カテゴリ:喜怒哀楽をともに…( 470 )

この一年も、富田林の年金者組合機関紙「しゅら」に川柳を寄稿してきました!
アップしたいと思うのですが、ブログの新画面の使い方がよくわかりません。仕方なく我流で新規投稿を試みてみます。ご覧いただければご同慶の至りでしょう。
例によって一句目は年金がらみ、二句めは自由に、と心がけてきました。縦書きにしたいのですが、失敗したので今日は横書きです。

1月 「しゅら」の紙面改善。当方、肺炎で入院。
嬉しいねしゅらの紙面が増えました

入院じゃサマにならない寝正月

2月 年金基金で株投機開始。映画「母と暮らせば」好評。
やめてくれ年金積み立て株投機

安倍総理祖父と暮らせばきな臭い

3月 マクロスライドの化けの皮剥げる。
年金をマクロスライドつぶします

山笑ふみんなのびのびしています


4月 
節約とひと駅歩く年金者

総がかり署名滔々花いかだ

5月 
ネットでは年金カラクリ慣用句

ガヤガヤと憲法語る河内弁

6月 
年金者カドは丸いがホネはある

忘るるなあの日あのとき時計草

7月 6月末、母歿す。
5兆円大穴開けて知らん顔

梅雨晴れ間ひと言ずつの家族葬

8月 
年金に羽があるのか飛んで行く

暑すぎて夜しか鳴かぬ蟇

9月 参院選、維新大阪で2議席。
もうえぇよ背ぇ伸びせんとき年金者

流れゆくがっかり感や鰯雲

10月 
「逃げ水」にさせてはならじ筵旗

TPP案山子も起って通せんぼ

11月 
暮らしむき年金手帳が知っている

またしても想定外と済ますのか

12月 年金改悪国会。トランプ氏のみならず、グローバル社会への苛立ち!
まぼろしの百年安心いま悪夢

ポピュリズムはびこる世界に棹をさす

久しぶりに、ブログに来てみると、様相が大幅に違っています。
オドロキです!
 実は、エキサイトより、管理画面のサポート終了が通告されていたのですが、使い慣れた管理画面が性に合っているので、それを使い続けていたせいのようです。
 もういちど、やり直すのかと思うとやりきれない思いもしますが、少し時間をかけて手入れすることにします。
 すぐにでもアップしたいものがあるのですが、しばらくお預けです!
 残念!
かなり強く感じたけれど、我が家の付近は震度3ということです!
これでこんなに感じるとは…!(クリック)

<追記>
千早赤阪村で震度4、富田林市で震度3、その後送られてきたメールでは大阪府南部震度4とあります。
ボクの体感では震度4くらいに感じました。あまり詮索はしませんが一応震度観測点を探してみました。
どうやら富田林の震度3は富田林市高辺台の観測のようです。千早赤阪村の震度4の観測点は千早赤阪村の水分のもののようです。とすれば、我が家の場合、山系の連なりから見て千早赤阪村の観測、震度4に近いと思われます。
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富田林には観測点は2つあるようです。が、この場合は他の地点との関係で、高辺台のものが使われているのでしょう。
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FB友達のM氏がアップしてくれていました。
● スーパームーン‼
姉の友達が、台湾の友人から送ってもらったそうです。
とあります。
我が家からはこんなに綺麗には見えませんが…!
記念に貰ってきました。
 
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 残念ながら、今日ここからはさっぱり見えない!
 何度も確認しているが、今日はダメのようだ!
 明日は見えるのかも知れない!
 アップできるのかなぁ?(クリック)

