「裸の王様」だった鳩山氏とオール沖縄・翁長氏!そして…!

 少し古いのだけれど、ずっと気になっていた記事がありました。「裸の王様」だった鳩山氏とオール沖縄・翁長氏!そして…!_b0142158_21103647.jpg  過熱する沖縄県知事選直前! 元総理大臣・鳩山友紀夫の弁明という前編、後編二つの記事です。
 前編の標題には「官僚たちの反発で“裸の王様”状態になっていた」とあります。
 後編は「官僚は私を諦めさせるためにウソをついた」というものです。
 この10月19日と20日にアップされていた「週プレ」つまり「週間プレイボーイ」の川喜田 研氏が取材、文章化した記事ですが、なるほど…と感じるところがありました。
 民主党・鳩山氏の悔しさが滲み出ている記事ではありますが、どこか「曳かれ者の小唄」という感がないでもありません。
 話題の中心は、沖縄に置かれた米軍基地、なかんずく普天間、辺野古を巡って標題が示す通り官僚たちに裸の王様にされていた。官僚に騙されたという恨み節が全編を貫いています。少し長いですが一先ず、この前・後編をクリックして目を通してください。
 <前編>「官僚たちの反発で“裸の王様”状態になっていた」
 <後編>「官僚は私を諦めさせるためにウソをついた」
 ボクはほとほと鳩山氏というか、民主党というか、その両方の限界というものを痛感しました。政権を預かる者が、米軍基地問題を単なる内政の問題としてしか捉えず「官僚」と渡りあう課題だと認識しているなんて、おかしな話です。「官僚」ばかりを目の敵にしていて、肝心のアメリカとも、財界とも渡りあうことができなかった。そのため外交はおろか、内政でもつまずいてばかりいた民主党政権の限界が如実に現れているのではないでしょうか。
 基地問題はその象徴でもあったのです。
 民主党は今に至るもきちんとした政綱・綱領を持っていません。あえて言えば、今日の日本を現実に統制・管理しているのがアメリカ(帝国主義)であり、日本の財界(独占資本)であるという認識を持つことができません。これでは、自民党政治そのもの、せいぜいその亜流の道を歩むしかありません。改革や変革を呼号しても、真の改革や変革(維新)にたどりつけるわけがありません。
 なるほど、総理大臣は一国の長ではありましょうが、厳密に言えば「行政の長」にしか過ぎないのあって、決して「権力」全体の長ではありません。国際法や諸外国との「条約」などに縛られているのであって、その根元を改革する決意や意思、手立てがなければ問題の根本解決はできないのです。
 日本の現状は「政権」と「権力」の乖離が甚だしく、事実上日本政府は「傀儡(かいらい)」に過ぎない地位まで貶められています。民主党の諸君にはそのことが全くわからず、ただただ「官僚支配の打破」、「官僚との闘い」だけを勇ましく叫びたて、自滅してしまいました。
「裸の王様」だった鳩山氏とオール沖縄・翁長氏!そして…!_b0142158_22203366.jpg そんな矢先に、沖縄ではオール沖縄の旗印のもとに結集した県民の力と沖縄のアイデンティティを唱えた翁長雄志の決意が相まって劇的な知事選挙の勝利に結実しました。画期的なことです。
 きわめて党略的なネライをこめて解散、総選挙に持ち込んだ安倍首相や政府・閣僚は沖縄に足を運ぶことすらしませんでした。
 しかし、その総選挙でも自民党は沖縄の小選挙区選挙で全敗しました。2度3度とオール沖縄の意志が示されたのです。
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 ボクは、この選挙の経過と結果の中に、明らかに民主党・鳩山氏の恨み節とは異なる決意と方向性を確信しています。
 それは日テレの沖縄県民は「基地移設」にNO 県知事選と題する11月17日 の放送に端的に示されています。
 この中で翁長氏は「大変感無量で、県民の皆様方に心から感謝を申し上げたいと思います。まずは去年の12月の(仲井真)知事さんの(辺野古の埋め立て承認の)行政行為をですね、今回の知事選、私が当選することによって、『民意は、沖縄県民の考え方は違いますよ』と、『こういう考え方ですよ』としっかり出ましたから、これをまず内外に、日本政府、アメリカ政府、場合によっては国連にも行って、これを届けたい」と明確に語っています。
 沖縄県民は「基地移設」にNO 県知事選(クリック)
 鳩山氏が遂に触れることの無かった言葉。「アメリカ政府、場合によっては国連にも行って、これを届けたい」という言葉!これを具体的な実行行為に移すには様々な段取りが必要でしょう。しかし、この理不尽をアメリカと直接談判する。国際世論に訴えるという決意こそ、真に日本政府の立場でなければなりません。日本政府がやらないというなら、我々がやるぞ!という決意を今こそ日本国民全体の決意とすべき時なのではないでしょうか。
 ボクは今こそオール沖縄の熱意と期待に真っ向からこたえ、信頼と期待、共同の道をさらに確かなものにすべき時だと痛感するのです。