憲法施行67周年の記念日に、「日本国憲法 対訳」を読む

 学生時代いらい久しく英語の長い文章を読むことがありません。が、思うところあって昨夜、日本国憲法の対訳を探しました。できるだけ正確な訳が欲しいので政府のHPから入り、見つけてきました。
 書き出しには、日本国憲法 The Constitution of Japanとあります。何度も読んでいる憲法ですが、英語と並べて読んでみて(恥ずかしながら、読みくだせないところも少なからず)、新鮮に感ずるところがありました。

 今日は憲法施行67周年の記念日なので、その幾つかを記録しておきたいと思います。
 第一に、日本国憲法は、国民の総意として戦争に明け暮れてきた近現代の負の遺産を総括し、国民を抑圧してきた非民主的な政治体制からの脱却を国際社会に宣言する、決意表明だったということです。
 そのことは、憲法の構成そのものからもはっきり窺えます。
 戦前の日本では、天皇制が政治体制の根幹でした。その天皇は戦後日本においてどう扱われるべきか。
 憲法は前文で「主権が国民に存することを宣言」し、第一章では「象徴天皇」の由来は「主権の存する国民の総意に基づく」として、戦後の天皇は戦前の天皇とは全く異なる存在であることを明確にしています。

 第二に、日本国憲法は、日清、日露戦争からアジア・太平洋戦争にいたる負の遺産との訣別、軍国主義国家からの脱却を格調高く宣言しています。
 憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」決意を表明しています。この決意表明なしに国際社会へ復帰は不可能だったのです。
 第二章は、戦争の放棄、つまり第9条です。
 英語ではJapanese people forever renounnce warと書かれています。「日本国民は永久に戦争を放棄する」というわけです。
 つたない読解力ながら、ボクが注目したのはこのforeverという言葉です。憲法には、幾つかの箇所で「永遠に」とか「永久に」という言葉が使われています。
 例えば、前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」というくだりがそれです。この「地上から永遠に」は、英語ではfor all time from the earthです。

 第97条にも「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という最高法規としての重要な規定があります。「侵すことのできない永久の権利」のくだりはto be held for all time inviolateにあたるでしょう。

 分かることは、前文や97条にある「永遠・永久」という言葉にはfor all timeという言葉が使われているが、第9条戦争放棄の項でだけはforeverという言葉が使われているということです。
 その使い分けには意味があると思います。for all timeという言葉には時間的概念が含まれており、foreverという言葉には時空を超えた、ある意味絶対的な永久性がこもっています。
 国際社会への復帰をめざし、「戦争の放棄」を国際公約に掲げた日本という国の面目躍如というべきものだったのではないでしょうか。

 第三に、憲法は第三章「国民の権利及び義務」の項では、事細かく基本的人権の内容を謳っています。第13条の幸福追求権、第25条の生存権をはじめ、思想及び良心・信教の自由、集会・結社及び表現の自由、学問の自由、勤労者の団結権などがそれですが、そのことはよく論じられていることなので、ここでは割愛しましょう。
 憲法を読みなおして痛感したのは、戦前の圧政・暗黒政治への反省に立って、司法・官憲の横暴を規制する条項が具体的に明記されているということでした。戦前、天皇制権力のもとで国民にくわえられた数々の横暴は苛烈きわまりないものでした。その迫害は国民に限らず、外国人にも容赦なくくわえられました。
 こうした歴史を踏まえて、憲法第18条には「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と明記されました。第31条から第40条までの各項は司法、及び官憲の逸脱を禁じ、被告人の人権を保障する条項が列挙されています。
 これら被告人の権利保障に関する条項は、そのすべてが国民であるなしを問わず「何人も…られない」という表現になっています。
 司法・官憲にかかわる条項のすべてで「何人も」つまりNo personまたはAny personと表現されている意味は、大きいと思います。それは、他の多くの条項で「国民は」つまりThe peopleと表現されていることと対比するとよく分かります。

 最近気づいて驚いたのは、憲法の中に「絶対に」と極めて厳しい語調の表現が一箇所だけあるということでした。
 第36条に「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。
 ボクは思わず捕らわれて数時間のうちに残虐な拷問で殺された小林多喜二のことを思い出しました。英語ではabsolutely forbiddenとなります。

 さて、最後に憲法は「国際社会に復帰する決意表明だった」と書きましたが、では今、日本の憲法は国際社会に対してどういう意味を持つのでしょうか。
 ボクは、私たちはこの憲法のもと、過去の深い反省に上に立って、国民が健康で文化的に暮らし、平和な世界をめざして頑張っていますよ!終戦直後の決意を現実のものにしていますよ!67年を経た今も未来に向かって歩み続けていますよ!と胸をはって言える、日本の国の、また、日本国民の自己紹介状でなければならないと思うのです。
 その目で見ると、最近の安倍内閣の暴走はどう見ても許せません。それは戦後の日本が復帰を目指した国際社会からの逸脱・脱線にほかならないからです。
 憲法は、いま生きる人、未来に生きる人々this and future generationsのうえに輝く誇らしい道しるべなのです。

< 追記 >
 見つけてきたのは、法務省のJapanese law translationという日本法令外国語訳データベースシステムの日本国憲法のところからです。お読みになりたい方はリンク用URLをどうぞ(クリック)。