1月6日の朝日新聞、「日曜に想う」の欄にこんな記事が掲載されていました。
 ボクは渡辺白泉の句が好きなので思わず惹き寄せられました。

 <戦争が廊下の奥に立ってゐた>
 この句を当初は、川柳かな?と思っていたのです。どう見ても「季語」がないからです。後に「無季俳句」というものがあると知って、一層感興が盛り上がりました。若い頃の思い出です。
 <夏の海水兵ひとり紛失す>
 この句には「夏」もしくは「夏の海」と「季語」はあります。でも、この句も「無季俳句」の流れを汲んだものと読むべきでしょう。
 
 今は亡き金子兜太氏の尽力によって建立された「俳句弾圧不忘の碑」にまつわる一文は印象深い。
 で、全文を引用しておこうとと考えました。
 こんな文章が多くの人の目に止まるといいなぁと思うからです。

  





 過日、上山慧氏から4冊の本をいただいた。昨日持ち帰り、今朝通読した。
 4冊は発行順に「大谷大學史學論究」第23号、「熊野誌」第64号、「歴史と神戸」第57巻第3号、「大阪民衆史研究」第71号であり、それぞれに上山氏の論考が掲載されたものだ。  同氏は大谷大学大学院文学研究科博士後期課程で学術研究に勤しむ若き研究者だ。彼は明治末期に引き起こされた「大逆事件」の研究を事としている。
 論考のテーマは、それぞれ「毛利柴庵と『牟婁新報」への弾圧」、「峯尾節堂の生涯と思想」、「井上秀天と初期社会主義者との関係についてー神戸平民倶楽部における活動と大逆事件を中心にー」、「神戸における大逆事件関係者について」と題されている。この4つの論考について詳述するのは難しいから、気のついた断片だけを紹介しておく。
 「大逆事件」そのものは明治政府がデッチあげた最初の社会主義者・無政府主義者への大弾圧事件としてよく知られるので詳述はしないが、初期社会主義の相貌を極めるのは簡単ではない。著者の注目点の一つはそこにある。
 著者は「事件に連座した26名の被告のうち、内山愚童・高木顕明、峯尾節堂の3名は仏教者であった。事件容疑者として捜索を受けた者に、真言宗御室派ん毛利柴庵と曹洞宗の井上秀天がいた」と仏教者の存在に注目している。毛利柴庵については、「混沌たる諸思想の状態にあった『初期社会主義』を明らかにするために」「毛利柴庵の思想の状況や『牟婁新報』論調をみる」というのである。宗教者、なかんずく仏教者が「無政府共産」という思考に傾く過程はそれぞれ興味深い。
 通読して強く感じるのは、当時の思想家、実践家は共通して思想、信条、言論、集会、結社の自由について強い見識を持ち、当時の権力的横暴に対して堂々と立ち向かっていたということだ。
 
 
 

初めは初句を「来年と」とした、次に「来年だと」としてみた、結局「来年を」とすることにした。ご意見は色々あるかもしれない。見向きもしない方も…!
まぁいいのです、気まぐれだから…!

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寺内町を正確には何と読むべきか?
答えるには、かなりの努力がいりそうだ。
Wikipediaでは「じないちょう」とも「じないまち」とも読めるように解説している。

さて?
城下町、宿場町、門前町を皆さんは何と読まれるだろうか?
もちろん「じょうかまち」であり、「しゅくばまち」であり、「もんぜんまち」であることだろう。
「じょうかちょう」とも、「しゅくばちょう」とも決して読まない。
ところが、門前町は一般には「もんぜんまち」と読むが、時に「もんぜんちょう」と読むこともあるらしい。
在郷町も然り、一般には「ざいごうまち」なのだが、「ざいごうちょう」と読むことも許されるようだ。

となれば、「寺内町」も然り。
ボクとしては「じないまち」と読んでほしいし、呼んでほしいのだが…、
「じないちょう」と読み、呼ぶ人も結構多い。
間違いでは無いとしても、雰囲気はかなり違うように思える。
で、ボクは寺内町を案内したり、解説する機会があるごとに
「ボクは『じないまち』と読んでいます。みなさんも是非…」と呼びかけている。
ご協力頂ければ、かなり嬉しい!


