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今朝、新聞を読んでいると、上記の言葉にであいました。
共感します!
子どもの心を鼓舞するのは叱咤激励ではありません。
心を寄せて見つめること…。

だが待てよ!
体を動かして遊びたい!明日に希望を持ちたい!やればできる自信!さびしがり屋!判定・差別は大嫌い!
ボクのことではないか?アイツのことかも…?身に覚えがあるゾ…!
「三つ子の魂百まで」という。子どもに限らず大人たちにも通じる心ではないのかなぁ…!そういえば「子は親の鏡」なんて格言もある。「大人は子どものなれの果て」なんて言葉も…。

秋葉氏の言葉は、教育の営みを真っ正面から見つめる言葉ではないでしょうか。子どもの幸福、成長、社会人としての人格の形成を願う的確な指摘だと感銘を受けました。子どもたちに「企業社会」「競争社会」の論理を押しつけてはならないと思うのです。
子どもたちに託す未来への期待と大人としての自省、責任、決意をこめて…。
*「大阪維新の会(代表橋下徹氏)」の教育基本条例について「教育への土足介入だ」と指摘・批判するインタビュー中の一文です。
久しく映画を観ていない。報道で見るところ、この映画のモチーフは興味深い。そう考えて映画「一命」を観てきました。ひと言で評論するには難しい映画でした。

手に入れた一部800円のパンフレットを熟読して、一番納得できたのが満島ひかりさんへのインタビューにあったこの言葉です。
◆ 決して悲劇のヒロインに終わらない強さを感じます。 
「それは嬉しいです心がけていたことは<いる>ということ。この家に住んで<いる>人。この道を歩いて<いる>人。気丈に腹をくくって、その場に<いる>。運命を受け入れて<いる>。そういうことを心がけながら、また感じながら演じました」

この映画は良くも悪くも野心に充ちた映画だと言えるでしょう。
それはこの映画がはじめから「カンヌやヴェネチアのコンペに入る映画になるか」という基準でつくられているからです。
パンフレットに曰く、「全編を3Dで撮影する時代劇は、もちろん日本初の試みだ」
さらに曰く、「今回は最初から海外マーケットを意識していたこともあり、スタッフには国際的に通用する日本の至宝というべき超一流の仕事人たちが集められている」。そこには衣装デザイン黒澤和子、殺陣辻井啓伺、音楽坂本龍一、ギタリスト村治佳織らの参画があげられています。
確かに、見応えのある奥行きの深い映像、聞き応えのある音楽・音響が館内に響きます。
しかし、「瑛太演じる千々岩求女の5分にもわたる(竹光での)壮絶な切腹シーン」はどうなのでしょう。明らかに海外受けをねらって設定された場面と思えて仕方がありません。
これはクライマックスで、津雲半四郎が数十人を相手に竹光で渡り合うというシーンでも感じます。

さて、ストーリーとモチーフについてです。
江戸時代初頭、大名家の取り潰しで浪人となった挙げ句、悲劇に見舞われたしがない家族の顛末である。
千々岩求女(ちぢいわもとめ)は赤貧洗うがごとき生活の中でも清楚に妻美穂、幼児金吾と暮らしていたが、金吾が生死をさまよう重病にもかかわらず、医者に診てもらうはおろか薬も買えない事態に陥る。たまりかねて金作に走った求女は、伊井家の庭先で家老斎藤勘解由に切腹を申し出る。いくばくかの金子をねだる口実、つまり狂言切腹であった。これを苦々しく思う勘解由やその配下は案に反して実際に切腹するよう迫る。取り乱した求女は3両の金子と暫しの時間の猶予を乞うが拒絶され、遂に無念の切腹を果たす。本当の刀はすでに質草と消えており、腰にあるのは竹光であったから壮絶極まりない。
求女が切腹を余儀なくされている頃、金吾は既に絶命。美穂と美穂の父津雲半四郎が求女の帰りを待ちわびていた。そこへ求女の遺体が送りつけられる。美穂は絶望のあまり求女の竹光で自害する。
静かな憤りに燃える半四郎は勘解由宅におもむき、切腹の申し出にことよせて「恥を承知で、武士が妻子のために金子を頼んだその心底を、誰か哀れと思わなかったか…」と告発する。時あたかも、雪の降りしきる庭先でクライマックスを迎える。

