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 このテーマは連日のように各種の報道があるし、ボチボチ考えているようなものでは無いかも知れません。
 それでもボクはあえて整理に挑戦したい。日本を再び誤った道に進ませたく無いからです。
 この問題を考える基礎の基礎は憲法に違いありません。

 憲法は前文で戦争と平和にかかわる大前提を明確にしています。
 (日本国民は)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 この前文の精神を具体化したのが第9条にほかなりません。
 第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


    原点は自衛権発動としての戦争も放棄

 この条項がどういう意味を持つべきものなのか、以下のブログに注目したいものです。

b0142158_1623572.jpg 一九四六年に当時の吉田茂首相は国会答弁のなかで、「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませんが、第九条第二項において一切 の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と、第九条は一切の軍備を認めず、また自衛権の発動 としての戦争も放棄していると解釈しました。(まあ、普通にこの九条を読めばそうでしょう)

 同じく一九四六年に、共産党(繰り返しますが、共産党です!)の野坂参三代議士が「侵略戦争は正しくないが、自国を守るための戦争は正しい。憲法 草案のように戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争の放棄とすべきではないか」(ウァーオ!)と質問したのに対し、吉田茂首相は「近年の戦争の多くは国 家防衛権の名においておこなわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのでありま す。...正当防衛を認むることそれ自身が有害であると思うのであります」と答弁しています。(どっちが共産党だかわかりません)
緑の部分はブログ筆者)

 このように当時の政権党の憲法解釈は明確な「戦争の放棄」であり、集団的自衛権はおろか、個別的自衛権の行使も否定していたのです。
 1946年の国会で、このような応答があったことは「知る人ぞ知る」ところですが、「憲法九条を考える」と題するこのブログの筆者は、何を隠そう、神奈川県第15区選出の自民党国会議員河野太郎氏なのです。河野氏はこの記述に続いて、1950年に吉田茂氏が態度を豹変したことに触れていますが、その顛末は次回に触れましょう。

 念のため河野氏のブログ憲法九条を考える(クリック)をアップしておきます。
 元自衛官、泥 憲和さんの街頭・飛び入り演説です。
 友人のマーやんからこんなメールが届きました。
 説得力のある発言で感動的です。気になり本人のFacebookを見ましたら7月1日13:56編集で掲載されていました。「どんどん拡散してください」とも書いていました。
 もちろん、早速、泥さんのフェイスブックを訪問しました。24411件のアクセスがありました。すごいですね。
 ちょっと計画を後回しにして、泥さんの話を聞いてみましょう。

集団的自衛権行使は他人の喧嘩を買い、恨みない人を殺し、自衛官も殺され、日本へのテロの危険性を高める


b0142158_18211749.jpg 突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。集団的自衛権に反対なので、その話をします。
 私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

 いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。そこは、安心してください。

 いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。日本を守る話ではないんです。売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。それが集団的自衛権なんです。
 なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。君たち自衛官も殺されて来いというのです。冗談ではありません。
 自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。
 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

 みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。当然ですよ。
 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

 みなさん、軍隊はテロを防げないんです。世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。
 自衛隊はテロから市民を守れないんです。テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

 安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。
 日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

 ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。
 自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。どうしたと思いますか。軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。そういうものなんですよ、戦争というのは。

 安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

 みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。
 私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。使い方を間違ったら、取り返しがつきません。
 ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。でもね、戦場は国会とは違うんです。命のやり取りをする場所なんです。
 そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

 みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、この国の主人公は内閣と違いますよ。国民ですよ。みなさんですよ。
 憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。

 これからが正念場です。だから一緒に考えてください。一緒に反対してください。
 選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。まだまだ勝負はこれからです。
 戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。
 しっかりと考えてくださいね。
 ありがとうございました。

* 今回はヘタな解説を書くよりはるかに説得力を感じたので、泥さんの飛び入り演説をアップしました。次回から粛々と本論に入ります *
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 7月末をもっての退職が本決まり。その前の半月ほどを休む…。
 暑い夏だが、心は涼し!

