カテゴリ:治安維持法のこと( 5 )

 昨日、2019年5月11日、「管野須賀子を顕彰し名誉回復を求める会」の第7回総会が開かれ、鯵坂真先生による記念講演「幸徳秋水の思想〜大逆事件とその時代背景」があった。詳細なレジメに基づくその講演を聞いてボクは「わが意を得たり」との思いを禁じえず、いささか感想めいた発言をした。
 レジメは「天皇専制主義の明治政府は、この抜群の理論家、抜群の名文家、幸徳秋水を最も恐れ、これを抹殺しようと大逆事件を捏造したのである」との言葉で結ばれていた。先生は「幸徳秋水は片山潜と対立したまま殺された」と言外に生き抜いていたならばきっと和解できたに違いなかったとの確信も述べられた。
 ボクは当該の本を持参していなかったので、不正確ではあったが二つのことを発言した。その文献の一つを紹介しておきたい。
 不破哲三氏の「党綱領の未来社会論を読む」という冊子のことである。「月刊学習」に連載され500円で手に入る冊子になっている。この中に「『共産主義』の言葉は日本でいつ登場したか」というくだりがある。ぜひ、お読みいただくようお勧めする。
 引用しておきたいのは「20世紀に入ると、マルクスの理論を本格的に吸収して未来社会を論じる画期的な著作が世に出るようになります。1903年(明治36)、ほぼ同じ時期に出た幸徳秋水『社会主義神髄』と片山潜『我社会主義』はその代表的なものですが、『生産手段の社会化』を土台とした未来社会のとらえ方などは、幸徳秋水の著作の方が、マルクスの未来社会論をより正確にとらえていました」としたうえで、幸徳と片山の略歴を紹介。幸徳が「資本論」、「共産党宣言」、「空想から科学へ」を英文で読み、「社会主義の中心問題は『一切の生産機関を公有にし、一切の産業を管理する』ことにある」としていたことなどを詳しく紹介されていることです。
 不破氏が「幸徳と片山が相容れぬ立場をとっていた」ことを承知の上で、「生産手段の社会化・未来社会のとらえ方」について「幸徳の方がより正確にとらえていた」と明言されていることにボクは素直な興奮を覚えていました。これが発言の第1のポイントです。
 第2のポイントは、幸徳が直接行動派であり、片山が議会政策派であり、意見・見解を異にしていたという点についてです。確かに二人は見解を異にしていたと言えるでしょう。が、後のアナ・ボル論争に見られたようなアナーキスト、そしてつい最近まで見られたような極左冒険主義と同類のものとして「直接行動派」を見るべきなのでしょうか?
 ボクは当時のつまり「初期社会主義」の特徴、限界をここに見るべきだろうと思います。未分化の初期社会主義を特徴づけるならば確かに「直接行動派」、「議会政策派」と分類できるかもしれないが、それ以前に「どちらも社会主義を標榜していたこと」をしっかり掴むことが大事ではないかと考えるのです。
 そして、そこから演繹されることは「大逆事件」の再評価です。「直接行動派だからあんな短絡的なことをした」「幸徳秋水も一枚噛んでいた」という批判は当たらないのではないでしょうか。ボクは大逆事件を後のアナーキーな行動、極左冒険主義者の妄動と同列において敬遠することを差し控え、正当な評価に立ち返ることを願ってやまないのです。


北海道で生活図画事件に関わった二人の敬愛する先輩のことが丁寧に描かれた記録に出会いました。
これは是非皆さんにもご覧いただきたいと思い、アップすることにしました。
とっくりご覧ください!
* 画像をクリックしていただくと、詳細を見ることができます *



 3月12日、大阪で「管野スガを顕彰し名誉回復を求める会」の結成総会が開かれ、116人もの人の参加で大成功しました。ボクもその事務局の一隅に身を置くハメになりました(その動向については別途、ブログなどを立ちあげるべきではないのかなぁ?と思案し、後日事務局会議などでも提案するつもりです)。
 大逆事件と管野スガについては語るべき、研究すべき課題は多々あるように感じるので、ボクなりに、きちんと整理しなければいけないとは思っています。
 が、それは追い追いのことにして、とりあえず分かりやすい概説をみつけたので、ここにも転載・記録しておきたいと思います。
 大阪日々新聞が2005年に掲載した「 なにわ人物伝 -光彩を放つ-」という三善貞司氏の筆になる6回の連載です。
 一挙にアップしますが、ぼちぼちお読みくださればよいと思います(それぞれ、クリックしてお読みください)