原作滝口康彦「異聞浪人記」、62年「切腹」に続く今回の映画化
キャストは半四郎に市川海老蔵、求女に瑛太、美穂に満島ひかり、斎藤勘解由が役所広司、脇役陣にも竹中直人、笹野高史、中村梅雀らが配され、豪勢で豊かな演技力で見応えがありました。全体として「久しぶりに映画を観た」という充実感は味わえました。
しかし、「現代と見事なまでに重なっている。… 格差と貧困が深刻化している2011年にこの問題を半世紀以上前に描いた先駆的な作品『異聞浪人記』が映像化されたのは必然だったのである」などと、くどくど現代日本の世相との照応を説いている評論家のコラムは少々しらけます。
映像や演技、作品に仮託されているものがあるにせよ監督はそこまで触れていません。脚本家の意見とも少しズレがあるようにも見えます。あり得たかも知れない物語の象徴化と、現に生起している事態の形象化とは違うはずです。今日の生活や政治の実相に迫るとすれば、それは何らかの具体的な社会参加、政治参加によるものでしょう。
この映画の評論は難しい…と感じたのはこの点です。コンペ作品にはなれたが、受賞はできなかった事情はこの辺に隠れているのかも知れません。

映画「一命」公式サイトはこちら(クリック)
ハシズムという言葉が流行る大阪!
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大阪府の橋下徹知事が辞職、大阪市長選挙に出馬するという。
市内では市長・知事のダブル選挙、府下では知事選が行われる。
橋下知事は今年6月29日、自らの政治資金パーティーで「政治のあり方を決めるのは力。最後は多数決」「今の日本の政治に必要なのは独裁者」と怪気炎をあげた。己が独裁者であることを自認したのだ。
この言を待つまでもなく、「クソ教育委員」「クソ坊主」「外国に行け」「関空に米軍基地を」「大阪をギャンブルの街に」など数え切れない程の暴言の数々と強引な手法…。挙げ句の果ての教育基本条例・職員基本条例である。まさにハシズム・ハシストと名づけるにふさわしい。言い得て妙とはこのことか。
橋下氏は大阪府も大阪市も壊してしまう「大阪都構想」をかかげて選挙をやりたいらしい。だが「明治維新以来の140年、政治の大勢は変わっていない」などと断定、「維新」を唱えるのは異常だ。
彼の言い分には、普通に暮らしたいと願う99%の庶民の声、暮らしぶりを省みる普通の感覚が無い。戦後憲法の立脚点は生きること、学ぶこと、働くことを保障し、住民こそ主人公の理念にたった地方自治を明記している。
これを疎ましく考える財界やそのお先棒をかつぐイデオローグ達の言い分がそのまま橋下氏の言動に反映されている。
ポピュリズムを正当化するエリート臭がプンプン漂う。
こんなエセ政治家にはお引き取り願いたい。
今まさに大阪中にハシズムは恐い、危ういと危惧する声が広がりつつあるのだ!
 世界平和を訴える運動を続けてきたパブロ・カザルスの「国連デー」での演奏です。40年目の今日、是非聞いておきたい。
 で、予約投稿しておきました。


  ご覧ください(クリック)

 このスピーチの訳が知りたいですね…。
 そこで、チェリスト井上頼豊氏の『回想のカザルス』(新日本新書)を見つけてきました。

* 95歳直前の1971年10月24日が、カザルス最後の国際舞台になった「国連デー」記念コンサートである。いまだに語り草になっているこの公演は、豪華な出演者への期待もあり、国連総会参加の各国代表とその家族たちで、大会議場は超満員だった。
 この日のためにカザルスが作曲したオーケストラと合唱のための《国際連合への賛歌》が初演され、ウ・タント事務総長がカザルスに国連平和メダルを贈った。つづいてスターンとシュナイダーによるバッハ《二つのヴァイオリンのための協奏曲》や、ホルショフスキー、ゼルキン、イストミン協演のバッハ《三台のピアノのための協奏曲》などのあと、もう一度《国連賛歌》が演奏されて、プログラムは終った。指揮台をおりたカザルスは、しずかに客席に話しかけた。
 私はもう十四年もチェロの公開演奏をしていませんが、今日は弾きたくなりました」
 運ばれてきた愛用のチェロを手にとって、彼はいう。
「これから短いカタルーニャの民謡《鳥の歌》を弾きます。私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んでいるのです」
 彼は右手を高く上げて、鳥が飛ぶように動かしながら、ピース、ピース!とくり返した。
「この曲はバッハやべートーヴェンや、すべての偉大な音楽家が愛したであろう音楽です。この曲は、私の故郷カタルーニヤの魂なのです」
 静まり返った会場に流れた《鳥の歌》。その感動をことばで表現するのはむずかしい。強いていえば、巨匠の人生と思想がこの短い曲に凝縮されて、聴くものの心をゆさぶった、ということだろうか。全聴衆と演奏者が、そして世界に放映された録画に接した人たちが、同じように涙を流したのだった。 *

