東京へのオリンピック招致が決まりました <1>

*このカキコは、オリンピック招致が決まったと報道された8日に書きかけたのですが、途中で所用が飛び込んで、未完成のまま公開せずに放置していたものです。今日は少し時間があるので完成させ、何回かに分けて公開したいと思います*

この際、政府・国会、東京都・都議会、NHK・マスコミに言っておきたいことがあります

 ボクはオリンピックが開かれること自体は大歓迎です。それが東京であっても基本的には変わりがありません。特に、オリンピックに続いて行われるパラリンピックには、つくづく勇気をもらい、感動するのです。
 ただ、オリンピックを「国威発揚」の場にしようとするうさんくさい動きには、気をつける必要があると思っています。8日は新聞休刊日だったこともあって、なりゆきをテレビで見ていて、それが単なる杞憂ではないなぁ…と痛感しました。

 こんな書籍があることをご存じでしょうか。

b0142158_18404492.jpg「ヒトラーへの聖火―ベルリン・オリンピック 」(シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション)という著者:タフ・ハート・デイヴィス、翻訳:岸本完司、出版社:東京書籍(¥ 1,680)の本です。
 紹介文に「古代のスポーツマンは、神のために競技に臨んだ。それが、やがて、国王のため、皇帝のため、国家のため……と変化し、現在では『自分のため』と堂々といえるようになった。そんなスポーツ史のなかで、『国家のため』のスポーツを強要し、『国家的スポーツ利用』を企んだヒトラーによるナチ・オリンピックのドキュメンタリー。スポーツを何か他のものに利用しようとする行為は、ナチスと同罪なのである」とあります。

 「現在では『自分のため』と堂々といえるようになった」というくだりが印象的です。念のため、あまり読んだことの無かった「オリンピック憲章」の全文を読みなおしてみました。
 「オリンピック・ムーブメントとその活動」という項目の「6 オリンピック競技大会」の冒頭に
「1. オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会では、各NOC によって選ばれ、IOC がその参加を認めた選手たちが一堂に会する。選手は関係IF の技術的な監督下で競う」とあります。
 選手・競技者が「自分のため」と堂々と言えるのは、ここに根拠があるのでした。

 ひるがえって、古代のスポーツマンが「神のために競技に臨んだ」という「神」とは、当時のアプリオリ(普遍)の象徴としての「神」だったことは見やすいことでしょう。それが「国家のため」に置きかえられた典型が、1936年のベルリンオリンピックでした。(続く)
by itya-tyan | 2013-09-10 13:11 | 東京オリンピックによせて | Trackback | Comments(0)
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