西行絵巻ー物好きの深読み ⅩⅩⅤ

西行絵巻 終章

たはぶれ歌 老境そして童心

 山家集・聞書集に「たはぶれ歌」13首がある。老境に差しかかった西行のどことなくひなびた味わい、それでいてなお衰えぬ童心を感じさせる歌群だと思う。良寛や一休にも通ずるようだ。お口直しに「たはぶれ歌」を味わって、西行絵巻の結びとしよう。

 詞書 「嵯峨に棲みけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを

 うなゐ子がすさみにならす麥笛のこゑにおどろく夏のひるぶし
 「幼い子が手すさびに鳴らす麦笛の音色にはっとして目覚める夏の昼寝だよ」「うなゐ」はおかっぱ頭のこと。「すさみ」は「すさび」に同じ。この場合は「遊み・遊び」。「ひるぶし」は「ひるふし」が一般的。「昼臥し」と書く。

 むかしかな炒粉かけとかせしことよあこめの袖にたまだすきして
 「もう昔のことだなぁ、炒り粉かけとかしたこたがあったよ、あこめの袖に玉襷をかけて」「炒粉」は米を炒って粉にしたもの。「炒粉かけ」は砂糖などをまぶしたものか。「あこめ」は「示」編に「日」または「白」と書くのだが、パソコンでは出ない。「広辞苑」によれば「アイコメ(間籠)の意、公家の男女の装束の内着」とあり、「アコメすがた」に「上着を着ずアコメだけを着た姿」とある。「玉襷」の「たま」は古語辞典に「接頭語で美称」とあり「玉襷」は「たすきの美称」とある。

 竹馬を杖にも今日はたのむかなわらは遊びをおもひいでつつ
 「遊び道具だった竹馬を今では杖として頼る身になってしまったよ。子どもの頃に竹馬で遊んだことが思い出されるなぁ」「わらは」は「童」、「元服前、十歳前後の子ども」。

 昔せしかくれ遊びになりなばやかたすみもとによりふせりつつ
 「昔した隠れんぼうをしてみたいものだなぁ。今も子供たちはあちこちの片隅に寄り臥せって隠れているよ」「なりなばや」は解しにくい用法だ。「なる」「ぬ」「ばや」のことか。「なる」には「することができる、可能である、かなう」などの意がある。「ぬ」には「必ず…、確かに…、…てしまう」など完了のニュアンスがあり「確述(強意)」だという。「ばや」は終助詞で、ここでは「希望。…たいものだ」と読める。しつこく訳せば「昔よく隠れんぼうをしたものだ。その隠れんぼうを子どもの頃に還ってしてみたいものだ」となり、「かたすみもとによりふせりつつ」は、今、子供たちが隠れんぼうをしている姿とともに、西行自身が部屋の片隅にじっと臥せる姿が重なり、子どもの頃に隠れんぼうをしていた昔の姿と重なる。深い郷愁を漂わせる表現だ。

 折角なので、「たはぶれ歌」の残り九首も紹介しておこう。

 篠ためて雀弓はる男のわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな
 我もさぞ庭のいさごの土遊びさて生ひたてる身にこそありけれ
 高尾寺あはれなりけるつとめかなやすらい花とつづみうつなり
 いたきかな菖蒲かぶりの茅卷馬はうなゐわらはのしわざと覺えて
 入相のおとのみならず山でらはふみよむ聲もあはれなりけり
 戀しきをたはぶれられしそのかみのいはけなかりし折のこころは
 石なごのたまの落ちくるほどなさに過ぐる月日はかはりやはする
 いまゆらも小網にかかれるいささめのいさ又しらず戀ざめのよや
 ぬなははふ池にしづめるたて石のたてたることもなきみぎはかな


              西行絵巻ー物好きの深読み <完>



 
by itya-tyan | 2009-10-12 21:00 | 西行絵巻ー物好きの深読み | Trackback | Comments(0)
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