代目になって家業が衰え、蔵書を手放さざるを得なくなった。「その悲しい書物売り払い記録が残っている。京都の本屋の栗山弥兵衛に売った分は174点、803冊という大量の本」だったという。その内容は割愛するが、今田氏は「三田家のような蔵書家が、河内・大和など、大和川流域の各地に出現してきたことを推測してよいであろう」と指摘している。
 
 
 
 
 
 富田林・杉山家の蔵書

 さて、「江戸の本屋さん」に杉山家にまつわるどんなことが書かれているのか、さわりを紹介しておこう。この本を書かれた今田洋三氏は「かつて河内富田林の富商・杉山家の蔵書をみせていただき、その目録を作り、刊行年代順に整理したことがある」という。
 「そうしてみると、寛文年間(1661〜)からの出版書が多く」、「むずかしい漢字の本や仏教経典もあるが、小説・和歌・俳諧・謡本の類、論語・孟子・大学のような素読の本が多い。なかでも謡本二十冊そろいのものが何種類もある」ということだ。
 書名が記されているものに「万宝全書」「塵劫記(じんごうき・吉田光由のあらわした算術の本)」「大学雑書」「医道日用重宝記」、貝原益軒の有名な「養生訓」や「家道訓」、女子の教養として「女大学宝箱」「「女源氏教訓鑑」「女今川姫かがみ」「生花早学」などがあり、「本箱に整然とおさめられていた」とのことだ。
 「それらの本には幼い手跡で使用者の名前が書かれていたり、落書きがしてあったりする」との微笑ましい記述もある。「聞けば、西鶴の『世間胸算用』や『日本永代蔵』も所蔵されていたということである」とも書かれている。
 また、「ところで、この杉山家の主人は能を愛好する人で、付近の町村の友人とともに、実際に演じてもいた。『松風』『羽衣』『角田川』『船弁慶』など、数十番のレパートリーをもっていたというから立派なものである」とも紹介されている。杉山家住宅の床の間に能舞台を模したかと思われるような、立派な松の木が描かれているのは、そのゆえんなのだ。
 2月5日、横綱・朝青龍が引責・引退、民主党の石川議員ら3人起訴・小沢氏不起訴が大きく報道された。小沢氏は「幹事長職返上せぬ」とも…。
 相撲協会の優柔不断ぶり、民主党の自浄力のなさ。まさに「兄たり難く、弟たり難し」といった按配だ。どちらも、詳細な情報が警察や検察によって明らかにされるのは、後日を待たなければいけない。だが、朝青龍は解雇通告の前に辞めた。小沢氏は開き直っている。問題は「刑事事件」としての対処はともかく、「政治的・道義的責任」の所在について、どう対処するかという問題だ。鳩山総理や小沢氏の判断力、問題処理能力は角界にも劣る。そう言われても弁解できないはずだ。
 その夕刻、かの石川氏の1200万円など、当該の被告3人が多額の保釈金を積んで保釈された。報道の一部にこんな記事がある。
 「検察側は、石川被告らについて『犯行動機が未解明で証拠隠滅の恐れがある』などと保釈に反対したが、東京地裁は、石川被告らが起訴事実を認めている上、逃亡や証拠隠滅の恐れがないなどと判断して保釈を認めたとみられる」
 筆者は「腑に落ちない記事だ」と思う。というのは、石川議員逮捕に踏み切った時の報道に「特捜部は、石川議員に自殺の恐れが生じたことや、説明に虚偽が多く証拠隠滅の可能性があることを考慮。任意捜査の方針から一転して逮捕に踏み切った」(朝日・1月16日)とあったからだ。同紙は社会面でも、石川議員が電話のやりとりで父から「死ぬなよ」と言われていたことを報じている。他紙は「自殺の恐れ」とまでは明確に書いていなかったようだが「精神的に不安定な状況」と察しられる報道はしていた。
 とすれば、地裁には「証拠隠滅、逃亡(や自殺)の恐れも無し」と判断し、保釈にした根拠を明示する責任があるはずではないか。地検も「犯行動機が未解明で証拠隠滅の恐れがある」と抵抗したのなら、小沢氏だけが「嫌疑不十分」で「不起訴」と断定できるわけがなかろう。その間の事情をつまびらかにするような報道は見あたらない。
 マスコミは、ことを大々的に報道しているように振る舞うが、地裁と地検の奇妙な結論をきめ細かく追及しているようには見えない。真実の探求を中断して、世論調査報道に熱中している。またしても「劇場型」なのである。こんなことでは、尻尾は切れてもトカゲは斬れまい。
 朝青龍がハワイに行った。何のためにハワイにいるのかはわからない、という程度の報道と同じでは困るじゃないか。
 心あるジャーナリスト諸氏にがんばって欲しいと思うと同時に、今日のマスコミへの不審・不信を募らせる昨今だ。
 
