がっかり感!

   流れゆくがっかり感や鰯雲

 長い間、このブログにアップすることができなかった。あまり意識はしていなかったが、どこか気落ちしていたのだろう。

 一つには、6月末に母が亡くなったことがあるような気がする。 96歳だったから「天寿を全うした」とは言えるに違いない。だが、末期は哀れだった。かなり重症の認知症に見舞われていた。脚が壊死していて、初めは足の小指、次には膝下から切断した。ボクガ決断した。でも、さらなる切断にはストップをかけた。これ以上の手術は苦労以外の何物でもないと思ったからだ。
 母の葬儀は、ほんの身内だけの家族葬とした。14〜15人のささやかなものになった。大きな葬儀の世話をしたことはあるが、こんなにささやかな葬儀を取り仕切ることは初めてだった。でも、それなりの運営はできたのではないかと思う。最後に、みんなで「千の風になって」を歌って送った。
 ボクに信心心はないが、毎朝小机に置いた母の遺影に飲み水を取り替え、駄菓子を供え、線香を一本立てている。信心ではなくとも、追憶はあると思うからだ。
 そこには、往年の写真と
 梅雨晴れ間一言ずつの家族葬
という我流の川柳が飾られている。

 二つには、参議院大阪選挙区の結果があるのではないかと思う。
 折角定数が増えて、今度こそ大阪選挙区で議席を確保できるのではないかと期待した。ところが、自民党の策略とそれに呼応した「おおさか維新」の計略の結果、期待する候補者の議席獲得はならなかった。
 ある人が「もっと伸びると思っていた」「改憲勢力の3分の2を許してしまった」「渡部結さんを通せなかった」というがっかり感に答えることが重要と指摘しているらしいことを知って、妙な共感を覚えた。「がっかり感」とは言い得て妙の表現ではないか。

 三つには、東京都知事選挙の経過と結果があるようだ。
 各政党の努力、鳥越氏の奮闘、それを支えた人々の奮闘に異論はない。その経過に宇都宮氏の動向があったことも承知している。しかし、その経過や結果についての鳥越氏の応答、宇都宮氏の応答には歯切れの悪いところが多々あるような気がしてならない。各政党のコメントも少し歯切れが悪いのではないか。「なるほど良く分かった」といえる解明にはたどり着けていない気がする。と言って、どこかに、誰かにわざわざ注文をつけるつもりでもない。

 で、こんな気持ちになってしまったのがこの夏であった。

 もうえぇよ背ぇ伸びせんとき年金者

 とは言え、イロイロやるべきことの多い秋を迎えたのです。
 なんとか、やっていけまっしゃろ!