 
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特段の信心心は持ち合わせないが、毎日お茶をかえ、野草を飾り、線香を立てて、この日を待ちました。
必死にボクを守ってくれたであろう若き日の母を思うと、特段の母性を感じずに過ごした思春期や青年期が悔やまれます。
その悔悟と感謝の一端は今夏に投稿した大阪民主新報に忍ばせたつもりです。
戦後どさくさ幼少時代の記憶 
私は1944年(昭和19年)生まれ、戦後生まれの人からは戦中派と言われ、戦中派からは「あの過酷な戦争のことは記憶にあるまい」と言われる中途半端な世代です。軍や政府の中枢は敗色濃い戦局を知っていたはずですが、庶民の大半は「神風が吹く」と、戦勝を信じて疑わなかった時代です。ですから、武勲功という言葉にあやかって勲や功という字の「いさお」という名前も多く、中には「勝利(かつとし)」という文字通りの名前もある時代です。
 生まれは中国山西省楡次県楡次城内ということです。幼い頃には言語に絶する引き揚げの苦労話を両親に聞かされて育ちました。「無蓋車」で風雨にさらされながらの引き揚げがどんなにひどいものだったか想像にあまりあります。鮮烈な記憶があるのは、今は谷町筋になってしまった「拾願寺」の納屋の二階に仮住まいしていた3歳頃からです。薄暗い本堂には上から下まで帰るところの定まらない「白木の箱(骨箱)」がびっしりと積み上げられていました。薄暗い本堂の異様な光景は今も眼中から離れません。
 街には戦争で手や足をなくした「傷痍軍人(負傷兵)」があふれ、街角や時には電車の中でさえ首から募金箱を吊るして物乞いをしていました。ジープに乗った米兵が車上からキャンデーを振りまき、競い合って拾い集めた記憶もあります。その情けない姿を思い出し、顔から火が吹くほど恥ずかしく思ったのは、世の中が「落ち着き始めた」と言われる中学生になってからのことです。同じような体験を持った人がいることはずっと後になって知りました。「栄養失調」で病気になる子どもも多く、配給があると「なんば粉(トウモロコシの粉)の配給三日分です」と嬉々として近所に触れ回った記憶もあります。「バス住宅」と言って廃車になったバスを「市営住宅」に活用している時代でもありました。
 叔父は戦後数年して単身シベリアから帰国しましたが妻子とは生き別れ、生死不明のまま「戦時戸籍抹消」で再婚したところ、ずっと後になって生きていたことが分かりました。中国で暮らしていた従兄弟は文化大革命後帰国しましたが、口に言えない悲惨な体験をしています。私も両親のどちらかが不在の引き揚げであれば確実に「残留孤児」となっていたに違いありません。
 こうした幼時の体験を振り返ると、「戦後焼け跡闇市世代」ならぬ「戦後どさくさ幼少世代」の私たちにも戦争の悲惨さは刻印され、記憶から去り難いことが分かります。戦争を知らず(自覚せず)、敗戦のことも分からない幼少期を過ごした者の記録はもっと掘り起こされても良いのではないかと思う昨今です。
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添付の写真は、生後100日のもので、引き揚げ時、母がポケットに入れて持ち帰ったためシワだらけですが、当時の写真はこれ一枚しか残っていない「貴重なもの」です。
 ようやく結論が確定したようです。
 この件に触れるべきかどうか、ず〜っと迷っていました。が、やはり触れざるを得ないと観念しました。
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 当然だとは思いますが、残念なことです。
 よもやこんなことが起こるとは思ってもみなかったことです。
 たった3人の府会議員が2人になってしまいました。
 この件の最初の報道は10月26日のことでした。直後の報道、その後の報道に「指導と監督の責任」として党大阪府委員会の責任に触れられていたのが印象的でした。
 もっぱら記者会見などに付き合った柳氏には敬服です。
 ボクはもはや当事者ではありませんが、府委員長や自治体部長、府議団長や地区委員長の心境はどんなだろう…と気持ちが巡ります。
 襟を正し、気を引き締めて、前進への誓いを新たにするほかはありません。
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 11月2日、夕刻6時頃、宵の明星と月の姿が綺麗だったので、金剛大橋のところで撮ってみた。
 アクオスのタブレットでどのくらい写せるのだろう?
 テストでもある。
 暗いので撮れないだろうとは思ったが、何とか写ってはいる。
 左上方の小さな白い点が宵の明星、右上方が月だ。
 街の明りや夕焼け、PLタワーなども見える。
 まぁ、こんなものだろう。
 けど、夕刻の写真はもう撮らないことにする!
 明日は朝から福井へ行くので、その準備もしたいし、早寝もしたい!
 が、どうにもならないのが、大阪から沖縄へ派遣された警察官の「土人」、「シナ人」発言だ!
 府知事の松井氏が、こともあろうに労をねぎらっている。
 こんなことで良いのか!
 怒りがおさまらない!
 で、この碑の意義を、再度しっかり噛みしめたい!

   
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 台風18号は近畿からは逸れそうだ。ヒドイことにはなるまい。
 けれども大阪管区気象台からは次のような注意報が流されている。
 平成28年10月05日16時43分
  大阪管区気象台 発表
 台風第18号は、5日夜のはじめ頃、大阪府に最も接近する見込みです。6日明け方にかけて、強風や高波に注意してください。

 さらに、ボクのPCに届いているおおさか防災情報メールによると、富田林を含む南河内のほぼ全域に大雨、雷、強風、洪水注意報が発令されているとのことだ。
 夕焼けが凄い!との声がかかったので、金剛大橋まで出かけて、写真を撮ってみた。
 左手、上方に三日月がかかっているのが印象的だった。