「江戸の本屋さん」との巡りあい

 前回、「江戸の本屋さん」(今田洋三著・77年、NHKブックス刊)に啓発され、当時の粋人の面白い「号」を紹介した。今回はこの「江戸の本屋さん」と筆者の関わりを記しておきたい。
 筆者は年に10数回、頼まれて富田林の重伝建・寺内町(じないまち)や重文・旧杉山家住宅、その最後の当主・歌人石上露子(いそのかみつゆこ)の案内をしている。いわば市井の「案内人」である。
これらにまつわる資料もつとめて手元に置くようにしている。もとより高価なものには手を出せないことも多いのだが…。
 「江戸の本屋さん」は、何か面白い資料はないかとネットサーフィンしていた05年7月に見つけた。「富田林の杉山家が江戸時代にどんな本を読んだか、河内の俳諧グループがどんな範囲をもっていたか、実地調査している」との紹介がある。興味津々ではないか。
 早速、行きつけの書店に注文したが「絶版」との連絡がきた。市立図書館に出かけたが蔵書にない。司書の職員が「時間はかかるかも知れないが、図書館ネットで探しましょう」と言ってくれた。待つこと暫し、府立図書館からまわってきた。一通り読んでほとほと感心した。すばらしい。相当の時間をかけ、調査研究されている。他に類を見ない書籍だと思う。しかし、借受期間の制約もあり、熟読できたとは言えない。要所を「コピーさせてもらえないか?」と尋ねたが、「うちの蔵書ではないので、返事できない」という。
 くだんの第2章「Ⅱ 元禄文化と出版」の第2節「二、元禄の文化」の各項「河内の読者たち」「読書人・三田浄久と俳諧交遊グループ」「庄屋の日記にみる読書生活」「俳諧人口の増加」「近松劇と観客」「経済都市大坂の活況」は筆者には垂涎の件(くだり)なのだが…。
 どうしても手に入れたくて、古書を探した。NHKブックスの本だから、元々はそんなに高いものではない、と多寡をくくっていたのだが、いや!高いのである。少なくとも3000〜4000円、コレクター商品だと2万円前後もする。で、筆者の蔵書にするのは諦めていた。諦めきれずに、諦めていた。と…。
 昨年末、「日本の古本屋」というサイトで手頃な価格のものを見つけた。1500円プラス送料290円とある。大喜びで発注した。で、新年、勤務としては申し訳ないことになったのだが、本書を再読するについては、幸い?なことに風邪が思わしくなく無精するハメに…。恰好の読書タイムとなった。熟読、再読、大いに気を養わせてもらったのだ。
 読後、再度ネットを探してみると、「近世出版史研究の先駆的名著として名高い1冊ですが、長らく入手困難な状態が続いていました」として、09年11月、平凡社ライブラリーが「待望の復刊!」をとげたと報じている。筆者が原本を手に入れると相前後して復刊されていたのだ。後学のために貴重な復刊だと思う。
 と、同時に間一髪、初版本を手にしている「誇らしさ」にも酔うのである。遠回りしたり、諦めたり、懐具合を惜しんだりしていなければ、とっくに手に入っていたのかも知れないが、府立図書館から借りた念願の本を手中に収めるまで、実に5年弱の遠回りをしている!
 次回は、その肝腎の「河内の読者」について考えてみたい。
 