 管野 スガ (1) 女性解放運動の先駆者
 管野 スガ (2) 宇田川文海により文才発掘
 管野 スガ (3) 軍人の権力や横暴ぶり批判
 管野 スガ (4) 「赤旗事件」で検挙、屈辱
 管野 スガ (5) 秋水の「平民社」に参加
 管野 スガ (6) 華やかな服装で出廷、話題に
 先ずこの動画を…。(クリック)
 なぜ、この動画を紹介したかと言えば、敬愛する大先輩のブログでこんなくだりを見かけたからです。
 1908年(明治41年)、宮下太吉という労働者に差出人不明の小冊子が郵送されてきた。表紙には『入獄記念/無政府共産』とある。激しい体制への批判、命がけの運動がよびかけられている。当時流行っていたのか、ラッパ節も引用されている。「なぜにおまえは、貧乏する。わけを知らずば、聞かせようか。天子、金持ち、大地主、人の血を吸うダニがおる」。宮下はたちまち引き込まれた。自由、平等への想いが過熱する。数日後には天皇のお召列車奉迎の群集にこの冊子を配る。「天皇なんてありがたくない。神様ではない、同じ人間だ」とささやく。だが「あんた、頭がおかしいのか」といわれるぐらいで反応なし(佐木隆三・小説『大逆事件』より)。宮下は空回りしたようだ。
 引用されている歌詞とは少し違うが、時代のストリートミュージシャン・演歌師、添田唖蝉坊の歌と時代はわかります。これが「ラッパ節」なんですねぇ。感心してしまいます。

b0142158_2323419.jpg 大逆事件の犠牲者の一人、きっかけとされた宮下太吉に送られてきた「無政府共産 入獄紀年」という小冊子・パンフレットの復刻版も見つかりました。
 これまた、大逆事件の犠牲者、仏教者である内山愚童和尚の秘密出版だということです。
 「小作人はナゼ苦シイカ」と題する短いパンフですが、「地主に小作米を供出すること」「政府に税金を出さねばならぬこと」「若い丈夫の者を兵士に出さねばならぬこと」を間違った迷信と断じ、「なぜしなくても宜しいか」を論じています。
 結びでは「方法はいろいろあるが、…、十人でも二十人でも連合して、地主に小作米を出さぬこと、政府に税金と兵士を出さぬことを実行したまえ。諸君が之を実行すれば、正義は友を増すものであるから、一村より一郡に及ぼし、一郡より一県にと、遂に日本全国より全世界に及ぼして、ココニ安楽自由なる無政府共産の理想郷が出来るのである」と説いています。
 唖蝉坊師の痛快さ、愚童師の真摯さ、ともに明治期の先達にうたれるものがあります。

 * 「無政府共産 入獄紀年」(クリック)はこれで読めます。
 *コピーするとA5判(印刷用、表紙・赤または黒)のパンフレッ   ト(クリック)もつくれました。
 * 先輩のブログはこれです。(クリック)
 
 今朝のNHKラジオ「今日は何の日」のコーナーで、「治安維持法が成立した日」とのひと言があったそうです。率直に言って「おや?NHKにしては珍しいことを言うなぁ」と思いました。
 というわけで、「治安維持法の成立」にまつわる話を書いておこうと思います。
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 一九二五年二月一八日に政府から衆議院に提出された治安維持法案は、翌一八日緊急上程のうえ、二三日から七回の委員会審議をおこない、三月七日の本会議で「政体」変革を削除した修正案が可決された。貴族院では三月一一日の上程後、一三日から四回の委員会審議を経て、早くも一九日の本会議で衆議院修正案を可決、ここに治安維持法は成立した。少数の反対論者の質疑はかなり執劫だったとはいえ、これほどの重要法案を両院あわせてわずか一ヵ月間で通過させてしまったのである。ある新聞は「愈々委員会が開始された場合には僅に一二の修正意見を容れ申し訳的に反対論者の面目を立てる外議論の沸騰する機会を予へざるうちに一潟千里に議了する下心であるらしい」(「東京日日新聞」二月二〇日付)と観測するが、実際にもこのとおりになる。議会審議の経過を新聞報道で追うと、「与党内に早くも骨抜き運動」(『萬朝報」二月二一日付)、「政府が修正せねば与党は握り潰す作戦」(報知新開)二月二五日付』とヨタヨタの法案で、政府も答弁に窮する場面が多々ありながらも、結局は「満天下の非難をよそに、生れ出づる悪法案多数の力でひた押しに遂に衆院を通過す」(『東京日日新聞』三月八日付)るのである。
 上記の図と文章は『治安維持法関係資料集』(全4巻、荻野富士夫編、新日本出版社、1996年)に記載されているものですが、ボクは持っていませんでした。あれこれ探ってみると小樽商科大学学術成果コレクション(Barrel)解説 : 治安維持法成立・「改正」史、荻野富士夫というコーナーにアップされていることが分かりました。膨大な資料の中からそのポイントだけを引用したものです。
 PCで全文を読むのは少しつらいものがありますが、全文を読めるというのは凄いことだと思います。取りあえず、眺めるだけでもどうですか?(クリック)
 上記の図でお分かりのとおり、最初の治安維持法は1925年3月19日に成立し、4月22日公布、5月12日に施行されたのでした。
 興味深いのは当時の各紙が「満天下の非難をよそに」「議論の沸騰する機会を予え(あたえ)ざるうちに」「多数の力でひた押しに」「一瀉千里に議了」してしまったことを鋭く告発していることです。
 翻って、今日のマスコミはこれほど明確に悪法を強行する政府・与党を告発する力を持ち合わせているのでしょうか?

 ともあれ、最近「治安維持法」について深い関わりを持ち始めた小生として、多くの研究や努力のある中ですが、折に触れこの問題をとりあげ自分なりのメモをつくっていきたいと思います。