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 京都国立博物館で開催中の特別展覧会「国宝 鳥獣戯画と高山寺」に行ってきた。もちろん修復後初という「鳥獣戯画」の展示が目的だった。かねて「ホンモノを見たい」と念じていたので前売り券を手に入れての参観だった。
 平日にも関わらず大勢の人が訪れていて、一応40分待ちとの列の最後尾に並んだが、入館まで1時間はかかった。中に入ってからも長い列が続いていたので、「惜しい」とは思いながらも高山寺の名品はほとんどまともに見ないで、ひたすら「鳥獣戯画」をめざした。
 鑑賞を終えて、こういう時には必ず手に入れることにしている「図録」を購入してきた。
 その中で、目を惹き、驚いたのが上記のこの絵だった。
 「華厳宗祖師絵伝」という巻物の最後の部分だ。図柄自体は以前に何かで見たことがある。龍神に守られて帆走する船の姿だ。とても迫力がある。
 だが、図録の解説を読んで驚いた。
 「義湘(ぎしょう)に恋心を抱いた善妙が、新羅に向かって出航した義湘の船を追って身を投じ、龍に変じて船を送るまでの一連の展開は劇的である」とあるではないか。
 この図版は見開き4㌻分を使ってこの顛末の絵巻を掲載しており、確かに善妙と思しき女性が海に身を投げる場面も描き込んである。
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 その間の事情をもっと知りたいと思って検索すると、こんな解説にであった。とても参考になる。
 華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん)(クリック)
 図録にはこの「善妙」の立像も掲載されていた。
 23日の夕刻、叔父が危篤との報が入った。バタバタしている内に逝去の報が入った。間に合わなかった!
 叔母は「今夜は来なくてもいい」と言うが、叔母と娘、二人では心細いに違いない。寝屋川までクルマをとばした。案の定二人だけで、葬儀社に対処していた。駆けつけて良かった!
 取りあえず、通夜と葬儀の時間を決め、家族葬に近いこぢんまりした規模にすることまで決めて、詳細は24日、午前10時から詰めることになった。帰宅は10時半をまわっていた。
 翌朝10時に会場へ。当日の通夜だから慌ただしい。こまごました打ち合わせが多いから、ボクのような者が同席すると少しは役に立っただろう。
 穏やかで、いつもニコニコしていたどちらかと言えば、温和な人だったが、従3位、瑞宝章を受賞している。裁判官だったのだ。当然のことだろうが、仕事の話や政治の話は一切しなかった。家にも持ち帰らなかった。
 棺には法服をかけ、焼香台の側に賞状と勲章を飾ってもらうと、とてもしまりのある雰囲気になった。少しは手違いもあったが、ボクの顔に免じて「許してください」と進行させた。
 実は、葬儀の日はのっぴきならないコンサートがあった。他にも「偲ぶ会」の案内も受けていた。それぞれ欠礼やむなしと判断した。準備から終わりまでつきあって大いに感謝され、疲れを忘れた。
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 昨日、全国革新懇の10月号が送られて来た。読みがいのある記事が幾つかあるが、中でも雨宮処凜さんの「ヘイトスピーチと若者」という随想に目を惹かれた。
 ご存じの人も多いと思うが彼女は「90年代後半、私は2年間、右翼団体に所属していた」と書き出している。
 「戦後の日本で『若者』が『外国人労働者化』した瞬間」を体験したという。そして、「単身上京していた私はどこにも帰属していなかった。家族、地域社会、学校、会社という中間団体の不在は、私を一気に『国家』に向かわせた」ともある。
 そして、「ヘイトスピーチは、決してあってはならないものだ。しかし『何をどうやっても報われない層』を作り出したこの社会の歪みこそが、彼らを生み出したようにも思えるのだ」と結んでいる。
 ヘイトスピーチに熱中する人々が何故生まれるのか。様々な角度から論じる人たちがおられる。雨宮さんの随想もその一つとして、耳を傾けるべき論考だと思える。
 雨宮さんが何故右翼団体から脱することができたのか。雨宮さんは表現力、思考力、自己探求力ー古い言い回しで言えば「内省」の力ーを持っていたからだ、と言えるような気がする。
 そういう能力は、誰にでも備わっている、とは言えないのかも知れない。しかし、いみじくも指摘された「家族、地域社会、学校、会社」、つけ加えれば仲間、友達といったような「中間団体」が存在し、ともに育ちあうことは可能ではないか。
 雨宮さんの指摘は言外に「何かを懸命にやれば報われる」体験は可能だ。喜怒哀楽を分かち合える社会をつくること、社会の歪みを正すことは可能だ、そんな一石になろうというメッセージがこめられているように、ボクには読めた。
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 昨日、10月11日、ダン吉さんに招かれて岸和田だんじり祭りに行ってきた。
 他の人も幾人かは呼んでおられるのだろうとは思っていたが、川柳界では名の通った西出楓楽さんや川柳マガジンの松岡恭子さん、新海夫妻などと同席できたのは光栄だった。
 中でも切れ味のいい評文の楓楽さんが妙齢の女性だったのは驚きだった。てっきり男性だと思い込んでいたから…。
 岸和田のだんじり祭りは一度訪ねたいとは思いつつ、初めての訪問で興味深かった。
 何と言っても見せ場は「やりまわし」だろう。かなりの勢いをつけてだんじりを引き回し、四つ辻などで直角に方向転換する。失敗すると大変なことになりそうだ。
 ボクも富田林ではだんじりの世話を何度もしているが、だんじりの仕組みに違いがある。岸和田ではだんじりの前面の左右に二つの梃子がある。「前梃子」というそうだが、引き手とこの「前梃子」、そして富田林のだんじりなどにも普通にある「後の梃子」(写真後方の赤い布に巻かれている部分)とが息をあわせて駆け抜け、方向転換する。うまく行くと、回り終えたみんなが喝采している。緊張の一瞬だったということがよく分かる。
 
