西行絵巻 ー 物好きの深読み  Ⅻ

第十二首 面影の

面影の忘らるまじき別れかな
     なごりを人の月にとどめて


 文字通り「いつまでも面影の忘れられそうにない別れだったよ。あの日以来、あの人がそのなごりを月の光のうちに留めてしまっている」と解される歌だ。璋子への思い、未だ断ちがたしということか。
 「おもかげ(面影)」は古語辞典に①顔つき、顔かたち、姿、ようす、②幻影、まぼろし。ぼんやりと目の前に浮かぶ人や物の姿・情景、とある。この歌では、どちらかといえば単なる姿・かたちというより②の意味と受けとめたい。
 「まじき」は打ち消し推量の助動詞「まじ」の連体形で、「そうなることはあり得ない」という話し手の判断をあらわしている。推量の助動詞「べし」の否定形ということだから、「〜するまい」、「〜しないだろう」、「〜するもんか」など、かなり強い響きがこもっていることになる。とすると、「忘らるまじき別れ」は「決して忘れることのできない別離」と読めることになる。
 「なごり(名残)」は「物事や人が過ぎ去ったあと、なおその気分・ようす・影響・面影などの残ること。また、その気分・面影など」をさすという。「なごり」はここでは石川河川公園の陶板どおりとしたが、漢字で「名残」としている資料も多い。
 「人の月にとどめて」の「の」は主語を表す格助詞で「人が」名残を「月に留めている」のである。

 面影の忘らるまじき別れかななごりを人の月にとどめて

 こう一行に書いてみると、「なごり」を漢字にした方が読みやすくなることがわかる。
  ☆ 面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて
 さて、この歌意はあまりにも明白で「深読み」の余地がないように見える。ところが、この歌は「山家集」では「月」と題した「恋歌の歌群」にあるのだが、「新古今集」では「題しらず」として「後朝(きぬぎぬ)の別れを詠んだ歌群」にあることを知った。大いに趣が異なるではないか。
 「山家集」は人の手を経てはいるが西行の「自撰」をもとに編まれている。「恋」の歌であれば「昔の恋人の面影を月光にいつまでも偲び続ける男の歌」と読める。西行は成就しなかった恋を忘れ、切り捨てることができなかった。直接には、璋子への断ちがたい思いをひきずっているともいえるが、もはや恋への憧れ、都への望郷といったものに昇華しているのかもしれない。いずれにせよ「恋」の歌である。
 「新古今集」は後鳥羽院の院宣を受けた藤原定家ら数人が選び、推薦(撰進という)した後鳥羽院「勅撰」の和歌集である。そこでは「後朝(きぬぎぬ)」の歌群に入れられているというのだ。
 「後朝」とは何か。「全訳古語辞典」(旺文社刊)を引いてみる。「きぬぎぬ」は「衣衣・後朝」と書き、「男女二人の着物をかけて共に寝た翌朝、それぞれの着物を着て別れること。また、その朝」とある。当時は「通い婚」が通例で「朝の別れがたい切ない気持ちを『きぬぎぬ』の言葉に託す」との解説もある。もしこの歌を、文字通り「きぬぎぬ(後朝)」の歌、つまり、明け方の別れをなごり惜しむ歌と読むなら、とても生々しい話になってしまうではないか。
 筆者はこの歌を「後朝」の歌群に入れて「撰進」した人々の「恋の歌とは認めたくない」という「作為」を感じる。当時、西行と藤原俊成らとの間に歌の評価、作風のあり方について激しいつばぜり合いがあったというエピソードを思い出すからである。