 昨日、少しアップしたように「評伝 管野須賀子〜火のように生きて〜(堀和恵著)」を半日かけて読んだ。その感想の一端をまとめておきたい。
 「評伝」とあるからには須賀子の人物評価と伝記のないまぜになったものであることは違いない。だが、ボクは帯にある「現代に蘇る!」という言葉に目を惹かれた。「一人の女性のフレームアップされた虚像を剥いだ、真実の姿」がどのように描かれているのか、そこに関心を惹かれたのだ。
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 ボクが真っ先にあげたいのは、著者はおびただしい資料を渉猟し、あちこちの現場を逍遥して、今日的な感慨を表現されていることだった。
 大逆事件そのものが大がかりなフレームアップ(デッチあげ)によるものであり、断じて刑の執行など許されるものではなかった。そのことは、ようやく幾ばくかの人々の間では「常識」になろうとしている。その多くは「史実」として語り継がれている。
 しかし、唯一の女性の犠牲者、管野須賀子にまとわりついた「妖婦」「毒婦」伝説は根強く、良識ある人々の間では克服されているとはいうものの、ある種の「贔屓」とみなす人さえ残されている。
 本書はそのタチの悪い「伝説」を須賀子の生い立ち、ジャーナリストとしての論陣、様々な局面での「愛と葛藤」の実像に触れ、解明している。有名な荒畑寒村や幸徳秋水との触れあいと、すれ違いの実相などはそれだけで読むに値する。
 正義感の強さ、女性らしい喜怒、子どもたちへの優しさの点描を活写する筆致は素晴らしいものだ。

 二つ目に挙げたいのは、もちろん「大逆事件」をめぐる背景についての論述だ。事件の「被告」とされた人達の「無政府・共産」、社会主義やアナーキズムについての理解の度合いがまちまちであったこと、その経過についての表現もほぼ適切だろう。
 単なる理想、空想に近かった「社会主義」が、そのプロパガンダのあり方を巡って初期の社会主義者が「直接行動派」と「議会政策派」に分かれる兆しが見えはじめていたこと。事件の首謀者とされる幸徳秋水が「直接行動派」から身を引き始めようとしていたことなどは注目しておきたい。

 では、どうしてこのようなフレームアップが成立したのか。その際、司法当局の間には何の矛盾もなかったのか。その間の事情についての記述も参考になる。特に、平沼騏一郎の野望の凄まじさは肝に銘じておくべきだろう。

 獄中での須賀子の言動、デッチあげへの糾弾、針文字、「死出の道艸(しでのみちくさ)」、平出修弁護士との関わりなどはよく知られていることではあるが、現物を読んでいない人のためには格好の解説書となっているのではないか。

 さて、最後に触れておきたいのは、第5章「そして、その後」のくだりが設けられ、「ヤヌスの苦悩 ー 森鴎外」「伝搬する周波 ー 石川啄木」「真情のバトンタッチ ー 堺真柄」に触れられていることに注目しておきたい。石川啄木がこの事件について多大の関心を持っていたこと、かなりの衝撃を受け、義憤に耐えかねていたことはよく知られている。が、著者が森鴎外や堺真柄にも目を届かせていることは、評価に値するのではないか。知る人ぞ知る、逸話ではあるのだが…!
 
 最後に、本書でも紹介されている須賀子の辞世の句を掲げて、筆を置く。

 残しゆく 
 我が二十とせ(はたとせ)の玉の緒を 
  百とせ(ももとせ)のちの 君にささげむ

 著者は書く。
 百年後の君とは、私たちのことではないだろうか。