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 ボクはかねて「岸和田の人たちはよくこの祭りを育てあげた」と思っている。岸和田のだんじり祭りのことは子どもの頃からよく知っているが、その昔は「けんか祭り」などと言って激しい、危険な祭りとして有名だった。俗に言えば「ガラの悪い」祭りだったのだ。その祭りをここまで育てあげ、まさに市民こぞっての祭り、遠来の客も呼ぶ「みんなの祭り」に育てあげた。
 その市民の力、団結力に率直に拍手を送りたい。
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 安倍首相が「地方の創成」などと言い出した。と言っても、本当に地方再生がはかられるわけでもなさそうだ。見せかけのバラマキで真に地方が再生できるわけがない。
 どうやら福島や沖縄、来年の統一地方選挙をめざして、きな臭い諸課題を争点からそらしたいという魂胆があるようだ。
 本当に地方を再生させるというなら、地元で安心して働き、暮らし、子育てができる環境を整える必要がある。「観光」と言っても財布の余力、つまり消費購買力の向上がなければ国民の足は動かない。

 往年は新婚旅行と言えば、関西では有馬、別府、熱海、宮崎などがメッカだった。そこが苦戦している。
 全国ほとんどの道府県に「銀座」と名のつく界隈がある。もちろん「東京の銀座」にあやかったものが大半だ。丁寧に調べてブログなどにアップしている人もいる。そこが苦戦している。
 戯れ言にこんな川柳を推敲してみた。未完成だが話の都合上アップしておく。
 訪ねれば銀座さびれた田舎町
 訪ねれば地方の銀座みな寂れ

 

 で、地方の「銀座」の様子を探ってみた。どこも惨憺たる様子だ。シャッター通りと化しているところ、まるで商店街の体をなさなくなったところが多々ある。意図的なのか、変換ミスなのか「消店街」なんて言葉を使ったレポートさえある。
 ことごとく地方の銀座消店街

 たどり着いた先には、本当なのか?と目を疑わせるような「熱海銀座」のスナップもあった。
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