ここしばらく、松本春野さんのHPを覗けませんでした。
今日、開いてブログを見ると!
お待ちかね!
絵本の発売日が決まったそうです。ご同慶の至りです。
早速、手に入れる段取りをしなくては…!
みなさんも、ぜひご購読を!      敬白 m(_ _)m
 11月1日から5日にかけて4泊5日の旅をしてきました。
 目当ては佐渡ですが、1日は旧知のIさん夫妻宅に前泊。当日は酒蔵での「紅葉コンサート」でジャズの歴史を辿り、童謡や叙情歌のアレンジしたものを鑑賞しました。
 佐渡は初めて。もう行くことが無いかも知れないので、2泊3日はとりたいと所望し、Iさんの企画にまかせて、何から何までお世話になり、さながら大名旅行の風情でした。
 2日に新潟港から両津港へフェリーで渡り(2時間半)、内海府(うちかいふ)海岸、外海府(そとかいふ)海岸を経て、七浦海岸、相川の民宿で一泊。3日は七浦海岸から真野湾を経て小木港で旅館泊。4日は小木港から矢島・経島、宿根木を経て国仲平野、両津港というコースです。
 天候は心配していた通り、2日、3日は大荒れ。冷気厳しく、雨あり、風あり、霰も雪も虹も見るという多彩さ。おかげで「海は荒海、向こうは佐渡よ!」という気分、日本海の冬の海を充分に堪能できました。4日はうってかわって好天気。同じ佐渡でもこんなに違うのかと思うほど…。
 Iさんの名ガイド、名ドライバーのおかげで見学、体験できたことの数々。感謝に堪えません。詳しくは書けませんが、記憶の断片を記しておきます。
 先ず弾崎灯台(はじきざき…)、「喜びも悲しみも幾年月」の銅像と歌に迎えられる。二つ亀、大野亀、どちらも岩の島。外海府の岩礁、奇岩の見事な景観。佐渡金山の坑道めぐり。七海海岸夫婦岩。大膳神社・能舞台に上がり込み狂言の真似をして戯れる。妙宣寺・五重塔。佐渡博物館。佐渡歴史伝説館。西三川ゴールドパーク、砂金拾い体験。小木港・たらい舟、漕げたよ!矢島・経島ではおけさ柿をご馳走になったうえ、4つ買って5つ貰う。宿根木の町並み(重伝建)、公開民家「清九郎」見学。案内してくれた80歳の女性が「貧富の差の大きい町だった」という。「世捨て道」などという通りもある。佐渡文弥人形芝居、当日は山椒大夫を鑑賞。人形を操り写真を撮って貰う。トキの森公園、ケージのトキにしばし見入る。学名nipponia ・nipponと言うのに日本産は絶滅、中国から寄贈をうけたトキしかいない。広大な国仲平野、島の中とは思えないほど大きな平野だ。加茂湖(汽水湖か)を経て両津港に至る。
 5日は後泊の後、I夫人の指図で手作りパン焼き。昼弁当に持ち帰り、車中で食す。およそ7時間の行程ですが、余裕をみて出発できたので夕方6時半には家に着いていました。
 
 
松本春野さんがポスターを描いた映画「おとうと」が完成。
試写を見てきたと、春野さんのブログにありました。
映画の「公式サイト」も開かれ、上映スケジュールなどもアップされています。

http://www.ototo-movie.jp/

山田洋次監督、吉永小百合、笑福亭鶴瓶主演、蒼井優、加瀬亮助演、富田勲音楽という豪華な顔ぶれ。
予約すれば、春野さんの絵の入った一筆箋がもらえるようです。
結びにかえてー安堵の心境と感謝の念

 ようやくこのシリーズを終えることができる。安堵の心境だ。「序」にも書いたとおり、高校時代にホンの少し「古典」を習ったくらいで、久しく「古文」などとは接したこともない、全くの「門外漢」であり、格別の西行ファンでもない。だから苦労した。「甘く見過ぎたか」と後悔したこともある。だが、途中で投げ出すわけにもいかなかった。間違ったことを書いたかも知れない。その道の方々からのご批判は甘んじて受けなければならないとも思う。
 このシリーズを企てた動機は単純だった。石川河川公園ができた由来を大切にしたい。市政や府政の革新を志した市井の民の願いが実現していることを記念したいという思いがあった。しかも、ここには「西行絵巻」が施されている。せめて、この十八首だけは読みこんでおきたいとも思った。
 春から始めて夏には終わるだろうと高をくくっていた。ところが、もう秋だ。あちこちからだんじり囃子の聞こえる季節ではないか。相当に手こずったという証だろう。
 西行についていえば、いつの頃からか、花鳥風月に詠み耽る漂泊の人と解するだけでいいのか、と思うようになった。秘かに「斜め読み」「深読み」を試みていた。「外道」とは思いつつも、その人生、生きた時代を探っていると、あながち「外道」とばかりはいえないような気がするようになった。西行を人生、時代に重ねて読むのも一つの試みではないか。高じてこの「深読み」となったのだ。
 とは言え、まだまだ解らぬことが多い。他日、単発で触れることがあるかも知れない。ともあれ、ひとまずの締めくくりとしよう。
 この間、数人の方がこのブログに目を通してくださった。プリントを大切にしてくださっている方もある。感謝にたえない。
 なお、このブログは学術文書ではないので、辞書・辞典以外はいちいち出典をあげることはしていない。が、驚くほど大勢の方が西行を研究され、書物やブログなどに書かれている。小生が蒐集した文献も夥しい。参考にさせていただいた学者、研究者、評論家、作家、好事家のみなさんに感謝申しあげる。                                
                        物好き・敬白
西行絵巻 終章

