喜多一児から鶴彬へープロレタリア川柳作家への道のり④

鶴彬の号にこめられた決意

 なお、鶴彬の号について田辺聖子氏は剣花坊の娘、鶴子さんにこと寄せたとする説を「研究者達はその〈伝説〉を信じたがっている」と優しい文章を書いています。が、かほく市で発行された「高松歴史新聞」は「鶴林(かくりん)の林にさんづくりをつけた彬」とし「悟りの境地」としています。鶴林とは広辞苑によれば「釈尊の入滅を悲しみ、沙羅双樹が鶴の羽のように白く変わって枯死したという伝説に基づく沙羅双樹林」とあります。また、彬という字は漢字源に「ひん」と読むこと、「彬彬(ひんぴん)とは、並びそろうさま。外形も内容もともによいさま」とあり、「文質彬彬、然後君子」という論語を引き、「文質彬彬として、然る後に君子なり」と読ませています。
 思うに、鶴彬は川柳を短詩形文学の位置に高め、時代を告発する「文質彬彬」たる川柳の境地を切り開く決意をこの号に込めていたのではないでしょうか。