 
 福は内鬼は外!… 福内鬼外のこと

 2月になった。もうすぐ節分だ。節分と言えば「豆まき」を思う。「福は〜内!鬼は〜外!」と叫びながら豆をまく。
 江戸中期に、このかけ声をもじって「福内鬼外(ふくうちきがい)」と名乗った戯作者がいる。
 平賀源内である。平賀源内といえば、エレキテルや寒暖計などを作った科学者として有名だが、戯作、浄瑠璃などもものにし、油絵の洋風画も描いた博学無比の粋人であったらしい。多才が過ぎて世に入れられず、晩年生活が荒れ、口論から人を殺傷、獄死したとか…。
 元は武士ではあるが当時の町民文化を支え、興した人たちには愉快というか、ふざけたというか、一風かわった号を冠した一群の人たちがいる。ちょっと拾っておこう。
 狂歌名「四方赤良(よものあから)」。本名、大田南畝(おおたなんぽ)。元は幕臣。19歳で平賀源内に認められ、若い頃は洒落本や狂歌作者として有名であったという。晩年は狂歌界から離れ、随筆・考証で業績をあげ、江戸の代表的な知識人と認知される。
 だが、なぜ「よものあから」という号が面白いのか、よくわからない。調べてみると、広辞苑に「四方の赤」という言葉がある。「江戸神田和泉町の酒店四方で売った銘酒『滝水』のこと。よものあから」とある。よほど酒好きの男であったのか。さらに「→たいのみそず」とある。これは「鯛の味噌吸」と書き、「鯛の味噌吸物。下に『四方のあか』と続けて明和・安永頃に盛んに用いた語。鯛の味噌津」とあり、「めつたにうりたい、はなしたい。ー(鯛の味噌津)に四方山のはなしにひれはなけれども」というくだりが引用されている。この「めったに」は「むやみやたらに。むちゃくちゃに」という意味。要するに「鯛の味噌津に四方のあか(ら)」は贅沢三昧の、大酒飲みを自称したということなのだろう。人をくった号であったわけだ。
 さらに「朱楽菅江(あけらかんこう・漢江とも)」。本名、山崎景貫。これも幕臣。「先手与力」というから決して低い身分というわけでもなかっただろう。まさに「あっけらかん」という号だ。狂歌三大家の一人と称される。この細君も狂歌師で、こちらは「節松嫁々(ふしまつのかか)」と号す。
「不始末な男の妻だ」というのだから、何とも堂々たるものだ。男尊女卑とはほど遠い江戸庶民の大らかさが感じられる。いや、もっと恐妻家であったのかも知れない。
 「四方赤良」の門下に「宿屋飯盛(やどやのめしもり)」という人物もいる。本名、石川雅望(まさもち)。日本橋小伝馬町の宿屋の主人。弾圧をくらって江戸払いも経験している。
 この、「宿屋飯盛」の論敵に「鹿都部真顔(しかつべのまがお)」がいる。本名、北川嘉兵衛。江戸数寄屋橋外で汁粉屋だったという。「真顔でしかめっ面をしている」ということか。
 平賀源内の門下には「森羅万象(しんらまんぞう)」もいる。本名、森島(のち中原)中良。桂川甫周の弟で戯作者、蘭学者という。可笑しいわけではないが、世相や自然、文字通りの森羅万象(しんらばんしょう)に大胆に挑戦する戯作者、科学者の心意気が窺えるようだ。中良には「竹杖為軽(たけつえのすがる)」という戯作者らしい号もある。
 中にはわざわざ解釈のいらぬほど直截な号を名乗る者も多い。一例をあげると「元の木網(もとのもくあみ)」=京橋の湯屋大野喜三郎、「棟上高見(むねあげのたかみ)」=吉原・五明楼扇屋の主人、「垢染衣紋(あかぞめのえもん)」=高見の妻、「浜辺黒人(はまべのくろひと、くろんど?)=書肆三河屋半兵衛、「大屋裏住(おおやのうらずみ)」=日本橋金吹町の大屋・白子屋孫左衛門、「尻焼猿人(しりやけのさるんど)」=姫路城主酒井忠以(さかいただざね)の弟酒井忠因(ただなお)などである。忠因は画号を「抱一(ほういつ)」といい、画家として名高く、俳諧もよくした。
 大名一族の名まで出てくると驚きに堪えないが、狂歌集、洒落本、黄表紙などを通じて武士、町民入り乱れて独特の文人世界を形成する時代だったのだ。
 
*「江戸の本屋さん」という本がある。今田洋三という人が丹念に調査され、77年にNHKブックスから出版された本だ。「近世出版史の先駆的名著」と言われる。邪道ではあるが、この本に啓発され、「福内鬼外」とそれにつながる人々のことを調べてみた。なお、この本を読みたいと思った動機や、内容の紹介は後日にまわす。