たはぶれ歌 老境そして童心

 山家集・聞書集に「たはぶれ歌」13首がある。老境に差しかかった西行のどことなくひなびた味わい、それでいてなお衰えぬ童心を感じさせる歌群だと思う。良寛や一休にも通ずるようだ。お口直しに「たはぶれ歌」を味わって、西行絵巻の結びとしよう。

 詞書 「嵯峨に棲みけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを

 うなゐ子がすさみにならす麥笛のこゑにおどろく夏のひるぶし
 「幼い子が手すさびに鳴らす麦笛の音色にはっとして目覚める夏の昼寝だよ」「うなゐ」はおかっぱ頭のこと。「すさみ」は「すさび」に同じ。この場合は「遊み・遊び」。「ひるぶし」は「ひるふし」が一般的。「昼臥し」と書く。

 むかしかな炒粉かけとかせしことよあこめの袖にたまだすきして
 「もう昔のことだなぁ、炒り粉かけとかしたこたがあったよ、あこめの袖に玉襷をかけて」「炒粉」は米を炒って粉にしたもの。「炒粉かけ」は砂糖などをまぶしたものか。「あこめ」は「示」編に「日」または「白」と書くのだが、パソコンでは出ない。「広辞苑」によれば「アイコメ(間籠)の意、公家の男女の装束の内着」とあり、「アコメすがた」に「上着を着ずアコメだけを着た姿」とある。「玉襷」の「たま」は古語辞典に「接頭語で美称」とあり「玉襷」は「たすきの美称」とある。

 竹馬を杖にも今日はたのむかなわらは遊びをおもひいでつつ
 「遊び道具だった竹馬を今では杖として頼る身になってしまったよ。子どもの頃に竹馬で遊んだことが思い出されるなぁ」「わらは」は「童」、「元服前、十歳前後の子ども」。

 昔せしかくれ遊びになりなばやかたすみもとによりふせりつつ
 「昔した隠れんぼうをしてみたいものだなぁ。今も子供たちはあちこちの片隅に寄り臥せって隠れているよ」「なりなばや」は解しにくい用法だ。「なる」「ぬ」「ばや」のことか。「なる」には「することができる、可能である、かなう」などの意がある。「ぬ」には「必ず…、確かに…、…てしまう」など完了のニュアンスがあり「確述(強意)」だという。「ばや」は終助詞で、ここでは「希望。…たいものだ」と読める。しつこく訳せば「昔よく隠れんぼうをしたものだ。その隠れんぼうを子どもの頃に還ってしてみたいものだ」となり、「かたすみもとによりふせりつつ」は、今、子供たちが隠れんぼうをしている姿とともに、西行自身が部屋の片隅にじっと臥せる姿が重なり、子どもの頃に隠れんぼうをしていた昔の姿と重なる。深い郷愁を漂わせる表現だ。

 折角なので、「たはぶれ歌」の残り九首も紹介しておこう。

 篠ためて雀弓はる男のわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな
 我もさぞ庭のいさごの土遊びさて生ひたてる身にこそありけれ
 高尾寺あはれなりけるつとめかなやすらい花とつづみうつなり
 いたきかな菖蒲かぶりの茅卷馬はうなゐわらはのしわざと覺えて
 入相のおとのみならず山でらはふみよむ聲もあはれなりけり
 戀しきをたはぶれられしそのかみのいはけなかりし折のこころは
 石なごのたまの落ちくるほどなさに過ぐる月日はかはりやはする
 いまゆらも小網にかかれるいささめのいさ又しらず戀ざめのよや
 ぬなははふ池にしづめるたて石のたてたることもなきみぎはかな


              西行絵巻ー物好きの深読み <完>