広辞苑で「地方自治体」をひいてみると「地方公共団体に同じ」とあります。確かに都道府県や市町村をさしているという意味では「同じ」なのですが、着眼する力点の置き方に微妙な差異があります。
 面白い(不思議な?)ことに、憲法にも地方自治法にも「地方自治」という言葉はありますが「地方自治体」という言葉は出てきません。この憲法と地方自治法をつなぐキーワードが「地方自治の本旨」という言葉です。
 「地方自治の本旨」とは「住民自治」と「団体自治」という二つの側面からなっているというのが定説です。わかりやすく言えば「住民こそ主人公」ということ、および、都道府県や市町村がその単位で「自主権・自治権」をもっているということです。この「自治」の側面に着眼し、重点をおいて表現しているのが「地方自治体」という言葉だと言えるでしょう。「国の防衛政策に異議をはさむべきではない」(橋下知事)との発言は、地方自治体の長にあるまじき乱暴なものだと言うべきです。
 憲法第八章「地方自治」の項の各条(第九二 条〜第九五条)は「地方公共団体」について規定しており、地方自治法がその地方公共団体を「普通地方公共団体」(都道府県・市町村)と「特別地方公共団体」(東京都の各区=特別区とそれぞれがつくっている組合、財産区、事業団など)に区分しています。
 「地方公共団体」の「公共」という言葉には、その都道府県・市町村のある」区域に住んでいる、赤ちゃんからお年寄りまで文字通り住民全体がその構成員であるという意味がこめられています。言いかえれば、それぞれの団体が取り組んでいる事務・事業・施策はその地域住民全体のために執行されているという「公共性」に着目し、そこに力点をおいて用いられている言葉だと言えるでしょう。「図書館以外すべて不要」(橋下知事)などというのは、施策の公共性を無視した論外の発言です。
 秋葉原で7人を殺害し、10人を負傷させる通り魔事件がおこった。
 むごたらしい事件である。亡くなられた方々を心から悔やみ、負傷された方をお見舞い申しあげたい。その場に居合わせた方々やご遺族にもにも大きな衝撃をあたえたことだろう。PTSDが懸念される。

 おこった事実は新聞やテレビ、ラジオの報道で理解できる。しかし、それだけでは軽々に論評しがたい事件だろう。
 だが、ボクがまず直感したのはアメリカのような銃社会であれば、乱射事件間違いなしではなかったか…?という感想である。

 時系列でメールが発信されているという。かなり計画的なのである。

 http://www2.asahi.com/special2/080609/TKY200806090082.html

 「誰でも良かった」という言葉がまたしても繰り返されている。誰でも良かった…とは、全く無責任きわまりない、残虐な行為ではないか。殺害にいたる動機も、批判・攻撃すべき対象も特定されていない。単純すぎる情緒である。
 これから、具体的な情報を集めていろいろな角度から刑法学者や心理学者・教育者などが解析してくれるのだろう。それを待ちたい…。

 ただ、ボクなりに感ずるところがあるので、ふれてみたい。
 事件を起こした青年が精神衛生上の障害・病気を持っていたとは今のところ思えない。だとすれば、この事件にいたる青年の内面には動機があるはずだと思う。怒りや憤りの感情があり、その鬱憤をはらすために行動したのではないか。「誰でも良かった」というのはその怒りや憤りの矛先をどこに向けるべきか、「特定できなかった」ということだろう。「世の中全部に怒り、憤っている」と言うのと同じことだ。
 それは、主体的には「自分の感情がどこからくるのか解らない」という自己同一化の遅れと言えるかも知れない。また、世相や世の中の仕組みがわからず、社会のどこにいて、どこへ行けば良いのか認識できないという幼さ、無知かも知れない。
 この青年は自らすくすくと自己を育むことができなかった。彼には世の中・社会のシステムが大きすぎて、そのシステムを受け入れたり、変革したりするために働きかける余地はなかった。つまり、閉塞感に充ち満ちていたとは言えるだろう。

 だが、どんなに苦しい環境の中でも、自分を信じ、明日を信じて生き抜こうと懸命に努力している青年たちがいることを忘れてはいけない。夜のとばりは重く、暗くても、必ず煌々と陽がのぼることを信じて、苦闘を続けている青年たちがいることを…。

 罪を犯したこの青年は裁きを受けなければならない。更正の道を開けるかどうかは、この青年自身の努力次第であろう。
 しかし、犯人を裁けば一件落着とは言い難い。このような犯罪を生み出す世の中、社会の現実もまた、裁かれねばなるまい。
 この種の事件の多発ぶり!を見るにつけ、人が人として育ちぬける健全な教育環境の回復、人が人として交わることのできる世の中への前進・改革こそが、再発防止の決め手だと痛感するのである。

 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については … 最大の尊重を必要とする」という憲法の言葉は重い。
 「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」という教育基本法の言葉とともに…。                                                              
数日かけて、色々試してみました!
ここに、居場所を定めることにしようかなァ…。
本格始動まで、もう少し時間がかかるかも知れないけれど…。
順次、充実しながら本音を綴るコーナーにして行きたいと思います。
賓客、珍客も歓迎できるコーナーにと念願しつつ…。    
それでは次回からのカキコをお楽しみください。  敬白 m(__)m

 とうとうブログ開設の、決意をかためました。

 以前、某所で携帯ブログを開いていたのですが、突然、先方の都合で廃止されてしまい、無料のブログでは致し方なし…と、懲りていたのです。
 また、あるところで自分の「生い立ち」にかかわるブログを始めたのですが、取材がままならず、どうしても書き進めかねる悲惨な場面にさしかかって、筆(指?)を停めているのです。
 でも、あらためて開く決意をしたのは、この世の中、黙っちゃおれんなア…、と思うことしきりだからです。
 余生!というにはまだ早い歳だから、ここでは専ら過去を振り返らず、今日から明日へ、明日からあさってへ…!と
Slowly and Steadily の精神で書き進めたいと思います。
 せめて、月に最低2回くらいは書き進められるよう、軽い気持ちで挑戦してみるつもりです。
 どなたに読んでいただけるのか、見当はつきませんがよろしくお願いします。 
                       ちゃーちゃん・敬白