西行絵巻 ー 物好きの深読み Ⅹ

第十首 惜しむとて


惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは
    身を捨ててこそ身をも助けめ


 詞書きに「鳥羽院に出家のいとま申し侍るとて詠める」とある。出家を訝る鳥羽院に確たる理由も述べず、この歌を奉ってお茶を濁したのだ。故井上靖氏はシンプルに「いくら惜しんでも惜しみとおすことのできないこの世である。いっそのこと世を捨て、出家してこの身を助けようと思う」と訳した。
 とは言え、少しきわどいところもある歌だ。こってりと訳せばこんな風にもなる。「いくら惜しみ執着したところで惜しみとおすことのできる世の中ではない、そんなに惜しむほどのこの世だろうか。こんな時代だからこそ世間から身を引き、出家するほうがきっとこの身を助けることになるにちがいない」。
 「この世」はもちろん現世、今の世の中ではあろうが、出家するにあたっての言葉だから「当代」つまり「この時代」、「今の時代」と長めのスパンで見ることに意味が出てくる。
 「…かは」には疑問の「…か。…だろうか」とも読めるが、反語の「…(だろう)か(いや、…ではない)」と読む方が妥当ではないか。「こってりと訳す」と言ったのはその意味だ。
 「助けめ」は「助く」の活用形「危難・病苦などから救う」と「む」という意志・意向「…う、…よう、…つもりだ」の已然形「め」で「助けよう、助けるつもりだ」ということになる。
 「身を捨つ」はもちろん「出家する」、「世間から身を引く」ことだ。しかし「世を捨つ」ではない。「世を捨つ」も「出家する」との意をもつが、「隠遁」の語感が強い。広辞苑に「捨身(しゃしん)」は仏教用語だとある。西行は「捨身の身」ではあるが、決して「世捨て人」たろうとはしていないのである。

惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をも助けめ

 西行の出家の背景については、さらに見ておくべきことがある。
 西行(佐藤義清)は北面の武士として直接には鳥羽院に仕える身であった。しかし、鳥羽の中宮である待賢門院璋子と懇ろな仲になった。鳥羽は璋子との間にできた崇徳院を祖父の子と疑い、璋子を疎んじ、崇徳院を疎んじるようになる。あげくの果てに崇徳は半ば謀略に近い形で譲位を押しつけられ、保元の乱が起こる。
 西行(義清)はその争い、戦の兆しを見ていた。鳥羽に仕え、璋子や崇徳に親しい西行(義清)は名門佐藤一族の当主として、領地や資産を守るべき立場にある。鳥羽にも崇徳にも与(くみ)するわけにはいかない。この間(はざま)に立って中立を装おうこともできない。出家する以外に一族とその領地を守る道はない。西行は時勢をそう読んだのである。戦乱が起こってからでも、その直前でもいけない。この兆しが兆しである内に決断しなければならない。
 西行は「捨身(しゃしん)」にことよせて合法的に鳥羽から離れ、崇徳や璋子にも距離をおいたのである。