* 「涼し」と「昼寝」。夏の季語が重なっているし、「竹の長いす」も季語くさい。いわゆる「季語重なり」だが、川柳だからまぁいいだろう。 *
 日本は今、戦争か平和かをめぐって、戦後最大の歴史的岐路を迎えていることを痛感します。
 でも、焦ってはいけません。じっくりと腰をすえて平和への着実な道のりを切り拓いていかねばなりません。それは今日の日本に生きる者の重大な使命ではないでしょうか。
 7月1日の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定から10日が経ちました。この間、内閣官房のホームページのアップされた閣議決定の全文一問一答を読みこんできました。
 その結論は、やはり自分なりの見解を表明すべきだなぁということでした。一度に全部は書ききれません。で、あえて9条守ろう!許すまい!集団的自衛権の行使!と題して、シリーズでアップする決意を固めました。
 このブログを訪ねてくださるみなさんに、お読み頂きたいのはもちろんですが、基本はボクの備忘録です。

 さて、本論です。
 今日、7月10日付けの信濃毎日新聞・社説を読みました。安倍首相の外遊について、安保をただす 首相の外遊 思惑に目を凝らさねばという標題です。確かな論評だと思いました。ボクがポイントだと思った点を抜き書きしておきます。

 集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をした直後に向かったオセアニア諸国では、ニュージーランド、オーストラリアの各首脳と相次いで会談し、行使容認への支持を取り付けた。

 さらに首相はオーストラリア議会で初めて演説し、「日本とオーストラリアはそれぞれの同盟相手である米国とも力を合わせ、一緒にやれることがたくさんある」との見解を示した。

 文脈上、一緒にやれることとは軍事的な行動と受け取れる。「海外派兵は一般に許されないという従来の原則は全く変わらない」と閣議決定後の会見で強調したのは首相自身である。

 国内ではこれまでの自衛の枠を大きく踏み出さないと説明し、海外では内向きの安保から大きく転換すると述べている。見過ごせない使い分けである。

 日本政府はオーストラリアを「準同盟国」と位置付けている。米国と同様、密接な関係がある国として集団的自衛権の発動対象になる可能性がある。

 的をついた指摘だと言わざるを得ません。社説は次のように結んでいます。
 国内で丁寧に説明する前に、海外で踏み込んだ発言を繰り返してもいる。安保政策の転換は国の針路に関わる問題だ。国会で議論を尽くし、国民の理解を十分得るのが筋である。今の首相にはその姿勢が見られない。言動を厳しく問いたださねばならない。

 これが信濃毎日新聞の予断や偏見でないことは明瞭です。
 社説の本文は以下です。
 安保をただす 首相の外遊 思惑に目を凝らさねば(クリック)

 何回のシリーズになるのかは自分でも分かりかねますが、閣議決定の本文や一問一答に即して読んでいきたいと思います。
 毎年、富田林の寺内町(じないまち)界隈で開かれる寺内町燈路
 今年で11回目。年々企画も広がり、人出も増えているようです。
 いつもの静けさとは趣も異なり、少しざわざわした感じにはなりますが、小ぶりの燈籠がずらりと並ぶ様は圧巻です。
 燈籠には地元の人たちの手になる俳句や短歌、画や書が描かれており、眺めながら歩くのも一興です。
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   *画像はクリックで拡大できます。適当なサイズになおしてお読みください*
 

 富田林市の梅の里2丁目に絵本カフェcoconeという気の利いたお店があります。存在は知ってはいましたが入ったのは初めてでした。
 コーヒーを頂きながら何気なく壁を見ると、こんなことが書いてありました。ケータイで撮ってみました。
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 読めるでしょうか。画像をクリックすると拡大して読めるはずなんだけど…。
 かつらぎ町と言えば、ボクの友人が議員をしている町です。知っているのかなぁ、なんて考えながらアップすることにした次第。
 午後からのっぴきならぬ所用があるので、落ち着いて書けないが、取り急ぎどうしても書いておきたい。

b0142158_11442918.gifb0142158_11445873.jpg 自民、公明両党が集団的自衛権行使について合意したという。今日中には閣議決定の運びとのことだ。
 両党が文言整理の段階に入った時から、「言葉あそび」の懸念は高まっていた。
 安倍氏の暴走はここまで来たか。何ともやりきれない、憤りがつのる。つけても、公明党の追従は見苦しい。
 グーグルのニュースを辿っても、批判の声は轟々たるものがある。単なる客観報道の域を超えた批判が満載され、遠慮がちな戸惑いも多く、積極的な賛成は僅かにすぎない。
 
 アメリカに 
  「積極平和」を 献上す

 若者よ
  「積極平和」だ 血を流せ

 国民は 
  アベタリズムを 許さない


 連立の 
  うま味に酔うて 千鳥足

 戦争へ 
  匍匐(ほふく)前進 平和の党


 週刊朝日 7月4日号にはこんな記事が載っている。
 「下駄(げた)の雪」とも呼ばれる公明党。山口代表が「下駄の鼻緒だ」と顔を真っ赤にして反論したこともある。鼻緒が切れれば歩けないとの主張だ。
 下駄の雪か、鼻緒か。答えはまもなく明らかになる。


  平和捨て 下駄の鼻緒か 下駄の雪