 * 少し粗いですが、スピーチと演奏のある画像はこれだけのようです。
   もっと鮮明な音色や画像のものは他にもあるのでお探しください。


 * 例えばこんな風です(クリック)
10月16日号の「大阪民主新報」、「なにわじんぶつおうらい」のコーナーに井村身恒氏が登場しました。井村氏とはひょんなことからお近づきになり、編集長に紹介。取材にはボクもつきあったのですよ!(記事はクリックで拡大。適当なサイズにしてお読みください)
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* さて、明日は10月24日!
  期するところあり、予約投稿してある記事がオープンになる日!
  ぜひご覧ください!
もう少しだけ竹ノ内の集落と芭蕉の句のことを書いておきましょう。
まず、これをご覧ください!(クリック)
奈良市佐保台の藤原敞さん(本文・写真)と、浦野英孝さん(web管理)との共同製作による「奈良観光」のページです。

それから、昨日アップした
   綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥  の句意です。
写真と説明でおわかりになったと思いますが、種をはずした綿の実を弦の下に置き、上から木槌で打って、綿をほぐし、馴染ませ、糸に紡ぐ段取りをするのが「綿打ち」であり、その道具が「綿弓」でした。
弦はガットのようなものと書きましたが、昔は鯨のヒゲなどを使っていたようです。それ自体かなり硬く、力もいったようですが弦を打つとビョ〜ンビョ〜ンといい音が出ます。
その音色を芭蕉は琵琶の音にたとえたのです。
* 綿を打つ弓の音が琵琶のように鳴り響いて心が安まるなぁ…。
  竹薮の奥にたたずむこの家と美事に釣り合っている。

 といったところでしょうか。
この句は、芭蕉の門人で竹ノ内出身の苗村千里(ちり)の案内で逗留した折につくられたもので「野ざらし紀行」所収とのことです。
探ってみると、ほど近い当麻寺や長尾神社での句もありました。

なお、実際の綿打ちの場面がわかる動画は無いか?と探してみましたが無いようです。
いろいろ検索していると↓のような写真が3枚アップされていました。
左が、綿弓をセットしているところ。真ん中が打ち始め、右がひとまず打ち終わりでしょう。
  綿打ちの実演(クリック)
これで様子がよくわかり、自分でも納得できました。
竹ノ内街道をご存じですか?
堺市・大小路から葛城市・長尾神社に至る日本最古の官道です。
概ね、↓の地図のようなルートを辿ります(クリックで拡大)。
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私の住む富田林から奈良に至るには幾つかのコースがあります。
先ず、藤井寺へ出て西名阪に乗るコース。奈良市や橿原市にはこのコースかな…?
太子町を抜けて穴虫越えの長尾街道コース。
同じく、太子町から竹ノ内街道を抜けるコース。
この二つは、二上山の裾を巡って大和高田市に入ります。
さらに南の千早赤阪村を抜けて御所市へ抜けるコース。
そして、河内長野市を抜けて五條市に入るコースです。
それぞれに、曰く深い旧蹟がたくさんあります。
が、多くの場合もっと奥の方へ向かうことが多く、途上を愉しむことはあまりありません。

思い出が深いのは、竹ノ内越えのコース、竹ノ内街道です。
高校3年生の夏休みにアサヒペンタックスを抱えて、羽曳野市の埴生野辺りから竹ノ内を越えた所までを写真に撮り、自分で現像し、簡単な説明をつけて文化祭に出品したところ、社会科の先生に激賞されたことがあるのです。
当時は、日本最古の官道、小野妹子も通ったとか、ホンの少ししか知恵はなかったので細々した解説はできていなかったと思うのですが…。
その写真は、母校の中学校の理科室に忍び込んで現像したのですが、洗いが不十分だったのか、現像液が粗悪だったのか、今では真っ黄色になっています。

さて、最近この竹ノ内の集落が見直されているようなので少し探ってみました。
で、やっぱり発見があります。
集落の中程に芭蕉ゆかりの綿弓塚と看板のかかった旧家があります。

b0142158_14365661.jpg 裏には小さな公園風の庭と僅かな駐車スペースがあります。
芭蕉がこの地に10日ばかり滞在し、その節の句をいくつか刻んだ石碑もありました。その一つ「綿弓(わたゆみ)の句」が綿弓塚の起源です。

b0142158_14401062.jpg建物の中は無料(?)の休憩所、トイレもあります。
少しだけですが説明板や飾り物もありました。
この絵馬でも「綿弓の句」が読めます。





  綿弓の琵琶になぐさむ竹の奥 芭蕉という句です。


b0142158_1542149.jpg壁際にさりげなく立て掛けられてあった道具を見て、これが「綿弓だな!」と直感しました。そばに木槌が置かれ、弓に沿ってテニスのガットのような硬いナイロン製の糸(弦?)が渡されています。
糸に紡ぐ前の綿をほぐす道具のようですが、どうやって使うのか?見当がつきません。



探してみると、こんなページに出会いました。
綿の実から糸にするまでの解説です(クリック)。
よくわかりました!ありがとう!

みなさんもドライブはいかがですか?
近鉄南大阪線・上ノ太子から、ちょっと寄り道をして叡福寺(聖徳太子御廟あり)、小野妹子の墓などに寄り、太子町立の歴史資料館見学、所々で竹ノ内街道旧道を散策しつつ、竹ノ内集落・綿弓の家を訪ね、長尾神社まで…。
気軽な日帰りドライブが楽しめますヨ!
凝り性な方は、さらに沿道に話題が一杯ですから調べてみてください。
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 この写真をアップしたいと思いつつ、用意はしたものの適当な文章が浮かばず、しばらくデスクトップに置いたまま思案していました。
 今夏、友人達と京都・粋仙庵に一泊した折に頂いてきたものです。
 風楽舞楽
 と書かれているのがおわかりでしょう。ブラブラと読むそうです。
 字体も面白いが、段ボールに書かれているのがなお面白い!
 いかにも粋人の味がします。
 手持ちの額をいろいろ試して、この額に決め、玄関に飾りました。

 今日、これをアップする気になったわけは…?
 昨夜、近く某紙に掲載する記事のことでimim氏に会い、耳寄りな話を聞いたからです。
 同氏はオダサクにとても詳しい人で、オダサクのことを
 flaneur・フラヌール(遊歩者・仏語)
 と紹介してくれました。
 
 flaneur・フラヌール(遊歩者・仏語)という言葉の意味は?
 探してみると「ヴァルター・ベンヤミンが、近代(都市)を分析した『パサージュ論』と数編の『ボードレール論』の中で遊歩者(フラヌール)を重要なキーワードとして使用して以来、『遊歩者』は近代都市の分析概念として注目されてきた」との解説を見つけました。
 「遊歩者(フラヌール)は都市を自分の夢の中に引き込み、街路は彼を遠くに消え去った時間へと連れていく、追憶と陶酔にひたって通りを散策する者は、目に映りゆく過去の建造物や読書の知識を自らが経験したもののように覚醒させる。遊歩者はこうして歴史の瞬間に立ち会う」ということのようです。

 法善寺横町を闊歩するオダサクにふさわしい…!
 フラヌール(遊歩者)がブラブラ(風楽舞楽)! 
 一脈相通ずるような気がします。
 語感も似ているような気がしますねぇ…!
 この写真をmixiで紹介すると「長崎ぶらぶら節を思い出しました」との感想がありました。
 * 粋仙庵のこと、ベンヤミンのことは省略しますが、検索すればすぐ見つかります。
 
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 10月も5日になると朝夕はめっきり涼しくなりました。寒く感じる時間帯も増えてきます。
 今朝の通勤車中は晩夏、初秋、中秋、色とりどりに装った人たちであふれています。
 見渡すと「まだ夏!」。夏着のTシャツそのままの青年男子。
 「もう冬!」と言わんばかりのコートを着込み、ブーツを穿いた若い女性たち。
 「秋です!」と中秋・晩秋を思わせる出で立ち、おめかし風の中年・初老の女性たち…。
 概して男性が色とりどり。
 夏ズボン、合い服姿の人。スーツやコートの下は半袖カッターという人も…。かくいうボクも今朝は何を着れば良いのか迷って、長袖のTシャツに夏用、麻のコートを着込んでいるのです。
 でもまぁ…、車内は秋色濃しという色合いに着実に替わりつつあります。ところが、電車は軽く冷房が入っているのです。上着を手に涼しげな顔つきの人。寒そうにしっかり前立てをかき合わせる人、これもまちまちです。
 こうやって秋は日増しに深まっていくのでしょうか?
 ホントに!調節の難しい季節ですねぇ…!
 観察するに、昼間のお出かけ、夕刻早く帰宅できそうな人は夏着に近く、夜遅く帰る見込みの人は冬着に近いようです。装いのとりどりは、暮らし向きのとりどりに彩られているのですねぇ…!

 朝と言っても少々遅めですが30分ほどの間、通勤車中を眺めながらできた句です。
 作者の自解は禁物でしょうが、感慨の一端を記してみました。